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今日はラグビー二試合TV観戦。2019WCが不安になった一日でした。 [スポーツ理論・スポーツ批評]

土曜、オールブラックス×ブリティッシュアイリッシュライオンズ戦を夕方見て、深夜、日曜に日付が変わったところで、サンウルブズ×ライオンズ(これは当然スーパー15のライオンズ、南アのチーム)を見た。
初めの試合の方は、ソニービル・ウィリアムズが前半20分くらいでなんとレッドカード退場で、50分以上、オールブラックスは14人で戦ったのだが、ものすごい接戦、熱戦になった。ボーデン・バレットのキックの調子がすごく悪かったことも、接戦になった原因。14人になり、プレースキッカーが調子が悪くても、ブリティッシュアイリッシュライオンズと互角、というのは、オールブラックスの果てしない強さを見せつけられた感がある。
 一方のサンウルブズだが、この前のアイルランド戦の日本代表から、エディージャパンメンバーを全部抜いて、残った小倉や山中、徳永らに、ジャパンから漏れた中鶴,笹岡らをまぶしたチーム。相手のライオンズは、今季のスーパー15で、NZ勢と唯一互角に戦っている最強南アチーム。つい先日の南ア×フランスの代表スタメンがたくさんいる。前回ワールドカップメンバはいないはず。
 つまり、この前のワールドカップの日本×南ア、日本勝利を、サンウルブズの日本人も、ライオンズの南ア人も、体験していない。両チームとも、それ以降、新しく代表になった選手、次のワールドカップの代表に新たに加わりそうな人たちを中心に構成されたチームと言っていいかと思う。
 そして、結果は7-94。今季最多失点、最多失トライ。かつての弱いジャパンが、ワールドカップでティア1の国とあたったときを思い出させる試合内容。最弱ジャパンに時間が戻ったよう。
 つまり、これを見て分かるのは、エディージャパンだけが特別に世界に通用したのだということ。日本のラグビーレベルが全体として上がったわけではなく、エディーさんのチームの作り方、フィジカルの鍛え方、あれを体験した人だけが世界のトップレベルと戦えるようになったのである。エディジャパンのトレーニングを体験していない日本人や、あの代表から漏れた山中なんかは、やっぱり世界のトップレベルとは全然全く戦えない、という厳しい現実。ウェールズと接戦をしたり、アイルランドと「戦える」という感じがしたときも、活躍したのはエディージャパンの戦士たちが活躍した時間、状況だけではないか。それ以外で通用した感があるのは、日本人では松橋くらいじゃないのかな。
 もうあとワールドカップまで2年しかないのだが。エディーさんはイングランド代表監督として、ものすごい成果を上げているから、絶対次のワールドカップまでイングランドは手放さないよ。何でみすみす手放したのだろうと思ってしまう。
 ここから二年、高齢化が進むエディージャパンの戦士たちに頼ってチームづくりをするしかないのかな。あの鍛え込み方を、新しい、若い人たちにもやらせるノウハウは、どこにも継承されていないのかな。
 絶望的な気持ちになるような、本当にひどい内容の試合でした。ラグビー好きの友人の皆さん、ご意見ください。

コンフェデのメキシコやチリを見ていたら、シャビ全盛期のくるくるターンを思い出した。 [スポーツ理論・スポーツ批評]

 今回のコンフェデは、チリ、メキシコ、ポルトガルである。強くて速いパスがビシビシつながって、生理的に気持ちが良いサッカーをする3チームである。ドイツも、もちろん素晴らしい。若手中心、代表歴がほとんどない選手だらけにも関わらず、最近のドイツの、「カラダの大きな人がバルセロナみたいなパスサッカーをする」という、前回ワールドカップ優勝チームのサッカーをきちんと受けついでいて素晴らしい。
 とはいえ、やはり、チリである。ビダルは相変わらず、どこにでも顔をだし、素晴らしい技術と、平気でずるいこと汚いことをやる特徴も丸出しで大活躍である。初戦はお休みしていたサンチェスが二戦目ドイツ戦では素晴らしいゴールを見せてくれて大満足。サンチェスがいちばん好き。
 サンチェスのプレーを見ていると、シャビやイニエスタのいたバルセロナで、メッシ、ビジャ、ペドロたちとのポジション争いで、完全なレギュラーはつかめなかったものの、出てくるといつも抜群の働きをしたことを思い出す。サンチェスがいた時代のバルセロナは本当に強かった。なんといっても、シャビ・イニエスタコンビが完全に機能していた。
 ということで、今日、書きたいのは、実はシャビの「くるくるターン」のこと。今回のコンフェデでも、メキシコやチリの中盤の選手が、ときどき、ピッチの真ん中あたりでボールを受けると、敵のディフェンスが寄ってくるのを、くるくると360度ターンをしてかわして前を向いて、見事なパスを出す。そういうプレーを見るたびに、どうしてもシャビを思い出してしまう。
 NHKスペシャルで昔シャビの特集をやったことがあるが、その番組での実験でも、シャビの能力で最も際立っているのは、ピッチ上にいる敵味方の位置を、常に正確に把握し続けていることだった。
 ピッチ全体の視野を確保する、という点では、前線の選手というのは不利だ。キーパー、センターバック、ボランチ、サイドバックなど後方の選手の方が、全体の人の配置は見える。しかし、攻撃に関わるには距離が遠い。こうした後方の選手は、全体視野は確保できても、攻撃プレーへの関与の仕方が限定される。シャビと同時期にスペイン代表のボランチだったシャビアロンソは、シャビよりもキックの距離感が長い。ロングキックでゲームを作るタイプの、ボランチ型のゲームメーカーだった。後方からは、ロングキックと、ときどきの上がりでしか攻撃をコントロールできない。
 10番の、つまり前めのセンターハーフポジションで、ピッチ全体を把握する、というのは、特殊な能力が必要である。こういうことができたのは、ここ 20年間のサッカーの中でも、ジダン、リケルメ、シャビ、アーセナル時代のベルカンプくらいなのではないだろうか。「全体を把握できるのはボランチ」「前めの10番は、使うより、使われるタイプ」というのが、最近のサッカーの傾向な感じがする。(日本代表で言えば、香川は、どうしても、「使われる」度が高い選手な感じがして、10番としては、物足りない、チーム全体、ゲーム全体を支配するタイプの選手ではないのだよなあ、という不満を持ってしまう。)
 前めの10番でありながら、自分の前(味方フォワードと相手ディフェンダー)だけでなく、自分の後方の人の配置、動きまでを把握しながらプレーを選択できる選手がいると、チームは生き物のように動く。攻め、守りの緩急がついて、安定する。ボランチがゲームコントロールするよりも、攻めのバリエーションが多くなり、攻め回数も多くなる。このポジションの選手がうまければ、カウンターを喰う回数も少なくなる。その理想形がバルセロナ全盛期、スペインがワールドカップ、ユーロを続けて勝ったスペイン代表でのシャビだった。そのシャビの「360度視野」確保の必殺技が、「くるくるターン」だったのではないかなあ。あの技術、日本の中盤選手も、もっと使えばいいのに。中村俊輔と遠藤は、あの動きをよくすると思うけれど、最近の中盤の選手ては、鹿島の柴崎くらいではないかしら、あの動きが得意なのは。「攻めが遅くなる」といって、俊輔のあの動きを批判する人も多かったけれど。僕は「全方位視野を持つ天才10番」がいるチームが、やっぱり好きなのだ。時代遅れなのかもしれないけれど。
 

昔書いた、ブラジルワールドカップ、日本のサッカーについて思うことを、尊敬するサッカーバカの先輩、中村禎さんに読んでもらうために、今さらながらブログに上げてみた。 [スポーツ理論・スポーツ批評]

これは、2014年 ブラジルワールドカップ惨敗の後で、日本サッカーがワールドカップでベスト8になるために必要なことは何かを考察したフェイスブック上の投稿です。ブログに上げていなかったので、まとめて保存します。

第一部

 世界のラグビー界は、実力差により、IRB主要8協会(英仏アイルランドウェールズスコットランド、NZ、豪、南ア)にアルゼンチン、イタリアを加えた10カ国で構成されるティア1、それ以外でワールドカップに出場できる程度の実力を持ち合わせるティア2、およびそれ以下に分けられ、国際試合の組み方などを工夫している。ジャパンや、ともにパシフィックネーションズを構成するサモア・トンガ・フィジー・カナダ・アメリカなどはティア2である。
 ラグビーはサッカーと違い、実力差がそのまま結果に表れやすい。NZと日本がやれば、ひどいときは100点差、健闘しても50点差近い差がつく。実力の近い国同士でまずは切磋琢磨、ときどきティア1に挑戦、というのが現実的で効率的なのである。こうした努力の結果、先日のイタリア戦での勝利、世界ランク10位=ティア2の中でもティア1の下位となら互角に戦える、というところまできたのが、ラグビー日本代表の現状のポジションである。
 サッカー界では、FIFAランキングはあるが、こうした「ティア1」「ティア2」としての色分けがされていない。番狂わせ下剋上が起きやすいのがサッカーなので、ラグビーほどくっきりと区分けがしにくいのである。
 とはいえ今回のワールドカップ一次リーグの勝ち抜け国の得失点の状況を見ると、「ティア1型勝ち抜け」と「ティア2型勝ち抜け」があることがわかる。その間には「サッカー文化の差(守備的とか攻撃的とか)」を超えて、実力的断層があることが見て取れる。
 得点-失点 で整理すると、オランダ10-3 コロンビア9-2 フランス8-2 ブラジル7-2 ドイツ7-2 アルゼンチン 6-3 あたりまでがティア1型勝ち抜けと言える。得点力が高くディフェンスも安定している。
 一方メキシコ4-1 チリ5-3 ギリシャ2-4 ウルグアイ4-4 ナイジェリア3-3 米国4-4  ベルギーは一位通過だが4-1と、勝ち抜け方としては実はティア2型である。 3試合で4得点程度の攻撃力しかないところを、失点を3試合2点程度にすることでぎりぎりの勝ち抜け方をしている。
 ティア1型勝ち抜けをした国がいずれも、優勝または決勝戦の常連国なのに対し、ティア2型の国はメキシコや米国のようにベスト16の常連国ではあっても、それ以上になかなか進めない国が多い国である点にも注目。(スイスの7-6とアルジェリアの6-5というのは例外的なパターンだろう。)敗退したチームではクロアチア6-6が例外で、あとは4得点以下で得失点が0かマイナスである。
 ティア2の国が一次リーグを勝ち抜けるには、一次リーグ3試合で4得点2失点を目標とするのが現実的である。
ちなみに日本代表 過去のWCでの一次リーグ得失点は、フランス大会1-4 日韓大会5-2 ドイツ大会 2-7 南ア大会 4-2  ブラジル大会 2-7 である。 勝ち抜けたときも5-2 4-2というティア2型得失点パターンである。「攻撃的サッカー」を標榜して機能せず、最終戦で玉砕、2-7となったドイツ大会とブラジル大会の轍を踏まないためにも、日本はティア2の国が一次リーグを勝ち抜けるのに必要なサッカースタイルを確立すべき。

第二部

 では、一次リーグを4得点2失点で乗り切るチームを作るには、2失点、というところからスタートする。
 まず、岡田監督のチームづくりを見てみよう。
岡田監督はフランス大会も南ア大会も、「バティストゥータやスーケル」(フランス大会)「エトーやロッペン」(南ア大会)という世界最高のストライカーのいる同組相手に、どうやったら0点で抑えきれるか、を最大のテーマに本大会に臨んだ(はず)。アジア予選を勝ち抜けるときには、引いて守るアジアのライバルに対してどう点を取るか、と考えて作ったシステムを、本大会に向けて変更した。
 フランス大会でいえば、加茂さんの混乱から引き継いだチームを「北澤の前線から守備的トップ下MFシステム」で復活させたのに、本大会では北澤もカズも不要、とばっさり切った。基本、5バック+山口の六人で守るシステムに変更。
 南ア大会でも、予選では使わなかった阿部勇樹アンカー(センターパックの闘莉王・中澤と、ボランチ長谷部遠藤の間に、バイタルポジションを消したり相手のエースにマンマークにつかせるための阿部勇樹を置く。中澤闘莉王はハイボールには強いが足は速くない。下がってハイボールをたたき出すと、バイタルエリアがあく。マンマークも無理。だから阿部をアンカーにおいた。) そしてサイドバック右を攻撃的内田から、守備力の高い駒野に変更。端的に言って、岡田監督は本大会では「守備的6人と攻撃4人」システムにモデルチェンジしている。これは敗退したフランス大会でも守りだけを見れば成功しており、バティストゥータ全盛期のアルゼンチン、得点王になったスーケルのいるクロアチアを、それぞれ1点に抑え込んだ。
 日韓大会トルシエも、「フラット3」という守備戦術からチームを作り始めた。フラット3だから3人で守るかというと、さにあらず。最終ラインが3人だが、ボランチの稲本・戸田のうち、戸田は守備専任。サイドfハーフの小野(または三都主)、明神のうち右サイド明神はほぼ守備専従。やはり「守備に5から6人か」「攻めるのは4人」システムが基本。もちろん相手が弱くてひいてくれば、稲本は攻めに重心を置くから、守り5攻め5になるが。
 対してジーコジャパンやザックジャパンは「日本の強みは攻撃的中盤+攻撃的サイドバック」という攻め重心アジア勝ち抜きシステムを基本変更しないまま、本大会に臨んだ。
ポゼッションを高く、選手間の距離を短く、サイドバックもどんどん攻め上がった結果、「7人で攻め3人で守る」が常態化するサッカーになった。
 ジーコジャパンとザックジャパンの不幸な共通点は、直前の親善試合で、この攻撃的システムがうまく機能して、好調に点がとれてしまった、という「親善試合絶好調」という点もある。
 ジーコジャパンは直前親善試合で開催国ドイツに高原2ゴールで引き分け、「いけそう」感のまま、攻撃的システムのまま本大会に臨んだ。
 しかし、この攻撃型システムの場合、攻撃中心選手からのパスをカットされた瞬間、強烈なカウンターを食うことになる。アジア予選と、本大会の違いは、アジアの敵はカウンター攻撃をしても、シュートが下手で、そんなには点を取られないが、本大会の敵は、カウンターをしかければ、ものすごい確率で得点してしまう、ということ。この弱点は去年のコンフェデでも露呈していたのだが、修正されないまま本大会を迎えてしまった。
 この日本の「人数かけないと守れない」の理由は、実はシステムの前に、個人のサイズと身体能力の問題が大きい。ふたたびラグビーを引き合いに出すが、ラグビーは「体の大きさ」と「走る速さ」の能力差が得点力、防御力に与える影響がサッカーよりダイレクトにわかりやすく表れる。同じ幅をラインになって守るときに、185センチ平均のサイズがある人間が並んだ時と、175センチ平均の人間が並んだ時では、単純に「人と人との間の、通れそうなスキマ」が違うことは理解できると思う。また、球を持って100メートル10秒で走る人がいったんラインブレイクしたら、後から100メートル11秒の人間が追いかけても、絶対阻止できない。というか追いつけない。
 実は、サッカーのディフェンスでも、体のサイズと走る能力は、同じような影響力がある。高い位置に最終ラインを上げて守っていたとき、100メートル10秒のFWに突破されたら、足の遅いDFは追いつけない。吉田麻耶が、俊足FWにぶち抜かれてカウンターで失点、というシーンを何度も見たことがあると思うが、足が遅いのだから仕方ない。
 こういう身体サイズと走力の差を補おうとすると、ディフェンスにかける人数を一人増やす、という岡田ジャパン阿部勇樹システムというのが、いかに合理的、というか現実的対応かがわかる。小さいんだから一人増やすのだ。空中戦に勝つには大きくて足の遅いDFを最終ラインに置いておくしかないなら、足の速いマンマーカーを別に用意しないと仕方がない。
4得点2失点のうちの、2失点を実現するには、基本的に「守備人数を6人はかける」というものすごくシンプルな結論に落ち着いた。今大会でいえば、スペインを封じ込んだオランダの5バックシステムや、死の組を首位通過した(イタリアとウルグアイを粉砕した)コスタリカのフラット5バックシステムなど、守備に5バック+ボランチで6人かけるシステムは、実は世界的にも別に珍しくないのだ。
 じゃあ、どうやって、残り4人で、4点取れるチームにする?
それはまた今度。

第三部

 ワールドカップ一次リーグ3試合で4点取れるチームとは。どんな戦術を取ったら、そういうチームになるか。そんなことがわかったら誰も苦労しない。攻撃は水物で、取れないときはスペインだってイタリアだって点が取れずに敗退する。
と開き直っては論が進まない。
 私はここで、ふつう言われていることとはかなり違うことをいくつか提案したい。
 まず、それは「日本らしいサッカー」を作ろうなどという抽象的で無意味な目標を捨てたほうがよい、ということだ。そうではなく、日本が一次リーグを勝ち上がれるサッカーを本気で追及したとき、(3試合4得点2失点でいけるサッカーを追及したとき)その結果としてできあがったサッカーが、どんなに不格好でも、世界から尊敬されなくても、それが日本のサッカーだと思おう。まずその覚悟を持つこと。
 それから、構成する選手が変わっても永続する「日本らしいサッカー」などというものがあると考えるのはやめよう。そのときいる選手の特性に合わせて、勝てるサッカーを組み上げればいいのだ。そのとき、最も世界に通用する能力を持った個を活かすように、チーム全体の戦術を組み替えればよいのだ。
 今回のブラジル大会でも、アルゼンチンは「メッシ頼り」と言われているが、まさに、前回ワールドカップでメッシが機能しなかったことを反省して、メッシが生きるシステム・戦術・選手選択に変えたことで、ここまで勝ち上がっているのだ。戦術=メッシ頼り、でどこが悪い。華麗なパスサッカー戦術でメッシが生きなかったから、南ア大会ではアルゼンチンは勝てなかったのだ。今大会はメッシと相性の悪い選手は全部、選ばす、メッシに無理なディフェンスの負担もかけず、メッシが攻めで輝くことに集中してチームを作っているのだ゛。
 たとえばオランダ。オランダというと、みんなクライフのトータルフットボール、という神話の色眼鏡で、すごく先進的な全員攻撃全員守備のサッカーをしているようなイメージで見るけれど、今のオランダは「ロッペン」という特殊能力のあるスーパーマンがいることを前提に、がっちり守って、とにかくロッペンに球を預けてゴール前まで持っていき、そのまま決めきってくれれば最高、そうでなければそこにディフェンスが集中するところにスナイデルが走りこむ、という「戦術=ロッペン」サッカーをしている。そしてロッペンがもし不調でも、ファンベルシーというスーパーマンがもうひとりいるから、同じような「戦術=ファンベルシー」でokなのだ。
 ポルトガルを例にとっても、ルイコスタ・フィーゴがいた当時の「黄金の中盤パスサッカー」のポルトガルと、「クリスチャーノ・ロナウド」を活かすポルトガルが、同じ戦術であるはずがない。
 つまり、チーム内で卓越した特殊能力を持つ選手がいたら、その能力を活かすようにチーム戦術を組み上げるのが正しいアプローチであり、サッカーとはそもそもそういうスポーツなのではないか。
 日本にはメッシもロナウドもロッペンもいないのが問題、というが、そういうことでもない。
 日本の攻撃的タレントで、本当に、「この能力なら世界トップ10に入る」というような能力を持っていたのは、(というか現在進行形、今でも持っているのは)中村俊輔のセットプレーだけだと私は思っている。止まっているボールを思い通りに蹴る能力では、俊輔はピルロと並んで、いまだに世界のトップに位置していると思う。それが唯一、世界に通じる武器ならば、それを最大限に生かす戦術を採用すればよい。ペナルティエリア近くでファールを取れるフォワード&コーナーキックで競り勝てるヘディングの強い選手を選ぶ。それ以外はべたで守る。そしてフリーキックとコーナーキックにすべてを賭ける。俊輔在籍当時のセルティクが、チャンピォンズリーググループリーグで俊輔のフリーキックでマンチェスターユナイテッドを撃破して決勝トーナメント進出したときのようなサッカーをすればよいのだ。俊輔は今も現役で、昨年のJリーグMVPなわけだから、私のこの戦術の代表と、今大会のザックジャパンと、どちらが一次リーグで戦えたかは、わからないと私は思っている(俊輔&闘莉王ジャパンの方が戦えると今大会選手選び前から友人たちに力説していたのは、友達のみなさんはご存じのとおり)。(栗原・中澤のマリノスディフェンスに闘莉王も加え、マリノス斉藤やレッズ原口元気などペナルティエリア外側からドリブルでつっかけるタイプのFWをそろえて、フリーキック、コーナーキックを狙い続けるサッカーの方が、俊輔がいれば点は入ったと思っている。) 日本のサッカー解説の世界では「流れの中で点が取れる」ことが大切で、セットプレーでしか点が取れないのはダメ」みたいな論調があるが、どっちでとっても一点は一点。セットプレーだけで一次リーグ3試合で4点取ればいいのである。
 これは「俊輔の能力だけが世界に通じるなら」という前提での話だが、別の特殊能力を持つ選手がいたら、それを核に戦術をくみ上げればいいのだ。たとえばロンドン五輪の男子ベスト4の原動力も、実は「戦術=永井」だったところが大きい。圧倒的俊足の永井がいたために、日本のサッカーとしては本当に珍しく、強烈なカウンターを相手が恐れる、という状況が作り出せた。
 準決勝以降、永井がけがで機能しなくなって、日本の快進撃はあっさり止まり、魔法がとけたみたいに、準決勝も三位決定戦も負けてしまった。一次リーグでスペイン・モロッコに勝ち、ホンジュラス引き分け、決勝トーナメントにエジプトに勝った時に「日本サッカー全体が強い」みたいな気分になったが、永井がダメになったとたん、メキシコにも韓国にもやられてしまったことからわかるとおり、ロンドン五輪男子は「戦術・永井」が世界に通用しただけのことなのだ。
 別にこれは日本だけの話ではない。今回のウルグアイは「戦術=スアレス」のチームだった。守備は強固だったが、攻めに関してはスアレスなしには普通のチーム。スアレスがいればティア1だが、スアレス抜きではティア2のチームだった。フォルランに全盛期の力は全くなく、カヴァーニも一生懸命頑張ってはいたが決定力の面では不調。ただひとりスアレスだけは別次元の強さを発揮。スアレス欠場のコスタリカ戦は1-3で負け。スアレス登場のイングランド戦はスアレスの2点で快勝。イタリア戦もスアレス得点で勝ったが、かみつき事件発生。決勝トーナメントはスアレス不在で、コロンビアに一方的にやられてしまった。、
 「卓越した個」をスーパーフォワードだけだと考えるとないものねだりになる。セットプレーでも、ただ足が速いでもいい。とにかく、戦術の核になる卓越した個性を何人か育てること。そして
① 卓越した個(を活かす自分たちの型)  ロンドンでの永井とか、セルティックの俊輔とか。
そのうえで、本大会で攻撃・得点の核になりうる別のオプションをいくつか持つ
② 自分たちの型(エースが不調でも攻めが組み上がる自分たちの型)その2 を用意しておく。
(ア) スアレスや永井がいなくなるともうダメ、にならないように戦術核の選手が不調だったり怪我だったり出場停止になっても成り立つ、別の戦術型を用意しておくこと・
(イ) それは、単純にスアレスや永井の役割をほかの控えの選手に託す、ということではないはず。それではチームは機能しない。中心選手を変えた時には、戦術もそれに合わせて変える、という準備をしておく必要がある。ドログバ投入時のコートジボアールは、それによるチーム戦術の変更をきちんと準備していた。
③ ラッキーボーイ・新星候補を用意して、試し続けること。
(ア) コロンビアのハメス・ロドリゲスはたしかに「期待の新星」ではあったが、ここまでブレークすると思っていた人は少ないはず。ファルカオの不在でエース不在、というのが下馬評だったわけだから。こういう「伏兵・新星」の可能性ある選手を用意しておく。古くはイタリア大会のスキラッチとか。 
というわけで、「こういうサッカーをやろうと選手を選ぶ」のではなく「突出した才能を軸にサッカーをくみ上げる」というのが、攻めに関して言えば、サッカーの王道なのだと考え、柔軟かつ現実的に攻めの形を考えるのが、「3試合で4点を取る」ための唯一の道だ、というのが今のところの私の結論・

NBAファイナル第四戦が、オールスターゲームみたいな点数になってしまった理由について。 [スポーツ理論・スポーツ批評]

NBAファイナル、今日、第四戦で、今年のプレーオフで初めてウォーリアーズが負けた。
今日起きた、二つの異常事態について、考察します。キーワードは「審判の忖度と3ポイント
① なぜウォーリアーズはここまでプレーオフ15連勝という異常なまでの強さを発揮したか。
② 今日の試合、前半だけでキャブズ86-68ウォリアーズという、異常なハイスコアゲームになったか。

私がNBAを真剣に見始めたのは、バルセロナ五輪のドリームチームブームの時から。、NBAファイナルはマイケルジョーダンのブルズ初めのスリーピートの三年目、チャールズバークレー率いるフェニックスサンズとのファイナルから。あれがたしか1992-3シーズンなので、かれこれ25年ほど、一試合も欠かさずファイナルは見てきている。
ジョーダン ブルズの後期スリーピートの時期が、最も熱心にNBAを見ていた。ウォーリアーズに破られるまでの記録だったシーズン72勝のシーズンは、ほとんどブルズの試合は(当時スカパーとNHKBSを併用すると、ブルズの試合は9割くらいの試合がオンエアされていた。)レギュラーシーズンもプレーオフも、オンエアされた試合は全部見たし、録画してライブラリー化してある。あの年のブルズでさえ、プレーオフ勝ち上がる途中で一敗しているし、ファイナルではゲイリーペイトン率いるシアトルスーパーソニックスと4-2、二敗している。
レギュラーシーズンの試合は、最近それほど真剣には見ていないのだけれど、スティーブカーのウォリアーズというのは、NBAの「審判忖度文化」に、決定的なダメージを与えつつあるというのがこれから書くことの論旨。
25年間NBAを見続けた経験から、私は以下のようにNBAというスポーツ文化を理解している。選手はまったくもって八百長的要素など寸分も無い、命をかけた真剣勝負をしているのだが、審判は、「ホームコートに微妙に有利な判定をすることで、プロスポーツ興行として盛り上げる」ということが暗黙の了解事項になっている、ホームのファンは、ホームチームがホームコートでは勝つところを見たい。そうすることですべてのチームのホーム興行集客が安定する。そのようにビジネスが成立するように、審判は「微妙なファールの笛の吹き方調整」をすることが、推奨されている、のか、黙認されているのか。とにかく暗黙のルールがNBAには存在する。
いちばん分かりやすいのが「ディフェンスファールか、オフェンスファールか」の調整。もうひとつは「テクニカルファールやフレグラントファールの取り方」。このふたつを、露骨にではなくても、微妙にホーム側に有利にするだけで、「大差の試合を接線に」「接戦で負けているホームチームに勝利を」という演出が可能になる。
そして、この「オフェンスファールかディフェンスファールか」ということが起きるシチュエーション=いちばん微調整、演出を加えやすいのは、リングに向かって果敢にドライブを仕掛けた選手に、ディフェンスが先回りして手を上げて脚を止める。「先にディフェンスが足を止めているところに攻撃選手がぶつかっていけばチャージング」「ディフェンスに入るのが遅れればディフェンスファール」というやつである。
マイケルジョーターンがリングに向かってダンクをしかける、でも、シャックが巨体にも関わらず軽やかにドリブルしてリングに向かっていく、こうした状況が、ホーム(ディフェンス)に有利に演出するなら、オフェンスファールを吹いてしまえば良いのである。ジョーダン・ブルズ全盛期も、シャック&コービー全盛期のレイカーズでも、ファイナルではそれなりに接戦になったのは、こういう調整がなされていたからだと思う。
 ところが、である。スティーブカーが起こした戦術革命、ウォーリアーズの3ポイント速攻多様戦術は、この「審判演出」がかけにくいことは、見ていればよくわかる。ウォーリアーズがアウェイで強すぎるときに、もし速攻でリングにドライブをかけてくれれば、オフェンスファールを吹くことで、ウォーリアーズが強すぎることを緩和調整することが可能なのだが、速攻でスリーを打つのでは、オフェンスファールはほぼ取れない。3ポイントがスパスパ入ってしまっては、審判による試合内容調整がかけられないのだ。ウォーリアーズが負けるとすると、審判調整ではなく、本当にたまたまカリーもクレイトンプソンも不調でスリーが入らない、というパターンしかない。今年はそこにケビンデュラントが加わったために、審判がどう調整しようとしても、ウォーリアーズが勝ってしまうことを阻止できなくなった、ということだと理解している。

今日の第四戦、せっかくのファイナルが、キャブズホームで、スイープされて終わってしまっては、ビジネスとして台無しなので、審判団は、もうかなり露骨にキャブズ有利な笛を吹きまくった。ドレモンドグリーンにはテクニカル、フレグラントファールを吹き、カリーにも1クォーターからファールを吹いた。これで互角の好勝負に持ち込める、と審判団も思ったに違いない。

しかし、大誤算が起きる。この日はウォーリアーズの3ポイントが絶不調。それに対し、キャブズの3ポイントがびっくりするほど絶好調。そもそもキャブズ劣勢を予想して、キャブズ有利になるように笛を吹いたのに、今日は普通にしていてもキャブズが好調、ウォーリアーズ(KDだけは好調を維持していたが、スプラッシュブラザーズ二人の3ポイントが不発)が不調だったからたまらない。前半だけで、まるでオールスターゲームのような点数になってしまった。今日の内容なら、普通に笛を吹いていれば、接線だがキャブズ勝利になる、という出来だったのに。スティーブカーの革命は、他のチームにも拡大しつつあり、キャブズも、レブロンとカイリ―のドライブを軸としつつ、3ポイント多用戦術でもあるわけで、今日の試合では、キャブズのドライブにはオフェンスファールは取らない、ディフェンスファールは厳しく取る」の方針の上に、キャブズの3ポイントが超絶好調だったため、あんな点数になってしまったのだった。

今日の前半の異常な点差が、図らずも「やっぱり審判はホームに有利になるように笛を調整するんだよな」ということをあらわにしてしまったのだよな、というのが、今日の試合の感想でした。

三男の高校柔道と、アン・チャンリンの柔道の美しさ [スポーツ理論・スポーツ批評]

ラグビーワールドカップ時期に、長男次男の高校ラグビー時代の思い出を書いたので、今回は、三男の柔道の思い出「親ばか」ブログを書いておきたいと思いたった。

先日来、何度かフェイスブックで、Jsportsで放送中の柔道の世界大会に出場している韓国のアンチャンリン選手や日本の丸山剛毅選手について触れながら、三男が桐蔭学園柔道部時代に、アン君や剛毅先輩の練習パートナーや、試合の付人をしていたことに触れた。
アン君は今や73キロ級の世界ランク一位、剛毅先輩も、81キロ級ではオリンピック代表争いに顔を出す日本のトップ選手になっている。一方、うちの三男は「神奈川県内でベスト8がやっと」くらい。全国からスポーツ推薦で集まってくる桐蔭柔道部の強豪選手の中で、普通に受験勉強をして桐蔭に入り、好きで柔道部に入っている、非推薦組。「いちばん弱いグループ」「主力選手の世話、部内の雑用をしながら部活生活を送る」とういうタイプの子供だった。

 とはいえ、というのがこの文章の「親ばか」たるところなのだが、柔道技術論的に言うと、うちの息子に何のとりえもなかったかというと、そういうわけではない。時代遅れながら、中量級重量級としてはほとんどいない、古典的な背負い投げの柔道をしていたのが三男の特徴だった。現在のアンチャンリンの試合を見ながら、アン君の今の柔道の中に、息子と練習した痕跡、三男の背負い投げの形を見てしまう、というのが、このブログで書いておきたいこと。

 現在のアンチャンリン選手は「背負い」「袖釣り」という担ぎ技を中心として、小内刈り、韓国背負いを組み合わせた切れ味鋭い「担ぎ技系の美しい柔道をする選手」とJsportsでも常に解説されている。が、高校時代のアン君が「背負い、担ぎ技」の選手だったかと言うと、けしてそうではない。背負いとは別系統の変則技としての「韓国背負い」と、小外、内股など、やや変則的な組手からの技を組み合わせた「総合力」「現代的スタイル」の選手だった。

 現在の世界の柔道のトレンドというのは、古典的な日本の組手、相手の前襟と袖を釣り手引手できちんと持って足技と背負い投げをかける、という柔道をする選手は少ない。
脇を差す、背中を持つという変則的な(すもうのような形になったところから)内股や大腰、釣り込み腰と、その逆技、裏投げや小外がけなどをかける、という形が多くなっている。阿部一二三とか、ベーカー茉秋などの若手、軽量級の天才・高藤も、そういう形になることが多い。アンチャンリンも、高校時代はそういう形に近い「流行最先端スタイル」の柔道だった。

 うちの三男が「弱かった」のは、そういう現代的「背中を差して内
股」柔道がまったくできず、というかやる気もなく、古典的な組手での、背負い投げ柔道だけをただひたすら愚直にやっていたためだった。「差して内股柔道」というのは、「パワーと勘と運動神経」に優れていないとできない。これに対し、古典的背負い柔道というのは「非力なもののとる戦術」「反射神経や勘」にも恵まれていない者が取る戦術であり、「技術=身体操作の高度化」だけが生命線の柔道なのだ。

 先日NHKでオンエアされた、引退直後の野村忠宏が、スランプに悩む若手、阿部一二三を指導する番組も、「背負いの技術と身体操作を極めた野村」が、「差して大腰柔道の阿部」に、柔道ってそんなもんじゃないぜ、と指導する番組だったので、それを見ると、私の言うことが理解できるのではないかと思う。野村は「反射神経と勘」も天才的だったが、パワーに優れているわけでもなく、むしろ背負い投げの身体操作と技術を磨きぬくことを柔道の核に据えた柔道家だったと思う。

 桐蔭学園の柔道部は、基本的にかなり個々で完成したスタイルをもった選手が全国から寄り集まってくるために、「桐蔭スタイル」というような固有の柔道スタイルは基本的にない。とはいうものの、「背負い柔道」に関して言うと、稀代の天才、秋本啓之選手の背負いの技術が後輩に受け継がれており、粟野靖忠から高上選手と、軽量級の選手には「秋本背負いのエッセンスの継承者」がいる。中学から高校初めまで桐蔭で柔道をやっていた長男は中学時代に、秋本先輩から直接指導されたこともあるし、粟野君とは高校の初めだけだが、同級で練習をともにしていた。長男が会得した桐蔭の背負いの伝統、技術を、我が家の柔道場で、小学校中学校時代から注入されたのが、三男の柔道の原型になっているのだった。

 三男は90キロ級を主戦場にしていたが、本当は体格的には73キロ級が妥当な体格だった。身長163センチ体重は74~5キロだった。しかしたまたま、当時の桐蔭学園は73キロ級と81キロ級の選手層が異様に厚かった(後の世界ジュニアチャンピオンやインターハイ優勝者が同階級に複数いる、というような状態だった)ために、この二階級ではまったく対外試合に出ることができない。このため、試合直前に無理やり大量に食べることで、普通にしていると74キロくらいの体重を、82キロまで上げて、90キロ以下級に出場していた。
本来の体格が73キロ級の選手が、単に直前バカ食いで90キロ級に出れば、体格でも筋力でも圧倒的に不利なわけで、この状況では、「パワーで劣っても勝つ」ためには、桐蔭伝統の背負いを、ただひたすら磨くしか道はなかった。
 こうした不利な条件で出場した90キロ級の神奈川での大会でも、高校一年の高校選手権予選と、高3の国体予選の二回、県でベスト8に勝ち残っているので、三男はけしてそんなに弱かったわけではない。神奈川県においては、ベスト8の選手はほとんどが桐蔭と東海大相模の、中学時代から全国レベルで実績のある選手たちなので、これは「桐蔭、東海大相模の中では弱いが、それ以外のすべての県下高校馬柔道部員には絶対負けない」という水準までは強くなった、ということなのだ。

三男のもうひとつの特徴は「受け」「投げられ役」が、ものすごく上手だった、ということがある。これは、「強くない自分が、先輩たちの練習の邪魔をしないためには、まず受けとして上達しなければならない」ということを、高校に上がった時点で自覚したせいだ。(今も73のトップ争いをしている、二年先輩の西山雄希先輩の打ち込み相手をさせられたときに、「受けが下手で調子が落ちる」と怒られたことから、どうやったら先輩の調子を落とさない受けができるかを研究した、と本人は語っていた。)。受けとして上手い、というのは、単にひょいひょい投げられればいいというものではない。取り(投げ手)が正しく動作しているときには豪快にきれいに投げられバーンと大きな音で受け身を取る。相手の動きが変な時にはそれを感じ、どこがどう違和感があるかを伝えたり修正したりしながら、調子を整え、気持ち面も上げていくという、「ブルペンキャッチャー」のよう固有の技術ノウハウがある。
トップ選手の投げ込みというのは、それは一般人の常識を超えた速度と威力があり、間近で見ていると三男の体が壊れてしまうのではないかと、親として心配に思うほどであった。
三男卒業のときの、後輩からの色紙寄せ書きには、後輩で全国強化選手だった岡田敏武君から「先輩なのに打ち込みで受けをたくさんやってもらってありがとうございました。先輩の受けはとても上手した」と書かれている。先輩の剛毅さん、同期のアン君だけでなく、後輩の岡田君や、小中高すべてで日本一になった山本幸紀君など、いろいろなタイプのトップ選手の技を体で受けた数と質では、三男は本当に日本一だったのではないかと思う。

 試合に付人で行ったときは、アン君がひたすら三男のことを投げ込むだけだけれど、普段の高校での練習では、「受けと取り」は交互に行う。そんなわけで、軽量級には伝承されていても、中量級以上では少なくなっていた「純粋な桐蔭型の背負い投げ柔道」を、たまたま練習パートナーを三男がしていたために、アン君は日常的に体で受け止めていた、と思うのだ。
 もちろん、その時点での三男の技からアン君が何かを直接学んだ、などという大げさなことを言うつもりはない。アン君は、秋本、粟野両先輩同様、筑波大学に進学した。アン君の「背負い型」へのモデルチェンジ自体は、筑波大に行った一年間に、こうした先輩たちとの練習の中で本格的に行われたのだと思う。その結果、大学一年での学生体重別で、東海大の橋本壮一を背負いで下して学生日本一になった。そしてアン君は五輪韓国代表になるために、韓国の龍仁大学に転校していった。

 「変則差して内股柔道」がはびこる世界の柔道界の中にあって、今や、アンチャンリンの柔道は、古典的かつ伝統的な、「日本の柔道が理想とするような」美しさで異彩を放っている。Jsportsで解説をする先生方も、その柔道の美しさには、「ライバル韓国の選手」ということを超えて、「日本柔道の伝統の上に咲いた美しい花」としての賞讃を送らずにはいられない。その言葉を聞くたびに、親ばかな私は、「その陰に、三男の背負いがあるんだよな」と思うのである。

ちなみに三男は、今、早稲田柔道会というサークルで柔道を細々と続けている。そこを主宰する柔道ジャーナリスト古田先生の紹介で、Jsportsで放送する柔道世界大会(各地でのグランドスラムやグランプリ)の元となる試合映像を見て、試合結果、決まり技を判別して記録するというアルバイトをしている。アンチャンリンの活躍を、今はそういう立場で見て、応援しているのだ。

以下のJsportsの記事でアンチャンリンの写真が見られます。http://www.jsports.co.jp/press/article/N2016020414522007.html

南アに勝った心理的要素。エディージョーンズ監督の対南ア心理戦を考察する [スポーツ理論・スポーツ批評]

 私はラグビー・プレー経験は全くなく、スタジアムでトップレベルの試合を見ることもほとんどしない、「テレビ観戦専門、ラグビーファン」です。12年ほど前に、長男が高校で、二男が中学でラグビーを始めたのがそもそもの始まりで、特に二男は神奈川県関東新人大会で桐蔭と両校優勝を分けあい、関東大会予選では慶応と決勝を戦った代の、公文国際学園のフランカー(残念ながら関東大会予選から関東大会は、二男は足を骨折していて出場しませんでしたが)だったので、二男の高3の一年間は、毎試合応援に行きました。それ以来、ラグビーをテレビで熱心に見るようになりました。ちなみに二男三年生のとき桐蔭学園の一年生に、今、日本代表の松嶋幸太郎、筑波に行った怪物ウィング竹中、早稲田の10番になった小倉順平がいて、彼らが三年の時に桐蔭学園は初の日本一になったのです。一方、長男は桐蔭学園の兄弟校(進学用に分離した)桐蔭中等教育学校のラグビー部一期生、三男は桐蔭学園で柔道部に所属し、寮では柔道部員とラグビー部寮生は同じ釜の飯を食っていた(松嶋幸太郎が高3のときに高1)ので、花園では「息子の母校はわが母校」ということで、毎年桐蔭学園を熱心に応援する、という年末年始を送っています。
 テレビ観戦専門ですが、高校花園だけでなく・大学ラグビー・トップリーグ、スーパー15、ハイネケンカップ、6nations、トライネーションズ(現チャンピオンシップ)、テストマッチなどJSPORTSで放送されるラグビー放送はここ10年ほど、つまり前々回ワールドカップ前あたりからは、主要試合はほとんどすべて見ています。年間観戦数は200試合を超えていると思います。気分は「無名の小林深緑朗」みたいになっています。

 そんな立場から、今回の南ア戦の勝利とその後の盛り上がりは、うれしい限りなのですが、「感動」「努力」「気合」「ハードワーク」みたいなかんじで、相変わらずラグビーがそういう「スクールウォーズのときそのまんま」な文脈で語られるのは、ちょっとさびしい、と思ってしまうことについて、すこし論じていきたいと思います。

 どんなスポーツでもそうですが、ラグビーは特に「知的でなければ強くなれない」競技です。その意味で、南アの世界一のスクラムハーフ、フーリー・デュブレアが、日本は知的であることで南アを打ち破ったというコメントは、まさにその通りです。
 今回、日本が対・南アにおいて、戦う前から完全に勝っていたポイントは、エディージョーンズvsハイネケ・メイヤー という監督の対決部分です。エディーさんはワールドカップの決勝戦を、二回経験している。そのうち一回は南アのアドバイザーであり、今回の南アのベテラン選手たちとは代表時代からサントリー顧問時代を通じて深くかかわっていた。それに対し、メイヤーは、ブルズ監督として、国内リーグとスーパー15監督としては「名将」であっても、代表として選手全体の人心を把握できておらず、かつワールドカップ経験では、「経験も格」もエディーさんの圧勝であったのです。エディーさんについて国内メディアの報道は、どういう指導内容で日本代表を強くしたか、ということに偏って報道されますが、エディーさんの強みはもうひとつあります。大会前からの記者会見での発言で、南アの監督や選手や審判団にまでゆさぶりをかけるような発言を繰り返す、「記者会見で戦える」監督という側面です。こういう監督は世界的にみてもほとんどいない、そういう監督なのです。(サッカー界のモウリーニョみたいなものですね。)。「南アは直前のテストマッチが不調だからナーバスになっている」「代表に日本をよく知る選手が多いから、日本をリスペクトしてベストメンバーでくる」「ヤニー・ディブレッシーはスクラムで審判みたいによくしゃべる。審判がちゃんと見てくれないと困る」みたいなことをいろいろいうわけです。野村監督が「イチローはバッターボックスから打つ時、足が出る・あれは反則だろう」みたいなことを日本シリーズ前に言うとか、「カールマローンのフリースローは10秒以上時間かけているだろう」とNBAファイナル前に言う、みたいな嫌な感じのゆさぶりを記者会見で言う。「今度の試合を南アの練習試合にはさせない」と言うことで、メンバーをどうしよう、という点について、南ア監督をゆさぶった結果が、南アの選手起用と、起用された選手に微妙な迷いを生じさせたように思います。
 ゲーム内容における「知的さ」ということで言えば、試合時間80分のストーリーを描いての作戦の緻密さ、という点でも、日本は南アを圧倒していたと思います。後半の選手交代は、日本は、シナリオ通りであり、それぞれの交代選手が、どういう狙いで、何をするために出ていくかが明確に意識づけられていただけでなく、交代の意味とそれによる戦術変化が、フィールドでプレーしているチームメイトにも完全に共有されており、交代によりチーム力が上がる、混乱がまったくおきない、という点において、日本は、圧倒的に勝っていたと言えます。
 もうひとつは、審判、反則への対応での勝利。今大会は、TMOが多用されるだけではなく、「ホークアイシステム」という補助カメラシステムで、審判を欺くような反則、密集内で首に手をかける反則を厳しくチェックするという申し合わせがなされています。こうした審判の方針と技術への対応でも、日本は明確に優位に立っていました。南ア戦の主審を、直前のテストマッチに招へいし、笛の傾向をつかんでおくという対策までしてきました。その結果としてタックル後のロールアウェイをとにかく徹底し、反則を取られないようにするという規律と意識の高さで南アを圧倒していました。このあたりについて、南アは全く対応できておらず、ノットロールアウェイの反則を取られ続けることに明らかに苛立ち、「審判とも戦う」状況になっていました。これが最後のシーンのシンビンにつながり、決勝点の伏線になっていたのです。

 また視点を変えますが、南アの現役代表を大量にトップリーグに呼んできたことも、もしかするとこの対戦の対策だったのでは、と今になると思えてきました。ほんの3年前くらいまでは、トップリーグで活躍する外国人選手はニュージーランド人が主流で、次にオーストラリア人。南アの代表クラスはほとんど来ていなかったのに、ここ二シーズンは南アの代表クラスが大挙して日本に来て、チームメイトとして一緒にプレーしています。このことが、明らかに「日本にプラス、南アにマイナス」に働いたと思われます。
 「日本にプラス」はわかるけれど、「南アにマイナス」ってどういうことか、ということについて、説明したいと思います。

 南アのラグビーの強みは、変な言い方ですが、ある種の「乱暴さ」にあると、私は思っています。単に体格が大きいということではなく、NZのような洗練された技術や、オーストラリアの基本に忠実で真面目なラグビーに対して、全員ではありませんが、メンバーの中の何人かが「狂気をはらんだ凶暴さ」をときどき発揮する、そういう怖さが南アのラグビーにはあると思います。今回はキャプテンから外れましたが(須藤さん指摘ありがとうございます。チャンピォンシップではキャプテンを務めていた)フォワードリーダーのスカルクバーガーは、そういう南アのラグビーを象徴する選手だと思って、ずっと見てきました。日頃は気のいいやさしい好青年。別に常日頃から乱暴者なわけではないのに、気合が入ってプレーをするとき、とんでもなく乱暴なことをしてしまうことがあります。(密集で相手の目に指を突っ込んで、シンビンではなく退場になったこともありました。)NZのラグビーが、あくまで「ボール」に対して働き掛ける意識がものすごく高い(ので、NZ人はものすごく上手に相手のボールをもぎとります。)のに対し、「相手のカラダ」に強く働きかけようとする意識が強いと思います。
 「普段は気がいいのに、ゲームになると無慈悲に相手のカラダに破壊的に働きかけてくる」というプレーは、相手を「仲間」だと意識してしまうと、どこかに心的ブレーキがかかるのではないか、と私は思っています、本気で行っているつもりでも無意識に冷酷さにすこしだけブレーキがかかる。
 4番のデヤーグや交代で入ってきたストラウスなどは、日本とのかかわりがないので、南アの良さの「無慈悲な当たり」で豪快なトライを取ってきましたが、日本で、サントリーやパナソニックで日本選手と「仲間」になったスカルクバーガーやJPピーターセンは、もちろん全力でプレーはしていたのですが、どこかに「仲間としてのリスペクト」を持つことで、本当の意味での強みの「破壊的冷酷さ」を発揮できなかったように、私には思えました。エディーさんが繰り返し「南アは日本をリスペクトしている」と繰り返すことは、挑発しているようで、実は「格下の雑魚をぶっ潰す」という冷酷な凶暴さを封殺し、「人間対人間、対等なラグビー仲間同士の戦い」という意識に、南ア選手をマインドコントロールしたという側面があると思いました。なんというか、強さはあっても凶暴さのない、紳士的なプレーを、南アの特にベテランたちはしていたように思います。全員がデヤーグやストラウスみたいに「無慈悲にぶっつぶす」意識でプレーされたら、日本はもっといやだったと思います。選手選考も、ベテランよりも「若手のイキのいいやつで」と来られた方が、日本は嫌だったと思います。このあたり、監督の選手選考も、選手の意識も、エディーマジックにまんまとはまった、というのが、今、国内メディアではあまり論じられていない、勝因のひとつであると思っています。

ラグビーワールドカップと安保国会 TMOと武士の情け [スポーツ理論・スポーツ批評]

TMOと武士の情け。

ラグビーワールドカップ イングランド大会が昨夜始まった。
開幕戦は開催国かつ優勝候補の一角イングランド対フィジー。フィジーはときどき大番狂わせを起こす曲者なので、開幕戦で開催国を食うのではないかという期待感(イングランド地元ファンとすれば嫌な予感)を孕みつつ、ゲームはスタート。イングランドが着実に点を重ね前半25分を過ぎ15-0。このまま一方的になるかと思われた27分過ぎ、フィジーの快速スクラムハーフが自陣センターライン付近でのスクラムが回転してボールがスクラム外に出た瞬間、ボールをつかんで走りだし、ライン際に飛び込む。イングランドバックス二人がタックルしてからみつくも、雨に濡れた芝を利用し、すへり混みながら、バスケットのダンクシュートのようにゴールライン上にボールを叩きつけ、見事なトライ。レフリーも走って追いかけながら、遠目には明らかなトライだったので、右手を上げトライを宣言。盛り上がる場内にはリプレーが流れる。が、しかしアップでトライシーンを撮った映像が流れると、ダンクシュートのように片手で地面にボールを叩きつけようとする直前、ボールが手から離れている。つまりノッコンである可能性が高い。その映像を見た主審、いったんトライを宣言したにも関わらず、TMOを要求。結局ノッコンでノートライになった。その後もフィジーは流れをつかみきれず、終盤イングランドの連続トライをゆるし、33対11と、実力差通りの結果に終わった。
 開幕第三戦はアイルランド対カナダ。カナダはかなり格下で、アイルランドは今年のシックスネーション優勝北半球王者で優勝候補の一角。前半終了間際まで29-0と一方的にリード。40分を過ぎ前半ロスタイム、やっとアイルランドゴール前まで攻め込んだカナダ、ゴールポスト下あたりから左サイドにボールを展開するロングパスが飛ぶ。スクラムハーフ日系人ヒラヤマがボールをキャッチする前にアイルランドディフェンスが詰めてくると見るや、ヒラヤマはタックルされる前に飛んでくるボールを直接タップしてライン際でフリーになっていた俊足ウィングにボールを送る。転がったボールを拾ったウィングが見事にトライ。したかに見えた。しかしここで主審が、タップパスがスローフォワードでないか(前に飛ばしていれば、タップだからノッコンにあたるのかも)をTMOで確認。結局スローフォワードでノートライになつた。

このふたつの幻のトライ、TMOがなかった時代なら、確実にトライだったと思う。ちょっと怪しいかなと思っても、格下劣勢のチームが、がんばりにがんばって上げたトライは、試合の流れに審判も乗っかって「トライにしよう」という文化がラグビーにはあったと思う。フランスワールドカップで地元フランスがニュージーランドを破ったときの逆転トライは、明らかにスローフォワードだったけれど、「会場の雰囲気」がトライにしてしまった、という事件も起きた。

 TMOは明らかに誤審を減少させた。判官ひいき、地元ひいき判定はでにくくなった。
ラグビーはもともとサッカーなどと比べると、実力差がはっきりと点に出やすい、番狂わせが起きにくいスポーツだ。実力差がちょっとあるだけで、弱者はワントライをとることさえ難しくなる。日本代表も強豪国相手に100点近い差をつけられて負けることはあったし、高校ラグビーなどでもそういう悲劇はよく起きる。そんな中で「武士の情け」トライは、試合の雰囲気を救うラグビー文化のひとつだったと思う。しかしTMOの導入により、公正さは増したことは間違いないのだが、「武士の情け」トライが撲滅されてしまったことで、ラグビーは「強者が必ず勝ち、弱者は「一矢報いる」トライを誇りに持ち帰る、ということさえも許されない、冷酷なものになりつつある。

 ワールドカップ開幕のわずか一時間ほど前、日本では安保法制が可決する直前、最後の抵抗を試みる民主党福山議員は、参議院本会議で、一人15分と制限された時間を超えて演説を続けた。それに対し与党議員から「時間を守れ」「ルールを守れ」とたびたびヤジが飛んだ。福山議員は、より大きなルール違反を指摘して抵抗しつつ、たびたび「君たちには武士の情けはないのか」と叫んだ。

 圧倒的数の差の中で、弱者少数派が声を枯らして訴えているのだ。法案が可決されるという勝敗はすでに決っている中で弱者少数派が最後の訴えをしてるのだから、時間制限というルールを多少曲げても、最後まで意見を聞くという「武士の情け」はないのかと訴える。

 武士の情けというのはつまり、「弱者に対してはルールの適用を甘くする」ということなのだ。ルールの適用を強者にも弱者にも公平にすることが、本当に公平なことなのか。

 高校ラグビー花園大会では、強者の前に100点差をつけられてしまうようなゲームも起きるので、武士の情けトライはあってもよいような気がする。しかし、そうした曖昧さを許すと、大会も終盤を迎えたところで「強者同士のシビアな争い」の中で、地元関西勢にほんのすこし有利に笛が吹かれる「関西の笛」問題が許容されてしまう、という問題が起きる。

 政治においてはMajority rules,Minority rights=多数決の原理は、少数者権利の尊重とともに行う、という原則がある。民主党があそこまでの「少数派」になってしまっていること、「武士の情け」を請わねばならない状況について考えつつ、さて、これから始まる南アフリカ対日本を応援することにしよう。

 武士の情けトライを期待しなければならないような一方的展開になる可能性はかなり高いと思う。そんなこととは無関係に、南アを追い詰めるような試合ができるのだろうか。


追記

なーんてぶろぐ書いた後、日本、堂々と勝ちましたー。判定も日本びいきなんてところ、ひとつもない、まったく初めから堂々と互角に戦い、判定も公正、むしろ日本のモールのトライかどうかが認められず、なんてことまであったのに勝ちました。日本代表のみんさん、エディーさん、゜コテンパンにやられる可能性が高い」なんて失礼なこと書いてごめんなさい。南アを追い詰める上に、最後に勝ちました。南アの選手、監督、そしてスタジアムの南ア観客の青ざめて凍りついたような表情が、今日の日本が本当に強かったことを雄弁に物語っていました。予想が外れて超幸せです。

スティーブ・カーとステファン・カリー NBAファイナルに寄せて [スポーツ理論・スポーツ批評]

今期のNBAファイナルは、メディア上ではステファン・カリーVSレブロン・ジェームスの新旧MVP対決!という話題で盛り上がっていたが、私個人的には、スティーブ・カーの采配、というか「スティーブ・カーの夢、やりたかったことの実現」と、その素材としてのステファン・カリーいう点に興味の中心があって、ずっと見ていた。
 スティーブ・カーと、ステファン・カリー。日本語表記通称だとスティーブとステファンだが、どちらも同じstephenだ。そして191センチの身長、オールスターの3ポイントコンテストのチャンピォン、圧倒的に優れた3ポイントシューターという共通点を持つ。違うのは、カリーが、大学時代からプロのキャリアを通じてずっとチームのエースだったのに対し、スティーブカーは、プロのキャリアでは「3ポイントスペシャリストだが、控えのポイントガード」という、渋い脇役の立場にあったことだ。マイケルジョーダン全盛期のブルズに在籍し、後期三連覇では、決定的なシュートをたびたび決めたものの、なんといっても当時のブルズは、ジョーダンが毎試合30点以上を取り、ピッペンも20点以上を取り、残りをあとのメンバーがちょぼちょぼと分け合う、というチームだった。ポイントガードとセンターにエゴの強いスター気取りはいらない、というのがマイケルジョーダンのチームの鉄則だった。ポイントガードには派手なドライブも気の利いたアシストパスもいらない。自陣に球を運んだらマイケルに球を預けて、あとはせっせとトライアングルオフェンスのシステムにそって動き回り、最終的にはコーナーにまわって3ポイントの準備をしておく、というのがマイケルのチームのポイントガードの役割だった。複雑なトライアングルオフェンスのシステムも、最終的にマイケルの得点能力を最大化するために使うのだ。前期3連覇ではBJアームストロングとジョン・パクスン、後期ではロンハーパーにスティーブカー。もともとシューティングガードだったロンハーパー以外は同じようなタイプの3ポイントシューターだ。
 体の小さいポイントガードにも、古くはアイザイアトーマスから、ティムハーダウェイ、アレンアイバーソンなど、身体能力の高い攻撃型のポイントガードというのはいたが、ステファンカリーは彼らと比べると身体能力がさほど高くない。シューターなのだ。そして彼らのようなむき出しの闘争心とエゴ、というものが感じられない。得点をものすごく取る割に、エゴの強さを感じさせない。エゴの強さを感じさせない割に、最後の責任は全部自分が負う、という心の強さはある。
 この、「フィジカルはそれほと強くないが、きわめてすぐれたシューターであり、闘争心はうちに秘め、より知的である。知的なシューターがチーム最大のスターである。」というのは、もしかして、スティーブ・カーがなりたかったけれどなれなかった存在なのではないか。「もしそんな自分がチームの中心で、そして圧倒的に強いチームを作るとしたら、こんなバスケットしかない」とスティーブカーが温めていたバスケット。マイケルジョーダンもピッペンもいない、自分のようなタイプの選手中心のチームを作る、そしてマイケルがいるようなチーム(つまりレブロンがいるキャブスを)を倒すというのは、スティーブカーの長年夢見ていたことの実現なのではないかしら。
 今期、スティーブカーは、レギュラーシーズンからただの一度も3連敗しなかった。スティーブカーの分析力と選手の人心掌握術、戦術家としての優秀さは見事というしかない。ステファンカリーと並ぶ能力がありながら、チームのために地味な役割も果たすクレイトンプソン。スターターの力を持ちながらシックスマンにまわったイグダーラ。脇役としてシカゴブルズや(その後スパーズでも)優勝経験を積んだスティーブカーだからこそ控えも含めたチーム全員の気持ちを理解し、チーム全員のバスケットIQを上げることに成功できたのだと思う。
 シリーズの流れを決定づけた第4戦勝利の後のインタビューでイグダーラが「我々は今期、リーグで一番IQの高いバスケットをし続けてきた」と胸を張って答えていたことに、スティブカーがどういう意識づけを選手にしてきたかが、よく表れていた。「バスケットIQ」の勝負、という新しい競争をリーグに持ち込んだスティーブカーのウォリアーズ、今後、かつてのブルズのような黄金期、王朝を築くことができるのか。来季も楽しみで仕方ない。 

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