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三男の高校柔道と、アン・チャンリンの柔道の美しさ [スポーツ理論・スポーツ批評]

ラグビーワールドカップ時期に、長男次男の高校ラグビー時代の思い出を書いたので、今回は、三男の柔道の思い出「親ばか」ブログを書いておきたいと思いたった。

先日来、何度かフェイスブックで、Jsportsで放送中の柔道の世界大会に出場している韓国のアンチャンリン選手や日本の丸山剛毅選手について触れながら、三男が桐蔭学園柔道部時代に、アン君や剛毅先輩の練習パートナーや、試合の付人をしていたことに触れた。
アン君は今や73キロ級の世界ランク一位、剛毅先輩も、81キロ級ではオリンピック代表争いに顔を出す日本のトップ選手になっている。一方、うちの三男は「神奈川県内でベスト8がやっと」くらい。全国からスポーツ推薦で集まってくる桐蔭柔道部の強豪選手の中で、普通に受験勉強をして桐蔭に入り、好きで柔道部に入っている、非推薦組。「いちばん弱いグループ」「主力選手の世話、部内の雑用をしながら部活生活を送る」とういうタイプの子供だった。

 とはいえ、というのがこの文章の「親ばか」たるところなのだが、柔道技術論的に言うと、うちの息子に何のとりえもなかったかというと、そういうわけではない。時代遅れながら、中量級重量級としてはほとんどいない、古典的な背負い投げの柔道をしていたのが三男の特徴だった。現在のアンチャンリンの試合を見ながら、アン君の今の柔道の中に、息子と練習した痕跡、三男の背負い投げの形を見てしまう、というのが、このブログで書いておきたいこと。

 現在のアンチャンリン選手は「背負い」「袖釣り」という担ぎ技を中心として、小内刈り、韓国背負いを組み合わせた切れ味鋭い「担ぎ技系の美しい柔道をする選手」とJsportsでも常に解説されている。が、高校時代のアン君が「背負い、担ぎ技」の選手だったかと言うと、けしてそうではない。背負いとは別系統の変則技としての「韓国背負い」と、小外、内股など、やや変則的な組手からの技を組み合わせた「総合力」「現代的スタイル」の選手だった。

 現在の世界の柔道のトレンドというのは、古典的な日本の組手、相手の前襟と袖を釣り手引手できちんと持って足技と背負い投げをかける、という柔道をする選手は少ない。
脇を差す、背中を持つという変則的な(すもうのような形になったところから)内股や大腰、釣り込み腰と、その逆技、裏投げや小外がけなどをかける、という形が多くなっている。阿部一二三とか、ベーカー茉秋などの若手、軽量級の天才・高藤も、そういう形になることが多い。アンチャンリンも、高校時代はそういう形に近い「流行最先端スタイル」の柔道だった。

 うちの三男が「弱かった」のは、そういう現代的「背中を差して内
股」柔道がまったくできず、というかやる気もなく、古典的な組手での、背負い投げ柔道だけをただひたすら愚直にやっていたためだった。「差して内股柔道」というのは、「パワーと勘と運動神経」に優れていないとできない。これに対し、古典的背負い柔道というのは「非力なもののとる戦術」「反射神経や勘」にも恵まれていない者が取る戦術であり、「技術=身体操作の高度化」だけが生命線の柔道なのだ。

 先日NHKでオンエアされた、引退直後の野村忠宏が、スランプに悩む若手、阿部一二三を指導する番組も、「背負いの技術と身体操作を極めた野村」が、「差して大腰柔道の阿部」に、柔道ってそんなもんじゃないぜ、と指導する番組だったので、それを見ると、私の言うことが理解できるのではないかと思う。野村は「反射神経と勘」も天才的だったが、パワーに優れているわけでもなく、むしろ背負い投げの身体操作と技術を磨きぬくことを柔道の核に据えた柔道家だったと思う。

 桐蔭学園の柔道部は、基本的にかなり個々で完成したスタイルをもった選手が全国から寄り集まってくるために、「桐蔭スタイル」というような固有の柔道スタイルは基本的にない。とはいうものの、「背負い柔道」に関して言うと、稀代の天才、秋本啓之選手の背負いの技術が後輩に受け継がれており、粟野靖忠から高上選手と、軽量級の選手には「秋本背負いのエッセンスの継承者」がいる。中学から高校初めまで桐蔭で柔道をやっていた長男は中学時代に、秋本先輩から直接指導されたこともあるし、粟野君とは高校の初めだけだが、同級で練習をともにしていた。長男が会得した桐蔭の背負いの伝統、技術を、我が家の柔道場で、小学校中学校時代から注入されたのが、三男の柔道の原型になっているのだった。

 三男は90キロ級を主戦場にしていたが、本当は体格的には73キロ級が妥当な体格だった。身長163センチ体重は74~5キロだった。しかしたまたま、当時の桐蔭学園は73キロ級と81キロ級の選手層が異様に厚かった(後の世界ジュニアチャンピオンやインターハイ優勝者が同階級に複数いる、というような状態だった)ために、この二階級ではまったく対外試合に出ることができない。このため、試合直前に無理やり大量に食べることで、普通にしていると74キロくらいの体重を、82キロまで上げて、90キロ以下級に出場していた。
本来の体格が73キロ級の選手が、単に直前バカ食いで90キロ級に出れば、体格でも筋力でも圧倒的に不利なわけで、この状況では、「パワーで劣っても勝つ」ためには、桐蔭伝統の背負いを、ただひたすら磨くしか道はなかった。
 こうした不利な条件で出場した90キロ級の神奈川での大会でも、高校一年の高校選手権予選と、高3の国体予選の二回、県でベスト8に勝ち残っているので、三男はけしてそんなに弱かったわけではない。神奈川県においては、ベスト8の選手はほとんどが桐蔭と東海大相模の、中学時代から全国レベルで実績のある選手たちなので、これは「桐蔭、東海大相模の中では弱いが、それ以外のすべての県下高校馬柔道部員には絶対負けない」という水準までは強くなった、ということなのだ。

三男のもうひとつの特徴は「受け」「投げられ役」が、ものすごく上手だった、ということがある。これは、「強くない自分が、先輩たちの練習の邪魔をしないためには、まず受けとして上達しなければならない」ということを、高校に上がった時点で自覚したせいだ。(今も73のトップ争いをしている、二年先輩の西山雄希先輩の打ち込み相手をさせられたときに、「受けが下手で調子が落ちる」と怒られたことから、どうやったら先輩の調子を落とさない受けができるかを研究した、と本人は語っていた。)。受けとして上手い、というのは、単にひょいひょい投げられればいいというものではない。取り(投げ手)が正しく動作しているときには豪快にきれいに投げられバーンと大きな音で受け身を取る。相手の動きが変な時にはそれを感じ、どこがどう違和感があるかを伝えたり修正したりしながら、調子を整え、気持ち面も上げていくという、「ブルペンキャッチャー」のよう固有の技術ノウハウがある。
トップ選手の投げ込みというのは、それは一般人の常識を超えた速度と威力があり、間近で見ていると三男の体が壊れてしまうのではないかと、親として心配に思うほどであった。
三男卒業のときの、後輩からの色紙寄せ書きには、後輩で全国強化選手だった岡田敏武君から「先輩なのに打ち込みで受けをたくさんやってもらってありがとうございました。先輩の受けはとても上手した」と書かれている。先輩の剛毅さん、同期のアン君だけでなく、後輩の岡田君や、小中高すべてで日本一になった山本幸紀君など、いろいろなタイプのトップ選手の技を体で受けた数と質では、三男は本当に日本一だったのではないかと思う。

 試合に付人で行ったときは、アン君がひたすら三男のことを投げ込むだけだけれど、普段の高校での練習では、「受けと取り」は交互に行う。そんなわけで、軽量級には伝承されていても、中量級以上では少なくなっていた「純粋な桐蔭型の背負い投げ柔道」を、たまたま練習パートナーを三男がしていたために、アン君は日常的に体で受け止めていた、と思うのだ。
 もちろん、その時点での三男の技からアン君が何かを直接学んだ、などという大げさなことを言うつもりはない。アン君は、秋本、粟野両先輩同様、筑波大学に進学した。アン君の「背負い型」へのモデルチェンジ自体は、筑波大に行った一年間に、こうした先輩たちとの練習の中で本格的に行われたのだと思う。その結果、大学一年での学生体重別で、東海大の橋本壮一を背負いで下して学生日本一になった。そしてアン君は五輪韓国代表になるために、韓国の龍仁大学に転校していった。

 「変則差して内股柔道」がはびこる世界の柔道界の中にあって、今や、アンチャンリンの柔道は、古典的かつ伝統的な、「日本の柔道が理想とするような」美しさで異彩を放っている。Jsportsで解説をする先生方も、その柔道の美しさには、「ライバル韓国の選手」ということを超えて、「日本柔道の伝統の上に咲いた美しい花」としての賞讃を送らずにはいられない。その言葉を聞くたびに、親ばかな私は、「その陰に、三男の背負いがあるんだよな」と思うのである。

ちなみに三男は、今、早稲田柔道会というサークルで柔道を細々と続けている。そこを主宰する柔道ジャーナリスト古田先生の紹介で、Jsportsで放送する柔道世界大会(各地でのグランドスラムやグランプリ)の元となる試合映像を見て、試合結果、決まり技を判別して記録するというアルバイトをしている。アンチャンリンの活躍を、今はそういう立場で見て、応援しているのだ。

以下のJsportsの記事でアンチャンリンの写真が見られます。http://www.jsports.co.jp/press/article/N2016020414522007.html

南アに勝った心理的要素。エディージョーンズ監督の対南ア心理戦を考察する [スポーツ理論・スポーツ批評]

 私はラグビー・プレー経験は全くなく、スタジアムでトップレベルの試合を見ることもほとんどしない、「テレビ観戦専門、ラグビーファン」です。12年ほど前に、長男が高校で、二男が中学でラグビーを始めたのがそもそもの始まりで、特に二男は神奈川県関東新人大会で桐蔭と両校優勝を分けあい、関東大会予選では慶応と決勝を戦った代の、公文国際学園のフランカー(残念ながら関東大会予選から関東大会は、二男は足を骨折していて出場しませんでしたが)だったので、二男の高3の一年間は、毎試合応援に行きました。それ以来、ラグビーをテレビで熱心に見るようになりました。ちなみに二男三年生のとき桐蔭学園の一年生に、今、日本代表の松嶋幸太郎、筑波に行った怪物ウィング竹中、早稲田の10番になった小倉順平がいて、彼らが三年の時に桐蔭学園は初の日本一になったのです。一方、長男は桐蔭学園の兄弟校(進学用に分離した)桐蔭中等教育学校のラグビー部一期生、三男は桐蔭学園で柔道部に所属し、寮では柔道部員とラグビー部寮生は同じ釜の飯を食っていた(松嶋幸太郎が高3のときに高1)ので、花園では「息子の母校はわが母校」ということで、毎年桐蔭学園を熱心に応援する、という年末年始を送っています。
 テレビ観戦専門ですが、高校花園だけでなく・大学ラグビー・トップリーグ、スーパー15、ハイネケンカップ、6nations、トライネーションズ(現チャンピオンシップ)、テストマッチなどJSPORTSで放送されるラグビー放送はここ10年ほど、つまり前々回ワールドカップ前あたりからは、主要試合はほとんどすべて見ています。年間観戦数は200試合を超えていると思います。気分は「無名の小林深緑朗」みたいになっています。

 そんな立場から、今回の南ア戦の勝利とその後の盛り上がりは、うれしい限りなのですが、「感動」「努力」「気合」「ハードワーク」みたいなかんじで、相変わらずラグビーがそういう「スクールウォーズのときそのまんま」な文脈で語られるのは、ちょっとさびしい、と思ってしまうことについて、すこし論じていきたいと思います。

 どんなスポーツでもそうですが、ラグビーは特に「知的でなければ強くなれない」競技です。その意味で、南アの世界一のスクラムハーフ、フーリー・デュブレアが、日本は知的であることで南アを打ち破ったというコメントは、まさにその通りです。
 今回、日本が対・南アにおいて、戦う前から完全に勝っていたポイントは、エディージョーンズvsハイネケ・メイヤー という監督の対決部分です。エディーさんはワールドカップの決勝戦を、二回経験している。そのうち一回は南アのアドバイザーであり、今回の南アのベテラン選手たちとは代表時代からサントリー顧問時代を通じて深くかかわっていた。それに対し、メイヤーは、ブルズ監督として、国内リーグとスーパー15監督としては「名将」であっても、代表として選手全体の人心を把握できておらず、かつワールドカップ経験では、「経験も格」もエディーさんの圧勝であったのです。エディーさんについて国内メディアの報道は、どういう指導内容で日本代表を強くしたか、ということに偏って報道されますが、エディーさんの強みはもうひとつあります。大会前からの記者会見での発言で、南アの監督や選手や審判団にまでゆさぶりをかけるような発言を繰り返す、「記者会見で戦える」監督という側面です。こういう監督は世界的にみてもほとんどいない、そういう監督なのです。(サッカー界のモウリーニョみたいなものですね。)。「南アは直前のテストマッチが不調だからナーバスになっている」「代表に日本をよく知る選手が多いから、日本をリスペクトしてベストメンバーでくる」「ヤニー・ディブレッシーはスクラムで審判みたいによくしゃべる。審判がちゃんと見てくれないと困る」みたいなことをいろいろいうわけです。野村監督が「イチローはバッターボックスから打つ時、足が出る・あれは反則だろう」みたいなことを日本シリーズ前に言うとか、「カールマローンのフリースローは10秒以上時間かけているだろう」とNBAファイナル前に言う、みたいな嫌な感じのゆさぶりを記者会見で言う。「今度の試合を南アの練習試合にはさせない」と言うことで、メンバーをどうしよう、という点について、南ア監督をゆさぶった結果が、南アの選手起用と、起用された選手に微妙な迷いを生じさせたように思います。
 ゲーム内容における「知的さ」ということで言えば、試合時間80分のストーリーを描いての作戦の緻密さ、という点でも、日本は南アを圧倒していたと思います。後半の選手交代は、日本は、シナリオ通りであり、それぞれの交代選手が、どういう狙いで、何をするために出ていくかが明確に意識づけられていただけでなく、交代の意味とそれによる戦術変化が、フィールドでプレーしているチームメイトにも完全に共有されており、交代によりチーム力が上がる、混乱がまったくおきない、という点において、日本は、圧倒的に勝っていたと言えます。
 もうひとつは、審判、反則への対応での勝利。今大会は、TMOが多用されるだけではなく、「ホークアイシステム」という補助カメラシステムで、審判を欺くような反則、密集内で首に手をかける反則を厳しくチェックするという申し合わせがなされています。こうした審判の方針と技術への対応でも、日本は明確に優位に立っていました。南ア戦の主審を、直前のテストマッチに招へいし、笛の傾向をつかんでおくという対策までしてきました。その結果としてタックル後のロールアウェイをとにかく徹底し、反則を取られないようにするという規律と意識の高さで南アを圧倒していました。このあたりについて、南アは全く対応できておらず、ノットロールアウェイの反則を取られ続けることに明らかに苛立ち、「審判とも戦う」状況になっていました。これが最後のシーンのシンビンにつながり、決勝点の伏線になっていたのです。

 また視点を変えますが、南アの現役代表を大量にトップリーグに呼んできたことも、もしかするとこの対戦の対策だったのでは、と今になると思えてきました。ほんの3年前くらいまでは、トップリーグで活躍する外国人選手はニュージーランド人が主流で、次にオーストラリア人。南アの代表クラスはほとんど来ていなかったのに、ここ二シーズンは南アの代表クラスが大挙して日本に来て、チームメイトとして一緒にプレーしています。このことが、明らかに「日本にプラス、南アにマイナス」に働いたと思われます。
 「日本にプラス」はわかるけれど、「南アにマイナス」ってどういうことか、ということについて、説明したいと思います。

 南アのラグビーの強みは、変な言い方ですが、ある種の「乱暴さ」にあると、私は思っています。単に体格が大きいということではなく、NZのような洗練された技術や、オーストラリアの基本に忠実で真面目なラグビーに対して、全員ではありませんが、メンバーの中の何人かが「狂気をはらんだ凶暴さ」をときどき発揮する、そういう怖さが南アのラグビーにはあると思います。今回はキャプテンから外れましたが(須藤さん指摘ありがとうございます。チャンピォンシップではキャプテンを務めていた)フォワードリーダーのスカルクバーガーは、そういう南アのラグビーを象徴する選手だと思って、ずっと見てきました。日頃は気のいいやさしい好青年。別に常日頃から乱暴者なわけではないのに、気合が入ってプレーをするとき、とんでもなく乱暴なことをしてしまうことがあります。(密集で相手の目に指を突っ込んで、シンビンではなく退場になったこともありました。)NZのラグビーが、あくまで「ボール」に対して働き掛ける意識がものすごく高い(ので、NZ人はものすごく上手に相手のボールをもぎとります。)のに対し、「相手のカラダ」に強く働きかけようとする意識が強いと思います。
 「普段は気がいいのに、ゲームになると無慈悲に相手のカラダに破壊的に働きかけてくる」というプレーは、相手を「仲間」だと意識してしまうと、どこかに心的ブレーキがかかるのではないか、と私は思っています、本気で行っているつもりでも無意識に冷酷さにすこしだけブレーキがかかる。
 4番のデヤーグや交代で入ってきたストラウスなどは、日本とのかかわりがないので、南アの良さの「無慈悲な当たり」で豪快なトライを取ってきましたが、日本で、サントリーやパナソニックで日本選手と「仲間」になったスカルクバーガーやJPピーターセンは、もちろん全力でプレーはしていたのですが、どこかに「仲間としてのリスペクト」を持つことで、本当の意味での強みの「破壊的冷酷さ」を発揮できなかったように、私には思えました。エディーさんが繰り返し「南アは日本をリスペクトしている」と繰り返すことは、挑発しているようで、実は「格下の雑魚をぶっ潰す」という冷酷な凶暴さを封殺し、「人間対人間、対等なラグビー仲間同士の戦い」という意識に、南ア選手をマインドコントロールしたという側面があると思いました。なんというか、強さはあっても凶暴さのない、紳士的なプレーを、南アの特にベテランたちはしていたように思います。全員がデヤーグやストラウスみたいに「無慈悲にぶっつぶす」意識でプレーされたら、日本はもっといやだったと思います。選手選考も、ベテランよりも「若手のイキのいいやつで」と来られた方が、日本は嫌だったと思います。このあたり、監督の選手選考も、選手の意識も、エディーマジックにまんまとはまった、というのが、今、国内メディアではあまり論じられていない、勝因のひとつであると思っています。

ラグビーワールドカップと安保国会 TMOと武士の情け [スポーツ理論・スポーツ批評]

TMOと武士の情け。

ラグビーワールドカップ イングランド大会が昨夜始まった。
開幕戦は開催国かつ優勝候補の一角イングランド対フィジー。フィジーはときどき大番狂わせを起こす曲者なので、開幕戦で開催国を食うのではないかという期待感(イングランド地元ファンとすれば嫌な予感)を孕みつつ、ゲームはスタート。イングランドが着実に点を重ね前半25分を過ぎ15-0。このまま一方的になるかと思われた27分過ぎ、フィジーの快速スクラムハーフが自陣センターライン付近でのスクラムが回転してボールがスクラム外に出た瞬間、ボールをつかんで走りだし、ライン際に飛び込む。イングランドバックス二人がタックルしてからみつくも、雨に濡れた芝を利用し、すへり混みながら、バスケットのダンクシュートのようにゴールライン上にボールを叩きつけ、見事なトライ。レフリーも走って追いかけながら、遠目には明らかなトライだったので、右手を上げトライを宣言。盛り上がる場内にはリプレーが流れる。が、しかしアップでトライシーンを撮った映像が流れると、ダンクシュートのように片手で地面にボールを叩きつけようとする直前、ボールが手から離れている。つまりノッコンである可能性が高い。その映像を見た主審、いったんトライを宣言したにも関わらず、TMOを要求。結局ノッコンでノートライになった。その後もフィジーは流れをつかみきれず、終盤イングランドの連続トライをゆるし、33対11と、実力差通りの結果に終わった。
 開幕第三戦はアイルランド対カナダ。カナダはかなり格下で、アイルランドは今年のシックスネーション優勝北半球王者で優勝候補の一角。前半終了間際まで29-0と一方的にリード。40分を過ぎ前半ロスタイム、やっとアイルランドゴール前まで攻め込んだカナダ、ゴールポスト下あたりから左サイドにボールを展開するロングパスが飛ぶ。スクラムハーフ日系人ヒラヤマがボールをキャッチする前にアイルランドディフェンスが詰めてくると見るや、ヒラヤマはタックルされる前に飛んでくるボールを直接タップしてライン際でフリーになっていた俊足ウィングにボールを送る。転がったボールを拾ったウィングが見事にトライ。したかに見えた。しかしここで主審が、タップパスがスローフォワードでないか(前に飛ばしていれば、タップだからノッコンにあたるのかも)をTMOで確認。結局スローフォワードでノートライになつた。

このふたつの幻のトライ、TMOがなかった時代なら、確実にトライだったと思う。ちょっと怪しいかなと思っても、格下劣勢のチームが、がんばりにがんばって上げたトライは、試合の流れに審判も乗っかって「トライにしよう」という文化がラグビーにはあったと思う。フランスワールドカップで地元フランスがニュージーランドを破ったときの逆転トライは、明らかにスローフォワードだったけれど、「会場の雰囲気」がトライにしてしまった、という事件も起きた。

 TMOは明らかに誤審を減少させた。判官ひいき、地元ひいき判定はでにくくなった。
ラグビーはもともとサッカーなどと比べると、実力差がはっきりと点に出やすい、番狂わせが起きにくいスポーツだ。実力差がちょっとあるだけで、弱者はワントライをとることさえ難しくなる。日本代表も強豪国相手に100点近い差をつけられて負けることはあったし、高校ラグビーなどでもそういう悲劇はよく起きる。そんな中で「武士の情け」トライは、試合の雰囲気を救うラグビー文化のひとつだったと思う。しかしTMOの導入により、公正さは増したことは間違いないのだが、「武士の情け」トライが撲滅されてしまったことで、ラグビーは「強者が必ず勝ち、弱者は「一矢報いる」トライを誇りに持ち帰る、ということさえも許されない、冷酷なものになりつつある。

 ワールドカップ開幕のわずか一時間ほど前、日本では安保法制が可決する直前、最後の抵抗を試みる民主党福山議員は、参議院本会議で、一人15分と制限された時間を超えて演説を続けた。それに対し与党議員から「時間を守れ」「ルールを守れ」とたびたびヤジが飛んだ。福山議員は、より大きなルール違反を指摘して抵抗しつつ、たびたび「君たちには武士の情けはないのか」と叫んだ。

 圧倒的数の差の中で、弱者少数派が声を枯らして訴えているのだ。法案が可決されるという勝敗はすでに決っている中で弱者少数派が最後の訴えをしてるのだから、時間制限というルールを多少曲げても、最後まで意見を聞くという「武士の情け」はないのかと訴える。

 武士の情けというのはつまり、「弱者に対してはルールの適用を甘くする」ということなのだ。ルールの適用を強者にも弱者にも公平にすることが、本当に公平なことなのか。

 高校ラグビー花園大会では、強者の前に100点差をつけられてしまうようなゲームも起きるので、武士の情けトライはあってもよいような気がする。しかし、そうした曖昧さを許すと、大会も終盤を迎えたところで「強者同士のシビアな争い」の中で、地元関西勢にほんのすこし有利に笛が吹かれる「関西の笛」問題が許容されてしまう、という問題が起きる。

 政治においてはMajority rules,Minority rights=多数決の原理は、少数者権利の尊重とともに行う、という原則がある。民主党があそこまでの「少数派」になってしまっていること、「武士の情け」を請わねばならない状況について考えつつ、さて、これから始まる南アフリカ対日本を応援することにしよう。

 武士の情けトライを期待しなければならないような一方的展開になる可能性はかなり高いと思う。そんなこととは無関係に、南アを追い詰めるような試合ができるのだろうか。


追記

なーんてぶろぐ書いた後、日本、堂々と勝ちましたー。判定も日本びいきなんてところ、ひとつもない、まったく初めから堂々と互角に戦い、判定も公正、むしろ日本のモールのトライかどうかが認められず、なんてことまであったのに勝ちました。日本代表のみんさん、エディーさん、゜コテンパンにやられる可能性が高い」なんて失礼なこと書いてごめんなさい。南アを追い詰める上に、最後に勝ちました。南アの選手、監督、そしてスタジアムの南ア観客の青ざめて凍りついたような表情が、今日の日本が本当に強かったことを雄弁に物語っていました。予想が外れて超幸せです。

スティーブ・カーとステファン・カリー NBAファイナルに寄せて [スポーツ理論・スポーツ批評]

今期のNBAファイナルは、メディア上ではステファン・カリーVSレブロン・ジェームスの新旧MVP対決!という話題で盛り上がっていたが、私個人的には、スティーブ・カーの采配、というか「スティーブ・カーの夢、やりたかったことの実現」と、その素材としてのステファン・カリーいう点に興味の中心があって、ずっと見ていた。
 スティーブ・カーと、ステファン・カリー。日本語表記通称だとスティーブとステファンだが、どちらも同じstephenだ。そして191センチの身長、オールスターの3ポイントコンテストのチャンピォン、圧倒的に優れた3ポイントシューターという共通点を持つ。違うのは、カリーが、大学時代からプロのキャリアを通じてずっとチームのエースだったのに対し、スティーブカーは、プロのキャリアでは「3ポイントスペシャリストだが、控えのポイントガード」という、渋い脇役の立場にあったことだ。マイケルジョーダン全盛期のブルズに在籍し、後期三連覇では、決定的なシュートをたびたび決めたものの、なんといっても当時のブルズは、ジョーダンが毎試合30点以上を取り、ピッペンも20点以上を取り、残りをあとのメンバーがちょぼちょぼと分け合う、というチームだった。ポイントガードとセンターにエゴの強いスター気取りはいらない、というのがマイケルジョーダンのチームの鉄則だった。ポイントガードには派手なドライブも気の利いたアシストパスもいらない。自陣に球を運んだらマイケルに球を預けて、あとはせっせとトライアングルオフェンスのシステムにそって動き回り、最終的にはコーナーにまわって3ポイントの準備をしておく、というのがマイケルのチームのポイントガードの役割だった。複雑なトライアングルオフェンスのシステムも、最終的にマイケルの得点能力を最大化するために使うのだ。前期3連覇ではBJアームストロングとジョン・パクスン、後期ではロンハーパーにスティーブカー。もともとシューティングガードだったロンハーパー以外は同じようなタイプの3ポイントシューターだ。
 体の小さいポイントガードにも、古くはアイザイアトーマスから、ティムハーダウェイ、アレンアイバーソンなど、身体能力の高い攻撃型のポイントガードというのはいたが、ステファンカリーは彼らと比べると身体能力がさほど高くない。シューターなのだ。そして彼らのようなむき出しの闘争心とエゴ、というものが感じられない。得点をものすごく取る割に、エゴの強さを感じさせない。エゴの強さを感じさせない割に、最後の責任は全部自分が負う、という心の強さはある。
 この、「フィジカルはそれほと強くないが、きわめてすぐれたシューターであり、闘争心はうちに秘め、より知的である。知的なシューターがチーム最大のスターである。」というのは、もしかして、スティーブ・カーがなりたかったけれどなれなかった存在なのではないか。「もしそんな自分がチームの中心で、そして圧倒的に強いチームを作るとしたら、こんなバスケットしかない」とスティーブカーが温めていたバスケット。マイケルジョーダンもピッペンもいない、自分のようなタイプの選手中心のチームを作る、そしてマイケルがいるようなチーム(つまりレブロンがいるキャブスを)を倒すというのは、スティーブカーの長年夢見ていたことの実現なのではないかしら。
 今期、スティーブカーは、レギュラーシーズンからただの一度も3連敗しなかった。スティーブカーの分析力と選手の人心掌握術、戦術家としての優秀さは見事というしかない。ステファンカリーと並ぶ能力がありながら、チームのために地味な役割も果たすクレイトンプソン。スターターの力を持ちながらシックスマンにまわったイグダーラ。脇役としてシカゴブルズや(その後スパーズでも)優勝経験を積んだスティーブカーだからこそ控えも含めたチーム全員の気持ちを理解し、チーム全員のバスケットIQを上げることに成功できたのだと思う。
 シリーズの流れを決定づけた第4戦勝利の後のインタビューでイグダーラが「我々は今期、リーグで一番IQの高いバスケットをし続けてきた」と胸を張って答えていたことに、スティブカーがどういう意識づけを選手にしてきたかが、よく表れていた。「バスケットIQ」の勝負、という新しい競争をリーグに持ち込んだスティーブカーのウォリアーズ、今後、かつてのブルズのような黄金期、王朝を築くことができるのか。来季も楽しみで仕方ない。 

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