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逃げられるうちに、逃げるということ。電通を辞めた時のこと。

森山直太朗の「生きてることが辛いなら」を紹介しつつ、過労死問題と、自分が電通を辞めたころのことを書いたら、予想外にたくさんの方に読んでいただいたのですが、当時、同じ職場や寮にいた電通大阪支社出身(現・関西支社)の方々から、「当時、原がそんなにつらかったとは知らなかった」という反応があり、それはそうだよな、と思うところもあり、(かなり自分勝手な理由で、ぷいっとやめた、という印象を残していることは自覚していましたから)、そのあたりのこと、ちょっと補足的に書いておこうと思います。
大阪電通の人と、仕事で十年二十年ぶりに会って、「原って、奥さんが医者で、そんでもって、物書きになるって言って、電通辞めたんだよね。」と言われることがよくあります。そう、そういうことにして、自分も周りを納得させて、いちおう理由をつけて辞めたのでした。加えて、辞めると言い出す前の私が、けっこう好き勝手に働いていた、という印象を持つ人も多かったはずだしな、と思います。
当時の職場の人たちから見た私の突然の退職と言うのは、こんな感じだったはずです。
① 嫁さんが東京で女医をしていて、妊娠出産することになったので、原の方が退職して東京に戻って子育てをするということらしい。 (なにー)
② 原はもともと物書きになりたかったので、主夫、子育てをしながら、嫁さんに食わしてもらいながら、物書きのまねごとをするらしい。(うらやましい、けしからん)
③ 原は今回の移動で、M社担当のコピーライターになったが、そこでは、いちばん下っ端からのスタートかつ残業月100時間超の激務になるので、それがいやだからやめるらしい。(原の替りにその立場になる人間のことを考えろ。けしからん。)
④ 原は、ローテーション制度で営業局に出ていた時代に、クライアントの担当課長に気に入られて好き勝手に仕事をさせてもらえているT社の仕事があり、辞めた後も個人として仕事をもらって続けるらしい。(なんたる身勝手、ゆるせない)
どう考えても、生意気な若造が、自分の都合で周囲の迷惑を顧みず勝手にやめて、自由で楽しい生活をおっぱじめるとしか見えないですよね。辞めた後、非難轟々だった、と言う風に伝え聞いています。なので、大阪電通の人たちの反応が「本当に原、そんなにつらかったのか?」というのは正しい反応だと思うわけです。
しかし、当時の私の「自意識」における問題意識、つらさと言うのは、「間違って広告のクリエーターになってしまった」「あきらかにクリエーターとしては才能がない(後輩&同僚に広告づくりの天才たちが大挙して入社してきていて、自分にはそのような適性がない。)」「電通クリエーティブの働き方は、自分にまったく向いていない(長時間拘束されて、大人数と共同作業するのが耐えられない。)」ということ。できるだけ早く広告クリエーティブの世界から逃げ出すべきだ。残業時間が殺人的に長かったわけではないですが、間違った場所で合っていないことをやり続けていることのつらさに、もう耐えられなくなっていたのです。その先の本当にやりたいことが「物書きかどうか」ということも、「嫁さんに食わしてもらうかどうか」も、そんなに真剣に考えていたわけではなく、ともかくここから逃亡しよう、ということだったのです。
現在も広告業界で仕事をしていますが、ストラテジックプランナーとして働いており、拘束時間がものすごく長いクリエーター的働き方には関わらないようにして電通退職後の28年間を生きてきました。(専門的に細かく説明するなら、マーケティング分析をして、クリエーティブ企画プレゼンまではクリエーターに助言するが、演出コンテ提案以降の純粋にクリエーティブ的プロセスには一切付き合わない、というのが、私の働き方で、当然ロケも編集も、一切関わらないのです。フリーランスになってからはタレントと会話したことも、海外ロケに行ったことも一回もありません。地味な仕事を淡々とこなしてきました。地味ですが、クリエーター時代のような辛さを感じたことは28年間、ほとんどありません。徹夜、休日返上はありますが、忙しくても、向いていることを自分のペースでできるので、辛くない、ということでしよう。)
今回の予想外の反響からわかるのは、本人が感じるしんどさ辛さと、周囲から見えるその人の状況というのはギャップがあるということです。それなりになんとかこなしているように見える人や、忙しいながらも楽しんでいるように見えている人が、急に死んだり辞めたりする、ということが起きうる、ということなのだと思いました。
上司や管理者に対する教訓として言うならば、周囲から見て、明らかに辛いことに耐えに耐えている、という人だけが、死んでしまうわけではない、ということです。電通の人間はプライドが高いですから、SNSで自虐ギャグを書き込むくらいの余裕はあるよ、という振りをしていた人が、いきなり限界を超えて壊れてしまうということです。
苦しんでいる本人に言えることとすると、「周囲に明らかに頑張っている、耐えに耐えている、限界まで頑張っている」とアピールした後でないと、休んだり病院に行ってはいけない 、というわけではない、ということです。むしろ、「周りからどう見えていていようとも、(周囲からは全然辛そうに見えなくても)自分が無理だと思ったら、早めに逃げた方が良い」ということ。逃げる元気があるうちに、逃げろ、ということではないでしょうか。
私が死なずに生き延びたのは、周囲の人が「自分勝手な若造が」と思うくらいの段階で逃げだしたからです。「周囲の人から見ても明らかに悲惨」な状態まで耐えていたら、逃げ出す元気もなくなって死んでいたかもしれないなあ、と思います。
ちなみに、奥さんは(次々に六人も子供ができたために)医者は研修医までですぐに辞めてしまったので、奥さんに食わせてもらう野望は達成されず、私の稼ぎでここ最近までは生きてきました。奥さんは50歳になって、やっと医者に復帰して働きはじめました。なので、そろそろ私も、物書き修行を始めようかと思っています。

生きてることが辛いなら。電通過労死によせて。 [文学中年的、考えすぎ的、]

今回の電通の事件、亡くなられた方のことは直接は知らないのだけれど、思った以上にひどくショックで、ずっと考えている。それは今も電通と仕事を続けていて、若い電通社員に厳しいことを言うことも多くて、(電通の管理職の皆さんはパワハラについて厳しく会社から言われているから、若手社員にすごく気をつかっていて、厳しい指導もできなくなっている。その分、私のような、OBで社外のフリーランスの人間が、若手に厳しいことを言う役回りになったりしている。)セクハラおやじではないつもりだけれど、面倒くさいパワハラオヤジだとは思われている自覚はある。その一方で、電通を辞めた時の、28年前の自分、25歳のときの自分は、電通の過酷な働き方に耐えられなくて辞めたわけだし。(いろいろな実績を残してから、優秀だから独立した多くの同期の人たちとは全く違って、僕は何の実績もなくて、単につらい仕事から逃げ出すためだけに、電通を辞めた。)「辞めます」と上司に伝えてから、本当に退職するまで3か月かかって、(その上司には、何の実績も実力もないお前が辞めても、仕事なんてないぞ、と言われた。)その間、仕事もないまま、ぽつんと机に座っていた。周囲の人の視線が「電通人としては自殺した人」なのに「幽霊のように職場をうろついている人」として僕のことを見ているなあ。そう感じながら過ごした3か月、不思議な感覚だった。辞めると言い出すまでは、朝、起きられず、独身寮で皆が出勤する足音を聞きながら、どうしても部屋から出られなかったり、首と肩が痛くて左手の握力がほとんどなくなったり、毎日じんましんが出たりしていのだけれど。辞めると言ってしまってからは、なんだかフワフワと楽ちんな気持ちになった。
本当に疲れてつらくなると、「今日は休みますと会社に連絡する」とか「病院に行く」勇気も気力もなくなるものだけれど。「死ぬ」よりは「会社やめる」方がいいよ。と若い人には伝えたい。
この森山直太朗の歌「生きてることがつらいなら、いっそ小さく死ねばいい」という歌詞が、発表当時、自殺の薦めか、といって大批判を喰ったのだけれど、「小さく死ぬ」というのは、社会的に死ぬこととしての「会社辞める」とか、いじめならば「転校しちゃう」とかいうことだと僕は思っている。歌の歌詞を最後まで聞けば、そういうことだと思う。本当に死んじゃわないで、小さく死ぬ。せっかく入った電通をすぐ辞めちゃうって言えば、親も恋人も悲しむかもしれないけれど、3日もすれば元通り。そうやってとにかく生き続けていれば、その先楽しいことも絶対あるよ。
先にシェアしたいろいろな投稿でも、電通の、というか広告代理店の仕事の仕方はそう簡単には変わらないと思うから、(クライアントがいて、締切があって、正解が無くて、勝ち負けがあれば、期限ぎりぎりまで時間の限り頑張るしかない。)。電通を「ブラック企業だ」と批判しても、すぐには働き方は変わらないと思うから。合わないときは、本当に死んじゃだめだよ。「本当に死ぬ」んじゃなくて「小さく死ぬ」のがいいと思います。