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2014年9月11日という日。戦争への最終コーナーを回ったかも。 [文学中年的、考えすぎ的、]

9月10日は、電通をやめて路頭に迷っていた私を拾ってくれた大恩人、Iさんの命日なので、Iさんの奥様、ご友人(私にとっては大先輩)たちと会食をしつつ、いろいろなことを語り合うという時間を持った。大先輩、世代でいうと全共闘世代の最後尾の方たちだ。今回は政治的な話題は特に出なかったけれど、このメンバーで集まるとそちら方向に話が触れていくことは多い。

 日本時間で911午前、米国時間910深夜.オバマ大統領がISISイスラーム国への攻撃への有志連合づくりを呼びかけ、シリア空爆に踏み切る考えを発表した。911の前夜の発表には、もちろん意味があるだろう。この問題について対米従属することがどれほどの危険をもたらすかをきちんと報道しない。20140911はアメリカが再び、より深刻な戦争に足を踏み入れた日として記憶される可能性がある。それに対して日本はどういう立場をとるのか。吉田調書問題などよりも、この方がより重大な問題だと思うのだが。
 
 911.日本では、朝日新聞が吉田調書誤報を認め社長が謝罪訂正会見をした。他のメディアはこぞって朝日新聞を叩いた。ついでに原発事故当時の管首相民主政権のことも批判しなおした。そして東電は悪くなかったような印象を与えようとした。政権強化、原発再稼働への地ならし、東電悪くない、民主党叩き、朝日つぶし、という、政権にとって一粒で何度もおいしいネタであった。

 911深夜、何気なくスカパーの映画チャンネルを見ていたら、「フェア・ゲーム」FAIR GAMEという、イラク進攻時の、大量破壊兵器証拠ねつ造を告発したために、政権から過酷な攻撃をされた「元外交官の夫、CIA工作員妻の夫婦」を主人公とした、実話ベースの映画が放送されていて、つりこまれて見た。政権が、不都合な真実から目をそらすために、メディアも使いながら、「論点をすこしずらした騒動を起こし、肝心なことを国民が考えないようにする」戦略が、リアルに描かれていた。

 朝日叩きは、従軍慰安婦問題に続き、政権が政治的意図を露骨にむき出した圧力によるものであるにも関わらず、そのことを朝日自身も、他のマスメディアも全く触れようとしない。

 ふたつの誤報謝罪は、事実関係を追えば、ミスを朝日側がしたことは事実だ。朝日の政治的主張に沿う形で、事実を歪曲する、という、初歩的ミスの連発であることは否定できない。
 
しかし、より広くメディアの状況を見れば、「朝日の行う政権批判的歪曲」のみが厳しく断罪され、より幅広く行われている「他の多くのメディアが行う政権迎合的歪曲」は放置容認される、という非対称性が露わになりつつある、という問題として論じられなければならないはずだ。政権批判的な報道は、厳しく粗探しをされ、批判される。政権迎合的な報道のみが垂れ流される状況への大きな曲がり角に、一連の朝日叩きがなっている、という危惧を抱く。

大メディアと政権が、表面は批判的でも裏では意見調整をしてきたことは、今までもずっとあったことである。朝日新聞とテレビ朝日が、「いちばん批判的立場」ではありつつ、しかし最終的には権力との関係を維持し、体制維持に寄与してきたのではないか、という指摘はここ最近のマスメディア批判の中でも多く見られた論調である。政権お墨付きの政権批判メディア、という位置づけである。
ところが、今回の朝日叩きは、そういう「お墨付き批判メディア」であることも許さない、より政権迎合的になれ、という露骨な圧力がかかってきた、ということを示している。今までとは明らかに異なるフェイズに政権とメディアの関係が入ったことを示している。

「現場とトップ、組織全体」という、前項のテーマを敷衍していえば、政権とメディアトップとの関係は、あきらかに異常で露骨な接近を進めており、NHKの変質と朝日叩きという現象として表れている。

しかし、「現場」では、個々のNHK社員、朝日社員のレベルにおいては、メディアに携わる者としての職業倫理に基づく抵抗は今も続いている。そのことはひとつひとつの記事や番組の中から、今のところ見て取れる。

マスメディアにおいて何が報道されるか。何が報道されないか。そこにどのような意図や力が働いているかを知るには、海外メディアの報道、ネット(ツイッターなどでの論調)と比較して、日本のマスメディアの「現在」を常に監視し続けることが必要である。そして、日本のマスメディアの現場で抵抗を続ける人たちが、「危機のメッセージ」を発信しづづけられているかどうかを、注意深く見守らないといけない。今、息絶え絶えになっている現場の抵抗が途絶えたら、それは戦争への準備が完了したということになるのだろう。

という危機意識をさらに高めなければ、と意識した20140911でした。

吉田所長調書と朝日新聞問題について [文学中年的、考えすぎ的、]

今の報道議論が、おそろしく、そして意図的に粗雑な議論になっているのは、「現場とトップと組織全体」の問題を、わざとごちゃごちゃにしているから。
「現場、吉田所長含む東電」VS「官邸、管首相」でどうだった、という間違って簡略化された図式に対立構図をしている点。これだと、吉田所長は逃げていない=東電は逃げていない、悪いのは官邸、という結論になるように報道がいずれも組み立てられている。
結果、本来いちばん批判されるべき東電本店東電幹部がするっと免罪される、という報道の構図になっている。

 吉田所長は現場のトップ。その向こう側に「本店と官邸」というめんどくさいやつらがいた。「本店と官邸、どちらが事故をこじらせた犯人か論争」という議論がもともと存在する。
調書で吉田所長は「現場は逃げるなどということはなかった」ということを語っている。
「本店が完全撤退を考えている」「それに対して管首相が激怒した」「それに対して吉田所長が、現場は一時退避はしても完全撤退など考えたこともない。死んでも現場でなんとかしようとした。管首相には腹が立った」ということを言っているのであり、事実はそういう流れだったのだろうことは、うかがい知れる。それはこれまでの報道とも、実は特に齟齬がない。
 朝日の誤報の戦略的な大失敗は、「現場の東電社員が命令違反で逃げた」という、なかった事実をなぜか調書から作り出し、それをスクープとして報道したこと。そのことで東電批判を強めようとしたのだろうが、大失敗。なぜ失敗かというと、
① 極限状態で、死を覚悟しつつ逃げずに作業していた現場東電社員を誹謗中傷することは、国民の朝日に対する反感を強めこそすれ、東電トップ批判にはつながらなかったこと。(日本人は、トップが無能、現場が優秀で頑張る、というストーリーが好きなのだ。そこを無視して現場も逃げた東電は悪、というストーリーは国民受けが悪かった)
② より本質的な「死を覚悟して、逃げることを禁じられるような状況」に民間企業社員を置いてしまう、という原子力発電の「民間営利企業が行うことの不可能性」に焦点を当てなかったこと。こちらはわかりにくい論点なので、以下、詳述していきます。

 本店が完全撤退を考えたこと自体の善悪という議論が抜けている。朝日も管首相も、「重大事故が起きている、悪化しているときに東電社員が逃げるのは悪」という立場でいるが、これは本当にそうなのか。
一営利企業が、従業員が生命の危険にあるときに、そこから退避させるという経営者の行為。経営者としては当然、考えるべきことなので、批判されるようなことなのか、という点が議論されていない。
一般的な工場で大火災が起きた時、消防に通報したうえで社員が退避するのは悪ではない。その工場の社員なのだから死ぬまで逃げるな、消火しろ、というのはありえない。
責任感の強い現場社員が逃げずに消火を続けようとしても、上司経営者がはやく退避しろ、というのもこれまた当然。
 実は生命の危機があっても逃げてはいけない職業、などというのはこの世の中にごく少数しかない。職業の大前提としてそのことがうたわれるのは軍隊のみ。
消防警察、それに市役所などの公務員も、災害発生時には登庁を義務付けられているから、災害が起きたから自分だけ逃げる、というのは基本的にダメ。とはいえ、死ぬまで死んでも逃げるな、などとは規定されていない。当然。
民間では船や飛行機の操縦士や乗組員(お客様を見捨てて先に逃げてはダメ)など。韓国のフェリー沈没事故で、客を見捨てて先に逃げた船長たちが断罪されているのはこのため。

 原発が、従業員の生命が危険にさらされる、かつ放置すれば広い地域(東日本全体だったり、地球全体だったりまでする)が汚染され住民の生命健康財産に重大な危機及んだ時に、民間企業の社員たる現場の東電社員は、沈没船の船長や乗組員同様「逃げてはいけない」という職務上規定を持つ職業なのか?という点が議論されていない。

 チェルノブイリで事故が発生したときには、軍が投入されている。昔見たTVドキュメンタリーの記憶では、ものすごく線量が致死的に高くなっている場所に潜水してバルブを閉めに行かなければいけない、という任務が発生して、軍の潜水隊員が死を覚悟して行く(実際、任務完了後しばらくして死んじゃったはず)ということがあった。その後の石棺化までの工程も軍隊が大量投入された。この作業にあたった軍人は、のちに多くが癌になって死んだ。

 「死んでしまう可能性があっても逃げない」という職業であることをわかっている軍人にしか、事故を起きてしまった原発の処理はできないのだ。

 だから、東電トップが「民間人たる東電社員は生命の危機なので撤退させます。あとは自衛隊、よろしく」ということが、本当に悪なのか、という議論はきちんとなされていない。

吉田調書は「本店や官邸が何を考えようと、現場は最後まで戦った」という日本人の現場職業倫理の高さを語って立派なのだが、あの調書から導き出すべき結論は、
国家的危機を「現場職業倫理の高さ」だけに頼らざるを得ない、原子力発電という発電方式は、少なくとも民間企業が営利行為として行うことは不可能だ、ということ。

続いて、この吉田調書問題も含む朝日新聞バッシングは、後で振り返ると、日本が戦争になだれ込んでいくひとつの節目の事件として思い出されるのではないか、という危惧について。2014年9月11日に起きたこと、いくつかをつなげて考える、というのを、書きます。(続く)