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五郎丸のタックルと、長男の思い出。

五郎丸のタックルと、長男の思い出。

 長男、次男がかつてラグビーをやっていたのが、私がラグビーを真剣に見始めたきっかけ、というのは、前回のブログで書いた。長男と次男ではラグビーとの関わりがずいぶん違う。
 長男から三男まで、小学校時代はみな柔道をやっていた。小学校時期の柔道というのは、市内から県くらいのレベルの試合や団体戦はすべて体重無差別で行われる。全国小学生大会個人戦だけ体重区分があるが、六年生で55kgを境に軽量級と重量級がざっくりふたつに分けられるだけである。長男と三男は「肥満児」妻の遺伝子を受け継ぎ、チビではあるが、太っていたので、体重的ハンディをあまり感じないで戦うことができた。しかし、二男だけは私に似たために、チビなうえにやせっぼちという大きなハンディをかかえて戦うことになった。6年生のときの体重で言えば、長男が55キロくらい、二男が32キロ、三男が65キロ、というところだろうか。長男は相模原市内では最強、三男も市内大会では、後に東海大主将、全国大学選手権100キロ級王者になる長沢憲太以外には負けない、市内二番目に強い男になった。二人とも、県内ではベスト8くらいだが、中学で体重別になり、本格的に鍛えれば、もしかすると全国も狙えるかも、というレベルの力だった。しかし二男だけは、軽量の悲しさ、技術的には兄に遜色ないレベルにあったのだが、ときどき市の小さな大会で三位入賞する程度、兄との戦績の差に悲しい思いをしていた。
 長男と三男は中学から柔道の強豪校、桐蔭学園に進学した。(といっても、柔道部には全国レベルの実績を持つ子のみがスポーツ推薦で集められるので、そこまでの実績を持たないうちの子たちは普通に勉強をして受験をし、「一般入学組」として柔道部に参加することになる。)
 一方、柔道で兄弟と比較されるのがいやだった二男は、桐蔭学園、中等教育学校にも合格するのだが、柔道部のない、制服もない、共学で楽しそうな公文国際学園に進学することを選んだ。柔道の呪縛、兄との比較から解放されたかったのだろう。そこで、さほど深い考えもなく、はずみのようにラグビー部に入部する。生徒数が少なく、(一学年160人、共学なので男子は80人しかいない)ので、ラグビー部人数はチームが組めるぎりぎり。「弱小」部かと思いきや、ここでまた桐蔭学園との不思議な縁が続く。公文国際学園のラグビー部監督は、かつて桐蔭学園ラグビー部でアシスタントコーチを務めた新堀先生だった。公文国際学園が新設されたときに、「ラグビー部を作り顧問に就任」することを条件に学校創設から育ててきたラグビー部だったのだ。新堀先生は筑波大学の出身。大学時代にラグビー経験はない。桐蔭学園でラグビー部の指導を手伝う中で、独学でラグビー指導理論を徹底研究。それを自由に実践する場を求めて公文国際学園に来た。少人数かつ経験者の全くいない公文国際学園ラグビー部を関東大会にときどき出場できるまでの強豪校に育て、ラグビーマガジンの指導法紹介ページで取り上げられたこともある名監督だったのだ。
 二男は体が小さかったとはいえ、実はラグビーと柔道は体の使い方に共通点が多い。チビでやせっぽちで(ここまではわたしそっくり)そのうえなぜか走るのが遅いにも関わらず、新堀先生の指導にぴったりはまり、チームの主力選手として成長していった。高度な技術スキルと、何よりも高い競技理解を獲得することで、(公文国際学園の中学ラグビー部員は、同時に鎌倉ラグビースクールにも所属して基本からラグビーを叩きこまれるのだが)、中三のときには「県ラグビースクール県選抜候補」にまでなる。二男だけでなく、この時期、公文では、基本技術とラグビー理解の高い選手がたくさん育っている、二男の代の主将北澤くんは早稲田の名門ラグビーサークルはG&Wでも主将を務めることになるし、スクラムハーフ小野君は上智大学ラグビー部主将になる。一年下の学年では、早稲田体育会ラグビー部のAチーム、16番をつけて公式戦にたびたび登場するプロップになった光川君、慶応体育会ラグビー部でAチームには上がらなかったものの4年間やりぬいたスクラムハーフ掛橋君、ウイングの平木君を輩出した。この時期の公文国際学園ラグビー部、新堀先生の指導内容がいかに優れていたかがうかがい知れる。二男たちとその下の代によって組まれたチームは、関東大会出場チーム中、最少人数かつ最軽量であったものの、関東新人戦県予選優勝、関東大会県予選準優勝、(ただし最後の花園予選はシードされたのに初戦敗退という残念な最後であった)という県内で「シード校」の強豪チームであった。
 一方の長男とラグビーの出会いは高校の秋になる。二歳違いの二男が中学でラグビーを始めた後である。
 まず、初めに、長男は「桐蔭学園中学校」に入学したのだが、入学直後に、成績優秀者だけを「桐蔭学園中等教育学校」という別学校に分ける、という、学校都合の制度改革に翻弄されることになる。桐蔭学園は20年ほど前、一時期東大合格者数全国一になったのだが、その後マンモス校化を進める中で進学成績は急降下。中学受験で言えば偏差値45くらいの中堅マンモス校に成り下がってしまった。そんな状況を打開しようと、単に「進学コース」を作るのではなく、文科省が新設した「中高を完全にひとつの学校にする中等教育学校制度」を利用し、同一敷地内にまったく別の学校を作り、そこを進学特化校にするという改革を行った。もともと勉強のできた長男は、中等教育学校一期生となった。(以下、中等、と略します。高校の年齢になっても、呼び名は「中等」です。高1は中等4年、高3は中等6年です。)
 ところで、別学校ということは、スポーツチーム、部活動も別チームとなるのか?という点が問題になった。桐蔭学園には柔道だけでなく、ラグビー、サッカー、野球、剣道など日本一経験のある名門部が多数あり、「勉強でも東大を目指すが、スポーツでも全国を目指したい」という文武両道志向の生徒が多数集まっているのだ。桐蔭中等教育学校に入ってしまうと、桐蔭中学校、桐蔭高校の生徒とは同じ部としては活動できなくなるのか。本人も親も心配、混乱した。
 この問題について、中体連と高体連で、見解が異なった。中体連は「同じ敷地にある学校で、練習も一緒にしているのだから、合同チームとして両校でひとつのチームにしていいよ」となったが、高体連は「あくまで別チームにせよ」ということになった。このことが、長男の柔道部生活、ラグビー部移籍に大きく影響してくるのである。
長男は中学時代、個人戦81キロ級県準優勝、関東大会には出場したもののの、全国大会出場は逃した。県決勝で負けた相手は、全国屈指の強豪道場、朝飛道場出身、この年の中学タイトルを国士舘とすべて分け合った六角橋中学校のエースの英(はなぶさ)君。(今年の世界選手権の100キロ級世界王者、羽賀龍之介君が、朝飛道場、六角橋の後輩だ)。英君は中二のときから全国大会上位に入賞し、全柔連全国強化選手に選ばれている。横浜市決勝でも県大会決勝でも長男は英君と激突。団体戦でも桐蔭学園チームの中堅として、常に英君と激突してきた。しかしどうしても英君には歯が立たない。どうやって英君に勝つかをただひたすら考えて努力する中学の柔道生活を送ってきた。
高校に進学すると、なんと、その英君が桐蔭柔道部に入学してきた。英君だけでなく各階級の全国大会優勝者、上位者が高校から大挙して入部してきた。全国大会優勝するような子たちと、自分との間には、越えられない壁があるように長男は感じた。その上、長男は柔道部の中でただひとり「桐蔭学園中等教育学校」所属である。「桐蔭学園高校」とは別の学校の生徒として、ただひとり練習にも試合にも参加することになる。当然、団体戦に参加することもない。それだけではない、桐蔭学園の生徒は、県大会に出場するにあたってさえ、厳しい校内予選を勝ち抜かなければ試合に出られない。全国大会上位の実力者であっても、校内予選で負けて対外試合に出られない仲間や先輩も多い。そんな中「ひとりだけ中等教育学校」である長男は、実力的にははるかに下であるにも関わらず、別学校、別枠扱いなので校内予選なしに公式試合に出られてしまう。事情がよくわからない先輩や同期から「あいつ、弱いのに、なんで試合に出てんだよ」という批判、いじめとは言わないまでも、一人だけ浮いてしまう雰囲気になる。そんな孤独感にも耐えられず、長男は、高1の一学期で柔道に挫折した。夏休み終わりから次第に練習に出なくなり、二学期には退部してしまった。
一方、桐蔭中学から高校に上がるときに、ラグビー部でも、「中等教育学校」問題は噴出していた。中学時代、「中学校」と「中等」はひとつの「桐蔭学園」チームとして、東日本の中学最強チームとして君臨してきた。そのレギュラー部員の中にも数人の「中等」生徒がいた。高校になり、さあ、花園を目指すぞ、という段になり、「中等」生徒は、桐蔭学園高校とは一緒のチームでは大会出場はできません、となったのだ。活動場所を失った中等教育学校4年生の(学年的には高1相当になった)ラグビー部員たちは、中等教育学校としてのラグビー部発足を求めて活動を始め、他の部活でも活動場所をなくした生徒に声をかけ始めた。
そして、柔道部をやめて、勉強もやる気がなくなり、ぶらぶらしていた長男に、中等ラグビー部の発起人、中村君(後に青山学院理工ラグビー部主将)が声をかけてきた。「ラグビーやろうぜ」。
 ラグビーという競技理解がまったくない長男は「太って背が低く力が強い」人間ができるポジションということで、当然のようにフッカーをやることになった。実は柔道時代に頚椎を痛めた古傷があるので、スクラム一列目は危険だったのだが、当時はそんなことは考えていなかったようだ。
球技の中でも、ラグビーはルールが複雑だ。そもそも、ゲームの多様な場面において、その瞬間に「どこに立って、どっちを見て、何を考えているべきなのか」「何はしていいが、何はしていけないのか」を理解できるようになるのに、かなりの経験を要する。単に文章で書かれたルールだけでは、よくわからない。ラックの中のボールを手で扱ってはいけない。横から入ってはいけない。と書いてあるからと、長男はラックの上にまっすぐ踏み込んでいって、人と一緒にボールをめちゃくちゃに人と一緒に蹴り飛ばして反則を取られたことがある。トップレベルのゲームでもときどきそういう乱暴なことをする選手がいて、そういうプレーを見ると長男を思い出す。人を蹴ったり踏んづけたりを故意にするプレーは、それはそれとして反則なのだ。
長男をラグビー部に誘ってくれた中村君は、中学時代は「東日本NO1チーム」で主力を争っていたいたナンバー8。しかも面倒見がいい。彼はいつまでたってもルールや、何をやったらいいかを理解しない長男を気にかけてくれて、練習中も試合中も「はらちゃん、(ラックやモールに)入れ、入るな」「誰を見ろ」「どこに行け」といつもいつも指示を出してくれていた。長男は中村君コントローラーがついていないと何をどうしていいか、最後の冬の花園予選まで、結局わからなかったようだ。
一方、彼は、タックラーとしてはチームで一二を争うハードタックラーだった。太っている割に走るのは早いし、柔道部時代も、国士舘や国学院栃木の120キロもあるようなエース級の巨漢を谷落とし、裏投げで放り投げて失神KOをさせたこともある「投げ技」の天才だった。今ほどスピアタックルの反則がきつく取られない時代だったので、160センチ75キロという、体型と髪型と風貌が「ボブ・サップを160センチにしたような感じ」の長男は、自分より、はるかに大きい「180センチ級」の巨漢相手にハードタックルを決めてふっとばすことがときどきあった。そんなときだけ、「ちょっとチームに貢献できた」と実感していたようだ。

桐蔭中等教育学校一期チームは、チーム発足当時は未経験者がほとんどを占めたため、普通の県立高校チーム相手に100点差で負けるようなところからスタートしたが、顧問の加藤先生(加藤先生にもドラマがあるのだが、それはまた別の機会に)の指導の下、すこしずつ力をつけ、高3最後の花園予選では初戦二戦を見事な勝利で勝ち上がり、県ベスト16まで勝ち上がった。ここでシード校、日大高校と県ベスト8をかけて激突した。

やっと、五郎丸のタックルのような、長男のタックルの話になる。
日大との試合は、一進一退をつづけ、同点(10-10だったような気がする)のまま、後半20分を超えた。高校ラグビーは前後半30分ハーフ。日大が桐蔭中等22メートルライン付近まで攻め込み、球を回してラインブレーク。私たちがちょっと高台のスタンドから見ている側のタッチ際ゴールラインに向けて相手ウイングがトライしようと突進してきた。
その瞬間、なぜそこに走りこめたのか、よくわからないが、黒い弾丸のようにチビデブ長男が戻りながら突進してきてタックル、トライの一瞬手前で相手ウイングをボールごとタッチラインの外にはじき出した。まさにこの前のスコットランド戦の五郎丸のタックルのように。妻も私も、五郎丸のあのタックルを見て、高校最後の試合の、長男のタックルを思い出した。結局試合は、その後日大高校がワントライを挙げて、桐蔭中等一期生の高校ラグビーは終わった。失点につながる流れの中で、長男はミスを犯したと、試合を終わった後、ずっと下を向いたままだった。着替えて、試合会場から駅に向かう坂道を歩く間も、下を向いたままだった。仲間は「おまえのせいじゃない」と慰めてくれていても、「ラグビー理解が低くて、やっちゃいけないところで、判断ミスをしたせいで」と長男は自分を責めていたのだろう。でも父も母も、あの、五郎丸のやったみたいな、相手のトライを寸前ではじきとばす、スーパータックルを見られて、心に刻み込んで、大満足だよ。今でも、あのタックル、まぶたの裏に、いつでも思い浮かぶよ。五郎丸のタックルを見て、思い出したこと。おしまい。

南アに勝った心理的要素。エディージョーンズ監督の対南ア心理戦を考察する [スポーツ理論・スポーツ批評]

 私はラグビー・プレー経験は全くなく、スタジアムでトップレベルの試合を見ることもほとんどしない、「テレビ観戦専門、ラグビーファン」です。12年ほど前に、長男が高校で、二男が中学でラグビーを始めたのがそもそもの始まりで、特に二男は神奈川県関東新人大会で桐蔭と両校優勝を分けあい、関東大会予選では慶応と決勝を戦った代の、公文国際学園のフランカー(残念ながら関東大会予選から関東大会は、二男は足を骨折していて出場しませんでしたが)だったので、二男の高3の一年間は、毎試合応援に行きました。それ以来、ラグビーをテレビで熱心に見るようになりました。ちなみに二男三年生のとき桐蔭学園の一年生に、今、日本代表の松嶋幸太郎、筑波に行った怪物ウィング竹中、早稲田の10番になった小倉順平がいて、彼らが三年の時に桐蔭学園は初の日本一になったのです。一方、長男は桐蔭学園の兄弟校(進学用に分離した)桐蔭中等教育学校のラグビー部一期生、三男は桐蔭学園で柔道部に所属し、寮では柔道部員とラグビー部寮生は同じ釜の飯を食っていた(松嶋幸太郎が高3のときに高1)ので、花園では「息子の母校はわが母校」ということで、毎年桐蔭学園を熱心に応援する、という年末年始を送っています。
 テレビ観戦専門ですが、高校花園だけでなく・大学ラグビー・トップリーグ、スーパー15、ハイネケンカップ、6nations、トライネーションズ(現チャンピオンシップ)、テストマッチなどJSPORTSで放送されるラグビー放送はここ10年ほど、つまり前々回ワールドカップ前あたりからは、主要試合はほとんどすべて見ています。年間観戦数は200試合を超えていると思います。気分は「無名の小林深緑朗」みたいになっています。

 そんな立場から、今回の南ア戦の勝利とその後の盛り上がりは、うれしい限りなのですが、「感動」「努力」「気合」「ハードワーク」みたいなかんじで、相変わらずラグビーがそういう「スクールウォーズのときそのまんま」な文脈で語られるのは、ちょっとさびしい、と思ってしまうことについて、すこし論じていきたいと思います。

 どんなスポーツでもそうですが、ラグビーは特に「知的でなければ強くなれない」競技です。その意味で、南アの世界一のスクラムハーフ、フーリー・デュブレアが、日本は知的であることで南アを打ち破ったというコメントは、まさにその通りです。
 今回、日本が対・南アにおいて、戦う前から完全に勝っていたポイントは、エディージョーンズvsハイネケ・メイヤー という監督の対決部分です。エディーさんはワールドカップの決勝戦を、二回経験している。そのうち一回は南アのアドバイザーであり、今回の南アのベテラン選手たちとは代表時代からサントリー顧問時代を通じて深くかかわっていた。それに対し、メイヤーは、ブルズ監督として、国内リーグとスーパー15監督としては「名将」であっても、代表として選手全体の人心を把握できておらず、かつワールドカップ経験では、「経験も格」もエディーさんの圧勝であったのです。エディーさんについて国内メディアの報道は、どういう指導内容で日本代表を強くしたか、ということに偏って報道されますが、エディーさんの強みはもうひとつあります。大会前からの記者会見での発言で、南アの監督や選手や審判団にまでゆさぶりをかけるような発言を繰り返す、「記者会見で戦える」監督という側面です。こういう監督は世界的にみてもほとんどいない、そういう監督なのです。(サッカー界のモウリーニョみたいなものですね。)。「南アは直前のテストマッチが不調だからナーバスになっている」「代表に日本をよく知る選手が多いから、日本をリスペクトしてベストメンバーでくる」「ヤニー・ディブレッシーはスクラムで審判みたいによくしゃべる。審判がちゃんと見てくれないと困る」みたいなことをいろいろいうわけです。野村監督が「イチローはバッターボックスから打つ時、足が出る・あれは反則だろう」みたいなことを日本シリーズ前に言うとか、「カールマローンのフリースローは10秒以上時間かけているだろう」とNBAファイナル前に言う、みたいな嫌な感じのゆさぶりを記者会見で言う。「今度の試合を南アの練習試合にはさせない」と言うことで、メンバーをどうしよう、という点について、南ア監督をゆさぶった結果が、南アの選手起用と、起用された選手に微妙な迷いを生じさせたように思います。
 ゲーム内容における「知的さ」ということで言えば、試合時間80分のストーリーを描いての作戦の緻密さ、という点でも、日本は南アを圧倒していたと思います。後半の選手交代は、日本は、シナリオ通りであり、それぞれの交代選手が、どういう狙いで、何をするために出ていくかが明確に意識づけられていただけでなく、交代の意味とそれによる戦術変化が、フィールドでプレーしているチームメイトにも完全に共有されており、交代によりチーム力が上がる、混乱がまったくおきない、という点において、日本は、圧倒的に勝っていたと言えます。
 もうひとつは、審判、反則への対応での勝利。今大会は、TMOが多用されるだけではなく、「ホークアイシステム」という補助カメラシステムで、審判を欺くような反則、密集内で首に手をかける反則を厳しくチェックするという申し合わせがなされています。こうした審判の方針と技術への対応でも、日本は明確に優位に立っていました。南ア戦の主審を、直前のテストマッチに招へいし、笛の傾向をつかんでおくという対策までしてきました。その結果としてタックル後のロールアウェイをとにかく徹底し、反則を取られないようにするという規律と意識の高さで南アを圧倒していました。このあたりについて、南アは全く対応できておらず、ノットロールアウェイの反則を取られ続けることに明らかに苛立ち、「審判とも戦う」状況になっていました。これが最後のシーンのシンビンにつながり、決勝点の伏線になっていたのです。

 また視点を変えますが、南アの現役代表を大量にトップリーグに呼んできたことも、もしかするとこの対戦の対策だったのでは、と今になると思えてきました。ほんの3年前くらいまでは、トップリーグで活躍する外国人選手はニュージーランド人が主流で、次にオーストラリア人。南アの代表クラスはほとんど来ていなかったのに、ここ二シーズンは南アの代表クラスが大挙して日本に来て、チームメイトとして一緒にプレーしています。このことが、明らかに「日本にプラス、南アにマイナス」に働いたと思われます。
 「日本にプラス」はわかるけれど、「南アにマイナス」ってどういうことか、ということについて、説明したいと思います。

 南アのラグビーの強みは、変な言い方ですが、ある種の「乱暴さ」にあると、私は思っています。単に体格が大きいということではなく、NZのような洗練された技術や、オーストラリアの基本に忠実で真面目なラグビーに対して、全員ではありませんが、メンバーの中の何人かが「狂気をはらんだ凶暴さ」をときどき発揮する、そういう怖さが南アのラグビーにはあると思います。今回はキャプテンから外れましたが(須藤さん指摘ありがとうございます。チャンピォンシップではキャプテンを務めていた)フォワードリーダーのスカルクバーガーは、そういう南アのラグビーを象徴する選手だと思って、ずっと見てきました。日頃は気のいいやさしい好青年。別に常日頃から乱暴者なわけではないのに、気合が入ってプレーをするとき、とんでもなく乱暴なことをしてしまうことがあります。(密集で相手の目に指を突っ込んで、シンビンではなく退場になったこともありました。)NZのラグビーが、あくまで「ボール」に対して働き掛ける意識がものすごく高い(ので、NZ人はものすごく上手に相手のボールをもぎとります。)のに対し、「相手のカラダ」に強く働きかけようとする意識が強いと思います。
 「普段は気がいいのに、ゲームになると無慈悲に相手のカラダに破壊的に働きかけてくる」というプレーは、相手を「仲間」だと意識してしまうと、どこかに心的ブレーキがかかるのではないか、と私は思っています、本気で行っているつもりでも無意識に冷酷さにすこしだけブレーキがかかる。
 4番のデヤーグや交代で入ってきたストラウスなどは、日本とのかかわりがないので、南アの良さの「無慈悲な当たり」で豪快なトライを取ってきましたが、日本で、サントリーやパナソニックで日本選手と「仲間」になったスカルクバーガーやJPピーターセンは、もちろん全力でプレーはしていたのですが、どこかに「仲間としてのリスペクト」を持つことで、本当の意味での強みの「破壊的冷酷さ」を発揮できなかったように、私には思えました。エディーさんが繰り返し「南アは日本をリスペクトしている」と繰り返すことは、挑発しているようで、実は「格下の雑魚をぶっ潰す」という冷酷な凶暴さを封殺し、「人間対人間、対等なラグビー仲間同士の戦い」という意識に、南ア選手をマインドコントロールしたという側面があると思いました。なんというか、強さはあっても凶暴さのない、紳士的なプレーを、南アの特にベテランたちはしていたように思います。全員がデヤーグやストラウスみたいに「無慈悲にぶっつぶす」意識でプレーされたら、日本はもっといやだったと思います。選手選考も、ベテランよりも「若手のイキのいいやつで」と来られた方が、日本は嫌だったと思います。このあたり、監督の選手選考も、選手の意識も、エディーマジックにまんまとはまった、というのが、今、国内メディアではあまり論じられていない、勝因のひとつであると思っています。

ラグビーワールドカップと安保国会 TMOと武士の情け [スポーツ理論・スポーツ批評]

TMOと武士の情け。

ラグビーワールドカップ イングランド大会が昨夜始まった。
開幕戦は開催国かつ優勝候補の一角イングランド対フィジー。フィジーはときどき大番狂わせを起こす曲者なので、開幕戦で開催国を食うのではないかという期待感(イングランド地元ファンとすれば嫌な予感)を孕みつつ、ゲームはスタート。イングランドが着実に点を重ね前半25分を過ぎ15-0。このまま一方的になるかと思われた27分過ぎ、フィジーの快速スクラムハーフが自陣センターライン付近でのスクラムが回転してボールがスクラム外に出た瞬間、ボールをつかんで走りだし、ライン際に飛び込む。イングランドバックス二人がタックルしてからみつくも、雨に濡れた芝を利用し、すへり混みながら、バスケットのダンクシュートのようにゴールライン上にボールを叩きつけ、見事なトライ。レフリーも走って追いかけながら、遠目には明らかなトライだったので、右手を上げトライを宣言。盛り上がる場内にはリプレーが流れる。が、しかしアップでトライシーンを撮った映像が流れると、ダンクシュートのように片手で地面にボールを叩きつけようとする直前、ボールが手から離れている。つまりノッコンである可能性が高い。その映像を見た主審、いったんトライを宣言したにも関わらず、TMOを要求。結局ノッコンでノートライになった。その後もフィジーは流れをつかみきれず、終盤イングランドの連続トライをゆるし、33対11と、実力差通りの結果に終わった。
 開幕第三戦はアイルランド対カナダ。カナダはかなり格下で、アイルランドは今年のシックスネーション優勝北半球王者で優勝候補の一角。前半終了間際まで29-0と一方的にリード。40分を過ぎ前半ロスタイム、やっとアイルランドゴール前まで攻め込んだカナダ、ゴールポスト下あたりから左サイドにボールを展開するロングパスが飛ぶ。スクラムハーフ日系人ヒラヤマがボールをキャッチする前にアイルランドディフェンスが詰めてくると見るや、ヒラヤマはタックルされる前に飛んでくるボールを直接タップしてライン際でフリーになっていた俊足ウィングにボールを送る。転がったボールを拾ったウィングが見事にトライ。したかに見えた。しかしここで主審が、タップパスがスローフォワードでないか(前に飛ばしていれば、タップだからノッコンにあたるのかも)をTMOで確認。結局スローフォワードでノートライになつた。

このふたつの幻のトライ、TMOがなかった時代なら、確実にトライだったと思う。ちょっと怪しいかなと思っても、格下劣勢のチームが、がんばりにがんばって上げたトライは、試合の流れに審判も乗っかって「トライにしよう」という文化がラグビーにはあったと思う。フランスワールドカップで地元フランスがニュージーランドを破ったときの逆転トライは、明らかにスローフォワードだったけれど、「会場の雰囲気」がトライにしてしまった、という事件も起きた。

 TMOは明らかに誤審を減少させた。判官ひいき、地元ひいき判定はでにくくなった。
ラグビーはもともとサッカーなどと比べると、実力差がはっきりと点に出やすい、番狂わせが起きにくいスポーツだ。実力差がちょっとあるだけで、弱者はワントライをとることさえ難しくなる。日本代表も強豪国相手に100点近い差をつけられて負けることはあったし、高校ラグビーなどでもそういう悲劇はよく起きる。そんな中で「武士の情け」トライは、試合の雰囲気を救うラグビー文化のひとつだったと思う。しかしTMOの導入により、公正さは増したことは間違いないのだが、「武士の情け」トライが撲滅されてしまったことで、ラグビーは「強者が必ず勝ち、弱者は「一矢報いる」トライを誇りに持ち帰る、ということさえも許されない、冷酷なものになりつつある。

 ワールドカップ開幕のわずか一時間ほど前、日本では安保法制が可決する直前、最後の抵抗を試みる民主党福山議員は、参議院本会議で、一人15分と制限された時間を超えて演説を続けた。それに対し与党議員から「時間を守れ」「ルールを守れ」とたびたびヤジが飛んだ。福山議員は、より大きなルール違反を指摘して抵抗しつつ、たびたび「君たちには武士の情けはないのか」と叫んだ。

 圧倒的数の差の中で、弱者少数派が声を枯らして訴えているのだ。法案が可決されるという勝敗はすでに決っている中で弱者少数派が最後の訴えをしてるのだから、時間制限というルールを多少曲げても、最後まで意見を聞くという「武士の情け」はないのかと訴える。

 武士の情けというのはつまり、「弱者に対してはルールの適用を甘くする」ということなのだ。ルールの適用を強者にも弱者にも公平にすることが、本当に公平なことなのか。

 高校ラグビー花園大会では、強者の前に100点差をつけられてしまうようなゲームも起きるので、武士の情けトライはあってもよいような気がする。しかし、そうした曖昧さを許すと、大会も終盤を迎えたところで「強者同士のシビアな争い」の中で、地元関西勢にほんのすこし有利に笛が吹かれる「関西の笛」問題が許容されてしまう、という問題が起きる。

 政治においてはMajority rules,Minority rights=多数決の原理は、少数者権利の尊重とともに行う、という原則がある。民主党があそこまでの「少数派」になってしまっていること、「武士の情け」を請わねばならない状況について考えつつ、さて、これから始まる南アフリカ対日本を応援することにしよう。

 武士の情けトライを期待しなければならないような一方的展開になる可能性はかなり高いと思う。そんなこととは無関係に、南アを追い詰めるような試合ができるのだろうか。


追記

なーんてぶろぐ書いた後、日本、堂々と勝ちましたー。判定も日本びいきなんてところ、ひとつもない、まったく初めから堂々と互角に戦い、判定も公正、むしろ日本のモールのトライかどうかが認められず、なんてことまであったのに勝ちました。日本代表のみんさん、エディーさん、゜コテンパンにやられる可能性が高い」なんて失礼なこと書いてごめんなさい。南アを追い詰める上に、最後に勝ちました。南アの選手、監督、そしてスタジアムの南ア観客の青ざめて凍りついたような表情が、今日の日本が本当に強かったことを雄弁に物語っていました。予想が外れて超幸せです。