So-net無料ブログ作成
検索選択

『大人のためのメディア論講義』石田英敬著 を読んで [文学中年的、考えすぎ的、]

フェイスブックに書き込んだ内容に、少々追加しておきます。
『大人のためのメディア論講義』 (ちくま新書) 新書 – 2016/1/6
石田 英敬 (著)
 この本のAmazon内容紹介は出来が悪いので省略。著者紹介の方が内容の参考になります。『石田/英敬1953年千葉県に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授・同大学院情報学環教授(兼担)。情報学環長、附属図書館副館長を歴任。専攻、記号学・メディア論、言語態分析。特に19世紀以後のメディア・テクノロジーの発達と人間文明との関係を研究』
 ここから私の感想。80年代から記号論研究していた著者が、「終わった、流行遅れになったと思われている記号論」を、より大きな文明論的視座から意味づけし直し、現在の情報技術化社会の本質を読み解こうとした力作です。ニコ生ゲンロンカフフェ生中継で東浩紀と対談をしていたのがものすごく面白く、物書き修行中の長男から薦められて読んだところ、これは本当に面白かった。いや、面白かったではすまないです。突き刺さった。心に。
 フロイトの「『不思議のメモ帖』についての覚書」という文章から、ipadなど最新情報機器と人の脳、心、メディアの関係を論ずるというスリリングな導入部分。バロック時代のライプニッツに記号論の起源を求めての大きな視座での文明論メディア論。そして、現代に入ってのメディアの発達と記号論の盛衰の理由をよみといていく中で、80年代記号論の衰退と、ソニーなど日本の電子機器産業の衰退までがリンクして分析されていく中盤。マーケティング、広告PRなどが、人の脳の時間を取り合う「文化産業」としてどう成立し、デジタル化する中でどんな変化が生じているかを論じた「現代資本主義と文化産業」の章は、私の職業の成立基盤と本質的意味づけを容赦なくえぐりだし、おぼろげに考えていたことがはっきりと、残酷なまでに突きつけられます。それは、私が最近考え続けている課題と直接つながる次の章『「注意力の経済」と「精神のエコロジー」』で、さらに切実な問いへとつながります。(人は、処理できる情報量、時間に限りがある。デジタル化時代はその限界を超えている。政治的にポピュリズムが拡大するのも、そのことと関係があるのではないか、という私の問題意識と直につながります。)その中で紹介されている、著者の大学研究室で開発した批評プラットフォーム『テレビ分析の〈知恵の樹〉Critical PLATEAU』は、驚きのシステムです。電通はこのシステムについて、何か関係しているのでしょうか。していないなら、是非ともアプローチして勉強した方がよさそうですね。
 職業として広告業界のマーケティング屋を30年以上続けてきて、仕事としては一生懸命やってきたけれど、果たしてそれにはどういう意味があったのだろう。それは本当に、意味、価値のある仕事だったのか。世の中に何かを残す仕事なのか。何も残さなかったのではないか。ここ数年、自問自答しつづけてきました。おぼろげに、こういうことかなあ、と掴みかけていたことを、意識化、言語化できそうだ、という手がかりになる一冊でした。
 80年代に記号論や消費社会論をかじり、広告業界あたりに就職し、デジタル革命からは少し疎外されているように感じている、というような同年代の皆さんには、特におすすめ。

 ここからブログ版追記。著者についてネット上で検索すると、学生運動自体に新左翼セクトのシンパであったという情報がでてきます。私のブログでいちばん初めに触れたとおり、私の母の弟二人は当時新左翼全学連の委員長副委員長をしていました。石田氏は、まさにそのセクトの活動家またはシンパだったそうです。年長叔父の方はセクトを抜けて名前も変えて地方国立大学で医者になる勉強をし直していたところ、反対セクトに発見されてしまったのでしょう、内ゲバて死亡しました。1978年のことだったと思います。下の方はもっと早い時期、たしか1973年に、内ゲバに合って、頭を割られましたが、悪運強く生き残り、失踪して、生きて入ればまだ活動家をしているのでしょう。立花隆氏の新左翼についての著作の中に、兄弟そろって実名で登場します。叔父たちとはほとんどあったことも話したこともないのですが、小学校五年六年と、札幌の母実家(つまり叔父たちの生家)の近くに二年間だけ暮らした折、持ち主は不在の彼らの部屋に潜り込んでは、伝説的漫画誌ガロの膨大なバックナンバー(白戸三平のカムイ伝や、つげ義春の「ねじ式」など名作や、林静一など)を読みふけったり、ギター弾きだった年長叔父の井上陽水ソングブックなどを拝借したり、大江健三郎の小説などをかじってみたり、という形で、私の精神思想形成に(中味、というより気分的なものですが、)影響を与えた叔父たちでした。彼らは死んだり、地下に潜伏したきりになったりして、話す機会も全くないままですが、同世代の活動家やシンパたちの中には、石田氏のように大学で研究者になったり、あるいは電通のような普通に体制側の企業に就職したりして、今となっては、この社会の一部になった人も多いのだろうなあ。そんなことを考えました。そんな経歴の石田氏が、私の関心や職業に極めて近いところで、私の悩みや迷いにヒントを与えてくれる本を出してくれた。なんとなく、亡くなった叔父と話ができたような、そんな気分に、ちょっとなった。そういう意味でも、とても印象に残る本でした。