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Oさんへの返信 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を巡って ネタバレ注意

僕が電通のコピーライターをしていた頃(もう25年以上前になろうとしているけれど)つまり僕が20代前半だったころ、一緒に仕事をし、僕を指導してくれた先輩コピーライターに、Oさんという方がいた。僕より7つ年上だから、当時まだ30になったばかりのはずだけれど、大阪のコピーライターの中でも、電機やクルマ関係を書かせたら、トップの腕を持つ方だった。大阪という異文化の土地に行って戸惑っていた僕にとって、文学と生きることが一体化している先輩=モノを考え本を読み、そして文章を書くということがイコール生きるということというOさんは、仕事の先輩、よき指導者というだけでなく、悩みや考えや関心を理解してもらえる、頼りになる兄のような存在だった。

僕が電通をやめてフリーになり、コピーライターをやめてマーケティングの仕事にシフトしていったあとも、何度が仕事でご一緒することはあったけれど、ここ十数年はまったく交流は途絶えていた。

2年前にフェイスブックを始めて友達が増えていった中で、共通の友達が当然大阪の電通にはいるわけでお互いを発見しあい、フェイスブック上の友達になった。Oさんは今も膨大な量の読書家であり、(読書ブログをもっていて、それは本当にびっくりするほど幅広く大量の読書体験なのだ)、そして今は、熱心な市民ランナーになっていた。
フェイスブック上でも僕は(おそらく Oさんも)ときどきタイムライン上に現れるそれぞれの近況をちらと眺め、そして互いに熱心に「イイネ」を押すようなタイプではないので、特にメッセージを交わし合うことはない状態が続いていた。

そんなOさんが、今朝、僕の近況にコメントをくれた。

僕が書いた近況はこうだ。

『震える牛』相場英雄 『狭小邸宅』新庄耕
今週に入って毎日電車に四時間乗らなければならなかったので、以前から気になっていた小説二冊一気読み。いまの日本でふつうに働いてふつうに生きていくことの困難を思う。こういう働く生きるしんどさ小説と比較すると(比較するのも変だけど)村上春樹新作の寓話度合いは際立っているよなあ。登場人物全員、それぞれの悩み苦しみはさておき、それぞれの仕事においては、みーんなすごくちゃんときちんと仕事ができる。それはどういうことなのだ。百万人以上の日本人や、きっと同じくらいたくさんの世界の人が安心して楽しんじゃえる秘訣なのかも。

これに対してOさんは
現実の世界のほどよい取り込み方ですかね。レクサスとか、企業戦士養成プログラムとか、生々しい現実も出てくるのですが、すっかり村上ワールドの一部になっています。それにしてもどんな寓話なんでしょうね。

とコメントを書き込んでくれた。

で、僕としてはOさんにはきちんと答えたいのだけれど、それはフェイスブックのコメント欄に書ききれるようなことではないなあ、ということで、ものすごく久しぶりにブログに、村上春樹新作についての感想を書いてみようかなあ、と思ったわけ。


Oさんは、この新作について、今までの村上作品で、いちばん共感できる、という感想を、発売直後にフェイスブック近況に書いていた。僕は楽しくよんだけれど、実は肩透かし感がかなりあった。その肩透かし感について考え続けている中で、その直接の原因ではないけれど、「みんな仕事ができすぎる」ということの違和感に思い至った。

このあとは本当にネタバレ注意、未読の方は読まないでね。
つくるは駅を作るという天職についている。それはつくるの生活と心に基本的安定を与えている。つくるだけではない。レクサスを売る青も、企業戦士育成ビジネスをする赤も、陶芸家になったクロも、旅行会社のプランナーの恋人のエリも、職業人として極めて優秀だ。エリの友達でフィンランドの旅を助けてくれたオルガという脇役人物すら驚くほど優秀だ。精神を病んだ末殺されてしまったシロですら、子供ピアノを教えるという仕事をきちんとこなしていた。内的世界の空虚や葛藤と、仕事をするという生活の間の関係が、ものすごく極端にキレイな整理がされている。いやむしろもちろん意図的に、ものすごいコントラストを描くように構築されている。このことは村上春樹の小説だけを読んでいるとあまり気がつかない。いやまったく気がつかない。ごく自然な現実のように思えてくる。思い出してみれば、村上春樹作品の登場人物の多くは、その職務仕事においてきわめて優秀だ。1Q84の主人公は塾講師としてきわめて優秀であり、その父親はNHKの集金人としてきわめて優秀だ。これは何なのだろう。内的世界を防御したり際立たせたりするためには、人は職業的にプロフェッショナルな優秀さを持たなければならないと、村上春樹は思い決めているようにすら感じられる。

村上春樹作品だけを読んでいると気づかないのだが、というのがここでのポイントなのだ。たまたま、私はここ数日、別の作家の小説を続けざまに読んだ。『狭小邸宅』という文芸賞をとった新人の小説。不動産販売の営業マンになった若者の、売れない苦闘と、売れるようになった後の精神的退廃の物語なのだが。

Oさんは僕より7つくらい年上だから50台後半。僕は50歳になった。ここまでなんとかうまく人生を乗りこなしてきた僕らの年齢の人間にとって、「仕事のプロ」としての安定と、それとは独立した『人生の葛藤』という村上春樹的世界観というのは、ごく自然に受け入れられる。(人生の危機は、仕事の問題としてではなく、恋愛や性や人間関係という形で、20代前半に訪れる、ということも、全く僕らの世代には自然な郷愁とともに受け入れやすいのだ)

一方、僕には就職周辺で大苦戦したり脱落したりしている三人の息子がいて、(それ以下の年齢の三人はまだその段階に達していないが)、働いて生活を維持するということが不安定な状態の、人生の葛藤、その深刻さ、ということを、息子たちを見ていると強く感じる。

僕やOさんが社会に出た時期、70年代後半から80年代という時代にはなかった、日本社会の老化と劣化と崩壊が、今から働いて生活を立てていこうという若者たちには重くのしかかっている。

フェイスブック近況に書いた「働く生きるしんどさ」というのは、僕の息子たちの世代にとっては現実そのもので、そのことがうまく成立しないことが内的葛藤と直結してしまうのだ。(フリーター長男は小説を書く大学学部を出たまんまフリーター化しているのだが、大学学部学科専修の一年後輩が朝井リョウくんで、彼の『何者』のしんどさ、というのは、本当にあの世代にとっての現実なんだと思う。)

職業人としてグダグタであるがゆえに、人間としてうまく形をなしていけないかんじ。そのために純粋に内省的・文学的な内面、などというものを領域として確保できないということ。それが20代の通過儀礼的期間だけでなく、長くこの先も続いていきそうないやな予感。

そう、多崎つくるとその同級生たちがたしか36歳、という年齢に設定されているときに、彼らが感じる職業と現実と自分の内的世界の関係が、50代のOさんや私から見て自然な乖離感である、という点が、現実を描こうとして描けていない感じ、精妙なつくりものだけれど、偽物な感じ、というのを与えているように思う。

日本という国の足元がグズグスに崩れている感触、というものこそ、「現実」だとすると。そうした視点を、構図として徹底的に排除している(風俗事象としては現実を取り込んでいるように見えても)という点において、村上春樹新作は、現実を描いたというよりは、寓話的であるなあ。

では何の寓話か。
寓話というより、実は逃避的おとぎ話。ということかと。

ここからはまた、全く違う村上春樹論になっていくのですが。何からの逃避か。それは『ノルウェイの森』という、村上春樹作品唯一、主人公が加害者、悪の側として存在する小説(ということも漠然と読んでいると気づかないのだが。他の村上春樹小説で、性的暴力により女性を精神的に壊してしまうのは、例えば綿谷ノボルや、カフカの父のように、政治的暴力と一体化した、「悪」。なのだが、ノルウェイノ森だけが、主人公が政治的暴力は持たないが、性的な体験で、女性の精神を壊してしまう立場に置かれている)。フェイスブックかツイッター上で誰かがつぶやいていた感想として、「ノルウェイの森」の続編、後日譚のような、というのが、その意味でまさに正解だと思う。後日譚としてどう落とし前をつけるのか、と思ったら、ついていない。つけることからするすると逃げた、というのが、肩透かし感の中心。

僕とOさん、それに電通の先輩コピーライターのYさんと三人で、ノルウェイの森と、村上龍の愛と幻想のファシズム、どっちが好きか議論をしてから、本当にもう25年くらいたったのですね。いまだにそのことを考え続けているというのは、どういうことなのでしょうね。




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kenrisa

かなり前にこのブログを読んでいたのですが、コメントしていなくて…。
今回のは、またいろんなことが書かれている気がしました。

多崎つくるは「となりの世界」でレイプしているんでしょうね。
カフカでもそういうことがありました。「この世界」では実際に手を下して
いないけど、そっちでは加害者。意識の奥底でつながっていて。

今回は「役割」というのを感じました。赤・青・白・黒、そして灰色(と緑)の
それぞれの人が、それぞれの影響を「つくる」に与えていくという感じ。
もちろん、つくるもまわりの人たちに影響を及ぼしているんだけど。

灰田がいきなり現れて、つくるの心の地面の奥深くに閉じ込めていた
嫉妬とか白への恋愛感情(性的衝動)のフタを開けて、去っていく。
また、白の死についても緑川から父がきいた話として暗示していく。
もちろん、白は死と引き換えに一回のの天才的な演奏能力を得る取引を
していたのかどうか、わかりませんが。

そうそう、「愛と幻想のファシズム」を勧められて読んだのを
思い出しました。

by kenrisa (2013-08-12 23:32) 

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