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三男の高校柔道と、アン・チャンリンの柔道の美しさ [スポーツ理論・スポーツ批評]

ラグビーワールドカップ時期に、長男次男の高校ラグビー時代の思い出を書いたので、今回は、三男の柔道の思い出「親ばか」ブログを書いておきたいと思いたった。

先日来、何度かフェイスブックで、Jsportsで放送中の柔道の世界大会に出場している韓国のアンチャンリン選手や日本の丸山剛毅選手について触れながら、三男が桐蔭学園柔道部時代に、アン君や剛毅先輩の練習パートナーや、試合の付人をしていたことに触れた。
アン君は今や73キロ級の世界ランク一位、剛毅先輩も、81キロ級ではオリンピック代表争いに顔を出す日本のトップ選手になっている。一方、うちの三男は「神奈川県内でベスト8がやっと」くらい。全国からスポーツ推薦で集まってくる桐蔭柔道部の強豪選手の中で、普通に受験勉強をして桐蔭に入り、好きで柔道部に入っている、非推薦組。「いちばん弱いグループ」「主力選手の世話、部内の雑用をしながら部活生活を送る」とういうタイプの子供だった。

 とはいえ、というのがこの文章の「親ばか」たるところなのだが、柔道技術論的に言うと、うちの息子に何のとりえもなかったかというと、そういうわけではない。時代遅れながら、中量級重量級としてはほとんどいない、古典的な背負い投げの柔道をしていたのが三男の特徴だった。現在のアンチャンリンの試合を見ながら、アン君の今の柔道の中に、息子と練習した痕跡、三男の背負い投げの形を見てしまう、というのが、このブログで書いておきたいこと。

 現在のアンチャンリン選手は「背負い」「袖釣り」という担ぎ技を中心として、小内刈り、韓国背負いを組み合わせた切れ味鋭い「担ぎ技系の美しい柔道をする選手」とJsportsでも常に解説されている。が、高校時代のアン君が「背負い、担ぎ技」の選手だったかと言うと、けしてそうではない。背負いとは別系統の変則技としての「韓国背負い」と、小外、内股など、やや変則的な組手からの技を組み合わせた「総合力」「現代的スタイル」の選手だった。

 現在の世界の柔道のトレンドというのは、古典的な日本の組手、相手の前襟と袖を釣り手引手できちんと持って足技と背負い投げをかける、という柔道をする選手は少ない。
脇を差す、背中を持つという変則的な(すもうのような形になったところから)内股や大腰、釣り込み腰と、その逆技、裏投げや小外がけなどをかける、という形が多くなっている。阿部一二三とか、ベーカー茉秋などの若手、軽量級の天才・高藤も、そういう形になることが多い。アンチャンリンも、高校時代はそういう形に近い「流行最先端スタイル」の柔道だった。

 うちの三男が「弱かった」のは、そういう現代的「背中を差して内
股」柔道がまったくできず、というかやる気もなく、古典的な組手での、背負い投げ柔道だけをただひたすら愚直にやっていたためだった。「差して内股柔道」というのは、「パワーと勘と運動神経」に優れていないとできない。これに対し、古典的背負い柔道というのは「非力なもののとる戦術」「反射神経や勘」にも恵まれていない者が取る戦術であり、「技術=身体操作の高度化」だけが生命線の柔道なのだ。

 先日NHKでオンエアされた、引退直後の野村忠宏が、スランプに悩む若手、阿部一二三を指導する番組も、「背負いの技術と身体操作を極めた野村」が、「差して大腰柔道の阿部」に、柔道ってそんなもんじゃないぜ、と指導する番組だったので、それを見ると、私の言うことが理解できるのではないかと思う。野村は「反射神経と勘」も天才的だったが、パワーに優れているわけでもなく、むしろ背負い投げの身体操作と技術を磨きぬくことを柔道の核に据えた柔道家だったと思う。

 桐蔭学園の柔道部は、基本的にかなり個々で完成したスタイルをもった選手が全国から寄り集まってくるために、「桐蔭スタイル」というような固有の柔道スタイルは基本的にない。とはいうものの、「背負い柔道」に関して言うと、稀代の天才、秋本啓之選手の背負いの技術が後輩に受け継がれており、粟野靖忠から高上選手と、軽量級の選手には「秋本背負いのエッセンスの継承者」がいる。中学から高校初めまで桐蔭で柔道をやっていた長男は中学時代に、秋本先輩から直接指導されたこともあるし、粟野君とは高校の初めだけだが、同級で練習をともにしていた。長男が会得した桐蔭の背負いの伝統、技術を、我が家の柔道場で、小学校中学校時代から注入されたのが、三男の柔道の原型になっているのだった。

 三男は90キロ級を主戦場にしていたが、本当は体格的には73キロ級が妥当な体格だった。身長163センチ体重は74~5キロだった。しかしたまたま、当時の桐蔭学園は73キロ級と81キロ級の選手層が異様に厚かった(後の世界ジュニアチャンピオンやインターハイ優勝者が同階級に複数いる、というような状態だった)ために、この二階級ではまったく対外試合に出ることができない。このため、試合直前に無理やり大量に食べることで、普通にしていると74キロくらいの体重を、82キロまで上げて、90キロ以下級に出場していた。
本来の体格が73キロ級の選手が、単に直前バカ食いで90キロ級に出れば、体格でも筋力でも圧倒的に不利なわけで、この状況では、「パワーで劣っても勝つ」ためには、桐蔭伝統の背負いを、ただひたすら磨くしか道はなかった。
 こうした不利な条件で出場した90キロ級の神奈川での大会でも、高校一年の高校選手権予選と、高3の国体予選の二回、県でベスト8に勝ち残っているので、三男はけしてそんなに弱かったわけではない。神奈川県においては、ベスト8の選手はほとんどが桐蔭と東海大相模の、中学時代から全国レベルで実績のある選手たちなので、これは「桐蔭、東海大相模の中では弱いが、それ以外のすべての県下高校馬柔道部員には絶対負けない」という水準までは強くなった、ということなのだ。

三男のもうひとつの特徴は「受け」「投げられ役」が、ものすごく上手だった、ということがある。これは、「強くない自分が、先輩たちの練習の邪魔をしないためには、まず受けとして上達しなければならない」ということを、高校に上がった時点で自覚したせいだ。(今も73のトップ争いをしている、二年先輩の西山雄希先輩の打ち込み相手をさせられたときに、「受けが下手で調子が落ちる」と怒られたことから、どうやったら先輩の調子を落とさない受けができるかを研究した、と本人は語っていた。)。受けとして上手い、というのは、単にひょいひょい投げられればいいというものではない。取り(投げ手)が正しく動作しているときには豪快にきれいに投げられバーンと大きな音で受け身を取る。相手の動きが変な時にはそれを感じ、どこがどう違和感があるかを伝えたり修正したりしながら、調子を整え、気持ち面も上げていくという、「ブルペンキャッチャー」のよう固有の技術ノウハウがある。
トップ選手の投げ込みというのは、それは一般人の常識を超えた速度と威力があり、間近で見ていると三男の体が壊れてしまうのではないかと、親として心配に思うほどであった。
三男卒業のときの、後輩からの色紙寄せ書きには、後輩で全国強化選手だった岡田敏武君から「先輩なのに打ち込みで受けをたくさんやってもらってありがとうございました。先輩の受けはとても上手した」と書かれている。先輩の剛毅さん、同期のアン君だけでなく、後輩の岡田君や、小中高すべてで日本一になった山本幸紀君など、いろいろなタイプのトップ選手の技を体で受けた数と質では、三男は本当に日本一だったのではないかと思う。

 試合に付人で行ったときは、アン君がひたすら三男のことを投げ込むだけだけれど、普段の高校での練習では、「受けと取り」は交互に行う。そんなわけで、軽量級には伝承されていても、中量級以上では少なくなっていた「純粋な桐蔭型の背負い投げ柔道」を、たまたま練習パートナーを三男がしていたために、アン君は日常的に体で受け止めていた、と思うのだ。
 もちろん、その時点での三男の技からアン君が何かを直接学んだ、などという大げさなことを言うつもりはない。アン君は、秋本、粟野両先輩同様、筑波大学に進学した。アン君の「背負い型」へのモデルチェンジ自体は、筑波大に行った一年間に、こうした先輩たちとの練習の中で本格的に行われたのだと思う。その結果、大学一年での学生体重別で、東海大の橋本壮一を背負いで下して学生日本一になった。そしてアン君は五輪韓国代表になるために、韓国の龍仁大学に転校していった。

 「変則差して内股柔道」がはびこる世界の柔道界の中にあって、今や、アンチャンリンの柔道は、古典的かつ伝統的な、「日本の柔道が理想とするような」美しさで異彩を放っている。Jsportsで解説をする先生方も、その柔道の美しさには、「ライバル韓国の選手」ということを超えて、「日本柔道の伝統の上に咲いた美しい花」としての賞讃を送らずにはいられない。その言葉を聞くたびに、親ばかな私は、「その陰に、三男の背負いがあるんだよな」と思うのである。

ちなみに三男は、今、早稲田柔道会というサークルで柔道を細々と続けている。そこを主宰する柔道ジャーナリスト古田先生の紹介で、Jsportsで放送する柔道世界大会(各地でのグランドスラムやグランプリ)の元となる試合映像を見て、試合結果、決まり技を判別して記録するというアルバイトをしている。アンチャンリンの活躍を、今はそういう立場で見て、応援しているのだ。

以下のJsportsの記事でアンチャンリンの写真が見られます。http://www.jsports.co.jp/press/article/N2016020414522007.html