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泣けた。「SONGSスペシャル 井上陽水×玉置浩二 」音楽って、優しい。 [音楽]

 昨夜、放送リアルタイムで見て、一緒に見てた息子と感想を話していたら、突然、涙が突然止まらなくなって。号泣まず一回目。ソファで居眠りしていて見損ねた妻が、深夜むくっと起きてきたので、もう一回一緒に観て、これも観終わって、妻に感想を言おうとした瞬間に涙で何も話せなくなり、五分間くらい泣き続けてから、(号泣二回目)やっと感想戦に。このあたりでもう瞼が腫れて目が開かなくなったのだが、もう一回、深夜に一人で見て再びぼろ泣き。(号泣三回目)。そして、さっき起きて、ひとりでもう一回見たら、二人のインタビューのところからもう涙が止まらなくなって号泣四回目。
 番組の構成も、とても上手で、最後の二人の共演に向かっていく、それぞれの楽曲と、間に挟まるインタビューや過去映像が、期待(と不安も)を盛り上げてくれる。
 そして。今の陽水さんの歌い方、声量、譜割りの変化、ロングトーンの長さ(やはりちよっと衰えは見える)、そういう変化に全身で集中しながら、美しいハーモニーを、音楽を作っていく玉置さんの歌うその姿を見ると、って書いているだけでまた涙が出てきた。そして、玉置さんが自分を引き立ててくれる歌い方をしてくれていることを十分わかっていて、信頼しているからこそ、自由に楽しく歌う陽水さん。曲の後半になるにつれ、音楽の楽しさ美しさの中で遊ぶ子供のようになっていく陽水さんの表情とその歌声。その陽水さんを何度も目で耳で確認しながら、声を合わせ、笑顔になっていく玉置さん。制作者に音楽そのものの美への深い理解、愛と、陽水さん玉置さんへの深い愛が感じられて、本当に感謝。音楽って、どれだけ美しくて、やさしいか。ものすごく期待していて、その期待をはるかに超える内容に、本当に感謝。
 私は、10歳のときに陽水さんの歌に出会ってギターを弾きはじめ、50歳で頚椎の大手術をした後の心の大きな支えのひとつは、玉置さんの歌に、その年齢になって改めて気づき出会えたことでした。息子も妻も、この番組の美しさ、音楽自体の美しさと、陽水さん玉置さんの二人の間の細やかな心の動きを、私と同じように感じていたことにも、深い幸せを感じました。号泣一回目は19歳の息子が、そういうことを分かる子供として育っていることへの嬉しさが涙の原因だったかも。

SONGS | SONGSスペシャル 井上陽水×玉置浩二
初回放送 総合 2017年11月10日(金)
WWW6.NHK.OR.JP
http://www6.nhk.or.jp/songs/prog.html?fid=171110
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ジェイコブ・コリア―、プリンス、玉置浩二、秦基博 第一弾、ピッチの正確さ、ハーモニー、調率(純正律、平均律)について。 [音楽]

 いつものように新聞の切り抜きをしていて、朝日新聞10/23の夕刊文化欄でジェイコブ・コリア―の来日ブルーノートでのライブ評(柳樂光隆氏)を読んだ。彼については今までノーマークだったのだが、(NHKあさイチ出演も知らなかった)、文中に「ちなみにボーカリストとしての実力は圧倒的で、特に生で見るとあまりの歌の上手さや声量に度肝を抜かれるほど。」とあったのが非常に気になった。これは私が玉置浩二さんのライブを聞いた時の感想そのままではないか。音楽評論家ともあろう人、数知らぬライブを職業として見ている人がこんなことを書くとはただ事ならないな。しかも見出しが「天才中の天才」。こんな形容詞は、私の大好きな大好きなプリンスにしかふさわしくない形容詞ではないか。23歳なんでしょ。聞いてみなければ、ということでyuutubeを見てみた。
 その後二日間、ずっとずっと、彼の演奏やインタビューや、とにかくyoutubeで見られる限り、見て、聴いて、CDも速攻で「In my room」と来日記念盤「Pure Imagination」買って。もう、どんな言葉も出てこないくらいびっくりして、しかもとんでもなく幸せな気持ちになって、フェイスブックにも興奮した投稿を連投したり、妻にyoutubeを見せたり(そうしたら、
「朝イチで見たよ。パパ、遅いよ、この人、プリンスが死んじゃったかわりに、21世紀版として神様が地上に送って復活させた人だと思うよ」と私と同じ感想を言っていた。さすが、わが妻である。)
 おそらく音楽関係者でない普通の人にとっては「一人多重演奏の、どんな楽器も弾けちゃうすごい人」という、ある種の曲芸的にすごい人、という意味での天才という捉えられ方をされてしまうのではないかと思うのだが、音楽を真剣に考えてきた人にとっては、そんな生易しいことではない、ケタ外れの超進化型のまさに天才中の天才なのだ、ということをちょこっと、また長くなると思うが、書いてみたくなった。
 大学自体の友人で、英語ネイティブで、しかも、大学時代はボーカリストとして活躍していた女性が私のyoutube投稿の中の、「Music Theory Interview: Jacob Collier (Part 1)」という、ハーバードの大学生音楽家(ジェイコブの音楽を採譜したりしている)に、彼独自の音楽理論を説明している動画にリアクションしてくれた。彼女も私もプリンスの大ファンであったという共通点もある。一度、プリンスのライブに一緒に行ったこともあったな、そういえば。
 リンクはこちら。https://youtu.be/DnBr070vcNE
 僕は英語があんまり分からないので、ここらに興味があると言ったら、彼女がその部分をすぐに訳して返信してくれたのだが、(通訳士の資格も持っているし、その上日本のトップコピーライターの一人でもあるから日本語文章もプロ中のプロなのだ。ただでさらりん、と訳してくれるなんて、本当にありがとう。)以下はその彼女の訳ではなく、私の意訳文章だからね。プロのコピーライターの文章を無断転載したら失礼だから。
 その部分と言うのは、「たとえばこの曲でGからEまで下降して移動するときに、短三度だから、半音で3つ移動するとGからEまでついてしまうのだけれど、そこを四つでおりるとこうなる。(と歌う。)。ここを5つでおりるとこうなる。(と歌う。)それは半音の半音ではなくて、半音3つ分の音程を四等分するとこうなって、五等分するとこうなるでしょ、楽譜には書けないけどね。」みたいなことを言っているわけ。言っているだけじゃなくて、歌うわけ。すごいでしょ。すごくない?もうすごいすごい。
 そしてこ、そのインタビューの第二部Music Theory Interview: Jacob Collier (Part 2)では、純正律のハーモニーの響きの美しさ、でもルートを移すと、ピアノの上ではどこで何セント(音程の微細な単位)ずれているか。それを次々補正して移動していくアイデアを考えたのだが、というようなことを、延々と、楽しげに語り続けている。Cで調律した場合B♭のコードに移るとそのコードの構成音が何セント(調律するとき音程の単位)でずれるから、こんな響きになるから、そのたびにルートの周波数をどう動かすと、みたいなことを延々と話している。(英語力不足で結論はよくわからないのだが。)

今日書きたいことの中心はこの部分のこと。ハーモニーをひとつの音に対して純正律的に正しく5度とか3度とかでつけると(それは本当に、ぎゅっと抱きしめるみたいに美しい、とジェイコブ君はジェスチャーつきで表現する.)、それはピアノの音程とは微妙にズレる、ということ。そして、歌で、アカペラで完璧なハーモニー、本当に美しいと感じるハーモニーをつけるということは、純正律的な音程感があるひとじゃないとつけられない、ということ。平均律で調律されているすべての楽器は、ハーモニーで、ちょっとだけのズレを我慢しているということなんだよね。
 タイトルに上げた、「ジェイコブコリア―、プリンス、玉置浩二、秦基博」というのは、僕がそういう意味で、「完璧なハーモニーをつけられる歌手」つまり、安心してハモリを聞いていられる歌手。外人洋楽だといろいろ他にもいるけれど、今の日本人歌手だと、僕とってはこの2人しかいない、と言ってもいいくらい。コーラスグループやバンドだときちんとハーモニーとれるけれど、いろいろな歌手と即興コラボでハモリをつけて、だれとやっても常に完璧に美しくハモれるのって、玉置さんと秦さんしかいないと思う。
 僕は自分の音程意識が「すごく正確だ」という自慢をしたいのではなく、美しいハーモニーについて、いつもいつもなんだか不安で不満で、違和感があって、という状態でいた、ということ。(正しく自分で歌えるかどうかはともかくとして、美しくないハーモニーにすごく敏感なのは事実。昔「ハモネプ」っていう、素人アカペラのコンテスト番組があったでしょ。あれが死ぬほど嫌いだった。優勝者グループなどごく少数は美しいハーモニーを響かせていたけれど、それ以外は、もう、気持ち悪くて、もう本当に頭が壊れそうになるから、家族がその番組見ようとするたびに、やめろー、と激怒していた。)
 そんな僕にとって、何の不安もなく、誰と歌っても美しいハーモニーを作ってくれるのは、玉置さんと秦くんなんだよなあ、ということ。そして、ジェイコブ・コリア―という音程、調律とハーモニーの天才に、ついに出会って、天国にいるような幸せな気分になった、ということを書いておこうと思った、ということでした。
 (歌い手、ギター弾きとしての僕の音程感は、ちよっとシャープ側にずれているかなと思う。決定的な音痴ではないからカラオケ音程判定では正解範囲なんだけど。ギターで言うと、一弦を、チューニングマシーンの正解よりも、ちよっとだけシャープめにチューニングしたくなる。自分の耳だけでチューングして、気持ちよく鳴っているなと思うとき、1弦がちょい高い。)

 ピアノだけじゃなく、マルチな楽器を弾いて、しかも歌でハーモニーをつけるということに本気で取り組む人は、わりと早くこの「純正律・平均律」問題に気が付くと思う。ジェイコブコリア―とプリンスはピアノ、鍵盤楽器から音楽を始めた人だと思うけれど、(プリンスのお父さんはジャズピアニストで、コリア―のお母さんは自宅の部屋で音楽を(おそらくはピアノを)教えている人だったから、初めに触った楽器はピアノだと思う。でも、すぐに他の楽器も弾くようになっている。玉置浩二と秦基博は、ギターやベースは弾けるけれど鍵盤楽器はほとんど弾けない。玉置浩二は民謡の先生だったおばちゃんの背中で聞いた音楽が音楽のスタートだと思うから、楽器が無くて、人間の声から音楽をスタートしていると思う。
 僕の場合は幼稚園のころ2年間くらいピアノを習って、小学校の間バイオリンを習って、その後、ギターを弾くようになったのだけれど、このバイオリンを習ったのいうのがおそらくこの「調律へのこだわり」のもとになっていると思う。フレットのない、おさえる位置で音程が無限に変わってしまう楽器を習うと、正しい音と言うのは、開放弦の音程に対して、そしてその曲の調に対して自分で作るしかないわけで、それは人間の声でも一緒なのだけれど、バイオリンを弾いていて感じる正しいと思う音程が、ピアノの音程とは微妙にずれている感じ、という違和感がずっとあった。
 そしてギターというのは、ピアノ以上にチューニング的には精度の低い楽器だと思うので、いつもいつもチューニングがなんとなく不安不満、という状態で何十年も過ごしてきた。ギターのチューニングマシンを使うようになったのはここ1年くらいなのだけれど、それでもなんかしっくりこないで、いつもちょっとずつ調整しながらギターを弾いている。
 今はどうかわからないけれど、女の子(うちの姉と妹もそうだったけれど)はたいていピアノを習っていて、音楽が得意な女の子はみんなピアノで音楽を勉強してきたわけだけれど、ピアノの音程だけで音楽を身に着けた人の「音程感」というのに、どうしてもなじめなかったんだよね。特にハーモニーに。
 
 このジェイコブ・コリア―のyoutube映像には、IharmUという、シリーズがある。全世界の人が投稿してくれる、「ワンフレーズ、何か自由に歌った動画」(既存の曲もあれば、その人が即興で歌ったものもある。)に、ジェイコブ君が多重ハーモニーや楽器の伴奏をつける、というもの。セミプロっぽい腕自慢が、技術の限りのフェイクを入れまくったものから、素朴なおじさいちゃんや子供の歌まで、中にはハービーハンコックが、「今の気分はこんなメロディーだぜ」と、ピアノでぽろぽろと、わざとハーモニーつけにくそうなワンフレーズを-、なんていうのもある。ハーモニーをつける前の元の投稿がまず流れて、その直後にハーモニーつけたものが流れるのだけれど、もう驚きと感動でびっくりする。元の歌について、リズムはちょっと補正してあるのかな、というのもあるのだけれど、音程の補正は全然いれていないように聞こえる。唐突に終わる、最後に「いぇー」みたいなことを言う、そういうものまでも音楽の一部にしてしまう。僕のような素人が聞くと、この鼻歌みたいなのは、どういうビートの、どういう音楽をイメージしているのか全然わからない、というものも結構あるのだけれど、ジェイコブ君がハーモニーをつけると、そこに本来あるべき、歌っている人がおそらくイメージしていたリズムとハーモニー、音楽の立体的な全体像が突然くっきりと立ち現われてくる。
前に、玉置さんや秦くんは、相手が音程外しがちな相手でも、ものすごくきれいにハーモニーをつける能力がある特殊能力者だと書いたことがあるけれど、ジェイコブ君も、その特殊能力を異常なレベルで持ち合わせてます。ぜひ、聞いてみて。
Jacob Collier's #IHarmU Vol. 1
https://youtu.be/SM2nhLSeJXg
Jacob Collier's #IHarmU Vol. 2
https://youtu.be/nzHF225ibak
Jacob Collier's #IHarmU Vol. 3
https://youtu.be/jXQSKdmCsIo
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2017世界柔道 後半3日間 観戦記 [スポーツ理論・スポーツ批評]

世界柔道 フェイスブック投稿をまとめて転載。

■5日目 女子
新井千鶴が金メダル。素晴らしい内容だった。内容も良かったけど、とにかく勝って良かった。この選手、見ていてつらくなるくらい「気持ちが前に出る、ものすごく勝気でまっすぐ」「負けると悔しがる、自分を責める人なのだ。技術も素晴らしいのだが、それを上回る「気持ち」の人なのだ。
 リオで、個人的には全種目全競技中いちばん感動した田知本遥の金メダル。その田知本に国内最終選考負けてリオに出られないことが決まったときの新井。選ばれなかった選手は誰も皆、全員つらい思いをしているのだと思うが、新井はとにかく「気持ち」の人であり、大きな目から、その感情がテレビ画面を通じて強烈に伝わってしまうので、見ていてとてもつらかった。
 彼女に関しては、内容の感想はなし。とにかく勝てて良かった。おめでとう。
https://www.nikkansports.com/sports/news/1881503.html

78キロ以下級 梅木は準決勝までは完ぺきな勝ち上がり。決勝も本戦は互角でゴールデンスコアに入った瞬間の組み際小内刈りを喰って悔しい銀メダル。本戦からゴールデンスコアでギアを一気に上げる選手がいるので、そこでの集中力を欠いたのが悔やまれる。

■6日目 男子
男子重量級は、100キロ級でウルフ・アロンが初優勝。彼は、リオ五輪90キロ級金メダルのベイカー茉秋の、「春日柔道クラブ(講道館本部柔道クラブ)」⇒東海大浦安高校⇒東海大学の一学年後輩。そして、アメリカ人とのハーフという点も共通。東海大浦安ではベイカー3年、ウルフ2年の時に団体三冠を達成。柔道内容としても、ひとつの技にこだわらず、状況に応じた戦い方ができるという「東海大浦安スタイル」である。組手の上手さ強さも共通点。こうした組手の強さと柔軟な柔道も、90、100キロ級という、日本人が力負け(筋力負け)しやすい中で、彼ら二人は、力でも対抗できるというアドバンテージを持っている。
 一方のこの日、「なにもできずに負けた」100キロ級 羽賀龍之介と100キロ超級 王子谷も東海大出身だが、東海大相模高校出身。特に羽賀龍之介は、2015世界選手権、圧倒的な内股で世界一⇒2016リオでは、内股にこだわるも、組手、内股を研究警戒されて内股不発で銅メダル、周囲からもメディアからも、「世界チャンピォンになり研究される立場になったのに、内股にこだわりすぎてそれを警戒されたときの対策が不足」と叩かれたのに、まったく同じ負け方をした。おそらく首脳陣の評価でもウルフとの差が大きく開いたものと思われる。今後、大きな大会の代表には選びにくい雰囲気になった。
 王子谷も、国内では日本選手権に二回勝っている通り、日本人相手には思い切った大外刈りを出していけるが、それを外国人に警戒されたときに手がなかった。王子谷は本来は非常に器用な選手で、背負い、袖釣りなどの担ぎ技もできる。この日も終盤、背負いを一回出してみたが、「追い詰められて苦し紛れ」というものになり、打開できなかった。
 東海大学の上水監督は、試合時間と状況を細かく設定して、その場で戦い方を切り替える練習を重視するなど、「何があっても勝てる」柔道を指導してきた。ベイカーやウルフは、まさにそうした戦い方ができることで、世界の頂点に上り詰めた。一方の、羽賀、王子谷。特に羽賀は、こうした柔道ができないことで負けた。羽賀は高校時代、内股だけで金鷲旗で「20人抜き」という記録を作った「内股柔道」の人である。シニアになってから、それ以外のいろいろな対策をしてきても、いざ本番の試合となるとカラダに染み込んだ「内股だけ柔道」になってしまう、というのがリオと今回、露わになってしまった。
 オリンピックまで3年ある今回の世界選手権で優勝した若手たちは、皆、世界中からマークされ、研究される。そして「なかなか組めなくなる」「やっと組むと、やっと組めたから大切にしようと技の出が遅くなる」「そこを突かれて、相手に先に技を出される」「先に指導をもらってしまう」「ますます焦って不完全な組手で技を出してしまう」「返されて相手にポイントを取られる」というパターンで不調に陥る。今回不調の元世界王者、有力選手の共通パターンである。
 この不調と危機を乗り越えて世界一に返り咲いた高藤の偉大さがわかる。阿部一二三もウルフも、これから、必ずこの試練を迎える。東京五輪での金は、それを超えた先にある。(だから実は、五輪には、まだ実績は出していないが急激に力をつれて台頭した若手を選んだ方が金メダルを取る可能性が高いのだ。実際には代表選考プロセスと仕組みで取りづらい選択肢だが)
http://www.asahi.com/articles/ASK9255P8K92UTQP022.html

6日目 女子
朝比奈沙羅選手は、高校時代は、まだ自分の体重に対して下半身が不安定で怪我をしないか見ていてはらはらする感じだったし、お肉の中に顔のパーツが埋まっていて表情もよくわからない感じだったのですが、大学生になって、筋力も付き、バランスもよくなり動けるし多彩な技が出るようになった。かつ、表情もはっきりしてきて、強い意志や鋭い頭脳などが、表情からもはっきり読み取れるようになった。準決勝までの戦いは120点の出来でした。決勝は、本戦は支え釣り込み足がよく効いて優位に試合を進めていた。しかし、国内の試合ではほとんどないことの、相手の方が体格がでかい上に、安定していて大外や払い腰をかけると返されそうだ、という不安から、こうした大技が出せずにいたために先に指導をもらい、その差で負けてしまいました。しかし、これは本当に「良い経験」になると思います。頭が非常にはっきりした選手だからです。確実に技術と戦術で克服できる課題だったので、五輪までのあと二回の世界選手権で、世界一になれると思います。
 彼女の出身高校、渋谷教育学園渋谷は、東大に(一学年200人中)30人程度が東大に進学する、都内屈指、共学私立ではNO1の進学校です。渋谷のど真ん中でグラウンドが無いために、柔道場だけ折り畳み式超本格的道場を作り、運動部では柔道部だけを特別に強化しています。(五輪でふたつの銅メダルを持つ中村美里が先輩)。おそらくは柔道の推薦ではいったのだと思いますが、全国トップレベルの進学校同級生の中で勉強もがんばっていたようで、父親が医師で大学の先生、母親が歯科医師ということで、将来(柔道引退後でしょうか)は医学部に進学したいと言っているようです。
 東京五輪に向けては、現在高校二年生に、先日金鷲旗決勝で五人抜きをした素根輝という怪物がおり、おそらく東京の代表選考は素根と朝比奈が最有力、となると思います。今後の女子超級は、本当に楽しみです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170903/k10011123991000.html

■7日目 団体戦
団体戦のポイントいくつか。
①個人戦では実現しなかった、橋本壮市対アンチャンリンの対決が準決勝韓国戦で実現。本戦は互角、延長へ。アンが背負いつぶれて、寝姿勢と思い伏せたところを橋本がめくり返しての一本。つまらん。ルール上はアンの片膝が畳についていなかったので、立ち姿勢が継続しており、そこをひっくり返して背中を畳につけたから橋本の一本なのだが、柔道の「技」で投げたのではない。ラグビーのラックで相手をめくり上げるのと同じことで、ラグビー選手が普通にしている動作。柔道的な動きでは全くない。せっかくの世界ランク1位vs3位、全階級を通じても屈指の「達人」同士の試合が、あんな決着でがっかりでした。誰が悪いわけでもなくルールが悪い。
②90キロ級 長澤健大、活躍。90キロ級は五輪金メダリストのベイカー茉秋が怪我のため長期離脱。そのほかの選手ではメダルは狙えないとの判断で個人戦の派遣が見送られた。とはいえこの長澤、二年前は東海大の主将を務め、直前の世界ランク8位で、メダルの可能性がなかったわけではない。団体戦では、4番目男子は「90キロ以下」であればよく、ここは長澤と81キロ級永瀬の二人でいく予定が、永瀬の怪我で全試合長澤でいくこととなった。長澤としては、むしろ、次世界で戦えることを首脳陣にアピールするまたとないチャンス。初戦ウクライナ戦では負けたものの、そのあとの全試合、しぶとく勝利して優勝に貢献。実はこの長澤、小学校時代、相模原市の相武館吉田道場(中村美里らを輩出、小学校中学校の日本一に度々なっている名門道場)の出身で、我が家の三男と同学年。同市内の弱小スポーツ少年団出身の我が家三男と、市内の大会で何度が対戦があった。(長澤の全勝でした。)当時から柔道の中味はほとんど変わっていない。あまり切れの無い体落としと内股で相手をつぶして、全国最強の相武館の寝技で仕留めるという、地味だがしぶとい柔道。組手のうまさ厳しさも光る。という柔道をこの世界選手権でもそのまま実行した。地味で勝負が遅い、と思われたか、それでも勝ち抜くしぶとさががあると評価されたか。ベイカー不在の間の国際大会派遣で実績を残せば、今後、東京五輪代表争いに絡めるかもしれない。
③銀メダリスト 芳田司と朝比奈沙羅は強かった。女子では金メダルを取った新井千鶴は、個人戦ですべてを出し切ったためかやや不調だったのに対し、悔しい決勝戦負けをした芳田と朝比奈の二人は、その悔しさをぶつけるような気迫溢れる完璧な内容。素晴らしい柔道でした。個人的に団体戦MVPを選ぶなら、朝比奈です。
④王子谷、これをきっかけに復調なるか。原沢、王子谷ともまったく最低の内容で個人戦敗退。その汚名返上の機会となる団体戦。二戦目ドイツ戦 原沢は個人戦同様のふがいない内容。初戦の王子谷も切れの無い動きながら、どちらかと言えば王子谷という選択で、準決勝韓国戦は王子谷が選択されたが、ここで素晴らしい支え釣り込み足一発で一本。決勝は個人戦銅メダリスト巨漢シウバ相手に、本戦は「技は出ないがとにかく前に出る」で気迫を見せ、ゴールデンスコア最後の最後に、やっと大外刈を出して一本。国内ではほぼ無い、自分より身長体重共に大きい巨漢に、得意技の大外刈り(返される危険が最も大きい技)を出す勇気があるか、を問われた今大会。それを出す勇気が出ずに負けた個人戦の課題を、最後の最後に克服した。技の出が遅く、ゴールデンスコアで相手がへとへとになってやっと出せたというのは、首脳陣からするとまだ合格点ではないと思うが、それでも大外刈一本で大会を終えたことの意味は大きかった。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170904/k10011125651000.html



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ハリルホジッチ偉い。 井戸口 浅野を選んだ戦術的背景。  [スポーツ理論・スポーツ批評]

フェイスブックに書いたものを転載。

ツイッターで、日本×豪州戦のスタッツについての投稿を見た。
その内容は
シュート数     日本17   豪州5
枠内シュート数 日本 5   豪州 1
総パス数 日本305   豪州 627
パス成功数 日本216  豪州 514
ポゼッション]
(ボール保持率) 日本33.5  豪州 66.5

ハリルホジッチの狙いが如実にわかるスタッツ。オーストラリアに下手くそなポゼッションサッカーをさせておいて、ショートカウンターで仕留める。中盤高めでカットして大迫に当ててカウンター。追い越していく選手は足が速くてドリブルできてそのままシュートまでできる選手。という条件で中盤高め守備ボール奪取能力+パス+カウンター自ら走って参加能力で、井手口と柴崎、どっちにするかの判断だったのだろう。浅野と原口、どっちを先に使うの判断だったのだろう。コンフェデでの「オーストラリア、意外に上手い、ポゼッションサッカーしてる」分析対策が見事にはまったのだろう。かつてのポゼッションサッカーを日本が志向していたときの印象で見ると、下手になった印象なのはそういうこと。バルサのサッカーを期待して見てしまうが、それに対抗するモウリーニョの側に日本がなったということでした。

その他感想。
私の妻はサッカー(に限らずラグビーやバスケットもなのだが)を漠然とみて正しく判断するという意味での、見る目が異常に肥えていて、昨日も初めの何分かで、「なんだか下手になった、ドーハの悲劇のころくらいにサッカーが戻ってない?」と言い出したのだが。スタッツで見て納得。日本がアジアでこれだけ明確に、ポゼッションサッカーをやめて、カウンターを狙う側になるのは、あんまり無かったこと。ここ20年くらい「黄金の中盤」が売りで、技術の高い選手のボールポゼッション力がありすぎたため、監督の戦術がどうあれ、ポゼッション率がこんなに低くなることは無かったのではないでしょうか

前半20分すぎくらいまで浅野が何していいか分からず全く機能しておらず、表情も自信なさげ、単に戸惑っている風だったので「浅野下手くそ、早く替えろー」と叫びながら観ていました。テレビ朝日レポートで、ハリルホジッチが浅野に「球が来ないときは中に入れ」と指示した、とあり、その後、得点シーンの数分前に、浅野が思いきりのいいドリブル突破に成功し、表情に自信が見えてきて、の直後、先制点。妻に「浅野、点とったね(ニヤリ)。良かったね。」と言われました。

試合終了間際に、井手口が中盤自陣でボール奪取しては、前線にロングフィードを出してはフォワードを走らせる姿に(髪型もあって)、野人岡野に無慈悲なパスを出しては走らせまくったジョホールバルの中田英寿を重ねたのは、私だけでしょうか。
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2017世界柔道 前半4日間、観戦記 [スポーツ理論・スポーツ批評]

フェイスブックに、世界柔道観戦記を書いてきたのを、ブログに転載。前半4日分。

■第一日目 
 高藤がリオで銅に終わったときに、それでも高藤は世界最高の天才なのだ、と書いた。本当に悔しかった。中学時代から、いろいろな大会の神奈川県予選からずっと見てきて、相模と桐蔭のたくさんの超一流選手、後に世界選手権やオリンピックで活躍する選手たちを中高時代から見てきたが、その中でも、際立ってすごい、畳に上がるだけで会場中が固唾を飲む、カリスマ性と言うか、スター性というか、そういうものを持つ選手なのだ。そして、悔しいリオの敗北から、天才はさらに進化していた。
 優勝インタビューで「永山にまだ勝っていないから。永山に勝ってから喜びたい」。東海大の後輩に、国内大会で二連敗していることからの発言。今回世界選手権は、60キロ級は永山、高藤、二人が出場できたので、二人出せれば、日本はほぼ金メダルが取れる。これがオリンピックで、グランドスラム東京、選抜体重別で二回高藤に勝っている永山を代表に選んでいたら、メダル無しに終わるところ。今回世界選手権の結果でまた、一人しか出場できないオリンピック代表選考の難しさが浮き彫りになった。
 明日66キロ級は阿部一二三が登場。リオオリンピック直前の選抜体重別で、海老沼に圧勝(一試合で二回、完璧にブン投げた。初めの技が技ありに判定されたためだが、二本取っていた。)していたのに、その前の国際大会で結果を出せていなかったために代表に選ばれなかった。オリンピックのタイミングでは海老沼より圧倒的に強かったのに、である。海老沼が銅に終わっただけに、「阿部一二三を出していれば」と柔道ファンは皆思った。なので、今回、柔道ファンは、阿部一二三の圧倒的一本連発での優勝を期待しているのだが。さて、どうなるか。
https://l.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Farticles%2FASK8X4Q6XK8XUTQP00X.html&h=ATNmjI5Sei08kWXAmo6J10yago4OBotzY3tMzEGSQD7uzSSbGuHio-I5_UFDIe2qAWsGIZu3A5-KUnZUEo5xJpdEUIAPCa3JwAkvNj1c93j3xi8zuQHc1jEMvtxGHoKBi8QAEytp_L1VpcdUj2SolHRCaJiMhQutcH16W8_hwflp_rY7n2nvwipJGVVtzbL_GU5fkcjukpppIciYv4XoF46vy8RccvRWKH_1dxH-P2sBAaUHvegrxpO4eiE

■第二日目
阿部一二三、世界中の柔道関係者の度肝を抜く圧勝。誰もが期待していた、その上を行く内容での優勝でした。準々決勝での元世界王者ザンタライアを、小内刈、大外刈、稀に見る打点の高さで宙を舞わせた背負い投げと三回も畳にたたきつけた試合は圧巻。その前の四回戦ポルトガルのクリソストモ戦も、審判がたくさん阿部の技を見たかったのか、一本を取って当然の決まり方の技を、三回も技ありにしたために一本勝にはならなかったが、内容的には三本勝ち。準決勝では組手を逃げまくり、組み際に技を出すグルジアのマグレヴシビリにややてこずったが、足技を技ありから抑え込んで一本勝ち。決勝はロシアのブリヤエフに、危ないシーンがひとつもない、いつ阿部が投げるのかだけが焦点のような試合。全盛期の井上康生や、リオの大野将平のような、「組まれたら投げられてしまうので相手がひたすら組手を逃げまくっても、それでも組んで投げ飛ばしてしまう」という異次元別格な強さだった。これからは世界中のライバルから研究され、対策されながら、東京オリンピックに向かっていく苦しい三年間になる。妹の阿部詩も、今回代表には選ばれなかったものの、高校二年なのにもう52キロ級世界ランク16位。先日の金鷲旗決勝で、自分よりはるかに上の階級の選手も含め4人抜きをした怪物。昨年の東京グランドスラムでは、銀メダルを取ってシニアの世界レベルでもすでに実績十分。東京五輪では兄妹揃っての金メダルが期待される。
 その52キロ級だが、こちらも兄妹柔道家である志々目愛が、あのケルメンディを準決勝で破り、決勝では日本人対決で角田に勝って見事な優勝。52キロ級で長く世界のトップに君臨しながら、五輪金には手が届かなかった中村美里。中村のリオでの五輪金の悲願を打ち砕いたのがコソボのケルメンディ。日本選手が今まで誰一人勝てなかったケルメンディを、ゴールデンスコア、見事な内股透かし技ありで勝った価値、その重さは柔道ファンは皆、理解している。阿部の派手な優勝に話題は集中すると思うが、志々目の優勝の価値は、それに勝るとも劣らない。

 明日男子73キロ級には、遅咲きの天才、橋本壮一が登場。同階級はリオまでの数年間、日本に三人の世界チャンピォンが同時に存在し(大野将平、秋本康之、中矢力)代表を争ってきた。その影に隠れてなかなか世界で戦うチャンスに恵まれなかったが、この一年間、与えられたチャンスをすべてものにして、今やIJFランク世界1位に位置している。
 これに対して、韓国代表のアンチャンリン。韓国代表だが、在日三世で、日本生まれの日本育ち。橋本が東海大相模出身なら、アンチャンリンは桐蔭学園出身。神奈川県内のライバル校出身。2学年違ったのと、当時は橋本が81キロ級、アンが66キロ級と階級が違ったために高校時代は公式戦対戦は無かった(と思う)が、大学で、両者73キロ級となり、アン筑波大学2年、橋本東海大学4年の学生体重別決勝で対戦。このときはアンチャンリンが背負いで一本勝ちしている。その後アンは韓国龍仁大学に転校して韓国代表となり、リオオリンピックを迎えた時には世界ランク1位になっていた。しかしメダルには手が届かなかった。今年のパリグランドスラム決勝で対戦し、橋本が勝っている。世界ランクも橋本1位、アン3位となっている。
 私の三男は、桐蔭学園柔道部でアンチャンリンと同級生なだけでなく、練習パートナーだった。試合を見に行くたびに、アップのときから打ち込み投げ込み、練習のほとんどをアンと組んでやっていた。アンのインターハイ遠征にも付人、練習パートナーとして同行している。なので、「ニッポン柔道」を応援する気持ちもあるが、アンチャンリンのことは、身内のような気持ちで応援してしまう。橋本がプールA、アンがプールDなので、決勝まで勝ち上がらないと、両者の対戦はない。できれば、両者の決勝を見たい。
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■第三日目
橋本壮市の金、芳田司の銀。これは、今年から採用されている柔道の新ルールの中でも「有効の廃止、一本と技ありの二段階のみに。」の影響、明暗が残酷なほどはっきり出た。
テレビ放送では、予選ラウンドは、日本選手のいいところ、ハイライトしか放送しないが、ネット中継でなら全試合観戦できる。そして当然私は全試合観戦しているのだが、
橋本の初戦は本当にひどかった。気負い過ぎて体も動きも固く、体落としでほぼ一本の技ありを取ったものの、その直後、相手の捨身、巴投げをもろに喰う。見ていて思わず「一本、負けた」と思った。が判定は技あり。(たしかに体側から落ちているから技ありで妥当かとは思うが。)橋本はその後、もう一個、技ありを取り返して逆転勝ちするのだが。
 ルール変更直後のため、「技あり」の判定基準がまだ審判間で大きくブレており、どう見ても一本のものが技ありになったり、反対に、かつてのルールで有効にもならないかも、というものまで技ありになったりする。技ありの「上下の幅が広がり」「それぞれの境界線があいまい」になっているのだ。
 判定基準、その運用に自信の無い審判は、「このひとつの技で本当に試合を終わらせていいものか」と、本来なら一本をとってしかるべき強い技の決まり方でも「技あり」にしてしまう傾向が今大会強く出ている。「前の体落としも技ありにしたし」「日本代表かつ世界ランク1位の橋本を、初戦で負けにしてしまっていいものか」という、「バランスとり意識」「選手の格にたいする忖度」などの迷いの中で、あの審判では巴投げに対し技ありを宣告したと思う。
 橋本の決勝の決まり技も、「あいまいな技あり」である。もちろん、あの試合はあのまま続いていても橋本が勝ったのではないかと思うので、橋本の優勝の価値が減ずるものではないが、だからこそ、もっとはっきりしたポイントが出るまで、試合を続行した方が良かったと思う。あれは効果まである昔の四段階基準で言えば「効果」であり、有効もなかったと思う。
 今回のルール変更では、かつての「有効」の中でも技ありに近いものは「技あり」として取ることになっているが、かつての「有効」の中で「効果に近い」ものは取らないのが方針だと思うのだが。
今大会、ゴールデンスコアになったときには、反則よりは技のポイントで決着をつけるようにするために、判定が甘くなる傾向が強い。そのトレンドが橋本には有利に働いた。
 一方の芳田司の決勝戦、ゴールデンスコア。この試合の審判は、「反則では決着はつけない」「判定はあくまで技ありの基準を満たすもの」という方針を、かたくななまでに押し通す審判だった。芳田はゴールデンスコア前半に、「効果は確実にある」技を三回は出している。もし橋本の決勝をさばいた審判だったら、どれかひとつに対しては技ありを宣告したのではないかと思う。
 こうしたルール変更の影響直後、審判の判定基準の揺れは避けられない。過去にも、その影響で得をする選手、損をする選手の明暗は、常にあったことである。だから、「金を取った橋本」だけでなく、「惜しくも銀だった芳田」の柔道内容がどれほど素晴らしかったかについては、改めて強調しておきたく思った。
https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fnews.nifty.com%2Farticle%2Fsports%2Fathletic%2F12136-412142%2F&h=ATMXVMyfHlSsX31mlpS64aenGAjmKK3IOYp2MFnLQwCoqLmlPSw17Tv0cPHdvaeCjCLFeu4kZPpBXdtmZFgxZIzRUFST3W93hhXOA3emF6wpIZbv-_NYA61F8JP2ys_som72hRISlbPmy6V2aIkT9wXdEGeX1XQl_QLdp_dgPQCtc6yxn0HQJ7BfnNcSlKWFawRu9zoh_QRVeMnNH1LdCC5Lc8J5Vm-ZdPOufKKWmKU0BiRFm2lg_0eZLjgjSt8ec5T0Pp_SFe2r-81fwyGHqBmnupAe7fE8MMrEpPJjei0-

■第四日目
女子63キロ級は日本は出場無し。男子81キロ級は永瀬が膝の負傷で無念の敗退。メダルに手が届かないと、一般メディアではまったく話題にもされないのは宿命。また、同日にサッカーワールドカップの代表決定と言うビッグニュースがあれば。それもやむなし。とはいえ、日本男子にとっての81キロ級の難しさと、その中で永瀬がいかに特別で、貴重な選手なのかについて書いておきたい。
 男子が現在の体重区分になったのは1999年から。そこからの11回の世界選手権のこの階級で金メダルを取ったのは、永瀬ただ一人。5回ある五輪では2000年シドニーの瀧本誠一人。永瀬が登場するまでの10年以上、世界選手権で銅メダルに手が届けば大殊勲、という「日本人が勝てない階級」とされてきた。
 81キロ級と言う階級に該当する身体条件は、「180cm~、手足が長く、やせているが筋肉質」「175cm前後、がっちりとした中肉タイプ」「~170cm以下、アンコ型」と大別できるが、日本の中高では、がっちりタイプとアンコ型が半々、長身タイプは少ない。長身タイプで運動能力のあるタイプは、あらゆる他のスポーツでひっぱりだこだから、そもそも柔道部には少ない。(私の長男、三男は中学で81キロ級の神奈川の2位、3位の選手だったが、二人とも160cm~163cmのアンコ型であった。)
 一方、世界では81キロ級は、長身タイプとがっちりタイプがほとんど。軽量級であれば素早い動き+背負い投げを中心とした柔道なので低身長は不利にならないが、81キロ級では、シニアになれば長身タイプやガッチリタイプの方が筋力では有利になることが多く、動きも低身長でも太っていれば遅くなる。上から奥襟を取られてがっちり引きつけられて、内股や裏投げ系の技をかけられてしまう、正統派の日本柔道がいちばん出しにくい、身体サイズと筋力の影響を最も受けやすい階級なのだ。
 そんな中、日本選手としては珍しく長身で手足が長く、かつ筋力も強い、珍しい身体条件を持って、あっというまに世界のトップまで上り詰めたのが永瀬だった。リオでも圧倒的な優勝候補として期待されながら、力がだしきれず、銅メダル。今回の世界選手権は、次の東京まで、世界のトップに居続けるための重要な再スタートだった。
 大学時代に筑波大のエースとして体重無差別の団体戦でエースとして登場したり、やはり体重無差別の全日本選手権に登場して3位入賞したり、という「怪我をしないかな」とはらはらするような戦いに参加しても、ここまでは大きな怪我をせずにきたのだが、今回の怪我は重傷に思われる。受傷時のようすと、その後の試合での動きから、膝の靭帯損傷のように見えた。内副側靭帯は切れているっぽい。ここが切れているときの半数以上は前十字靭帯も痛んでいる。内副側だけなら手術なしで半年くらいで再建することもあるが、十字靭帯断裂だと、手術+リハビリで、完全復帰には二年近くかかる。東京五輪の代表争いに加わるには、すぐに手術をしても、ギリギリのタイミング。
 現在、81kg級には、永瀬以外に世界のトップを狙える選手は残念ながらいない。今後二年間で、若手の有望選手がどこまで伸びてくるかだが、永瀬は、怪我さえしっかり治して帰してくれば、代表争いの有力候補になることは間違いない。怪我との戦いに勝って欲しい。
 (個人的には、グランドスラムやグランプリへの派遣機会までは掴んでも、その先に進む段階で壁にぶつかっている、桐蔭出身の、丸山剛毅選手や山本幸紀選手に、このチャンスに一気に81の日本でのトップの地位を掴んで、東京の代表争いに絡んで行ってほしいと願っている。)
https://l.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Farticles%2FDA3S13111888.html&h=ATOdgMr5gFmZNiIQT-eXpEZVC0brONKCfXMnmaA77vqV8UWyIQxIzwhPWCX0aMVKB8VR5zMEgtthtAqj19BJnowOTB3rVJGRShRBXKWHENqpwWxQzqjYcFSNewel8WUgkB38K8vahSpaWKGoAmLOy-MUylXK8rE0diQ1VYB5fvPvzG-1c-7UCmDNMiqScP25YsXykFCYrnaWfeZCqKy1q8qLgeYCX9JTEt48I6Ryf51chzUojzrH4Le24d8cGZ5tN789BMJSHoXjVbZogVekSCv6q6c3Eo1I
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今夏のNHKスペシャル四連作「本土空襲全記録」「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」「戦慄の記録 インパール」に思うこと [文学中年的、考えすぎ的、]

今夏のNHKスペシャル四連作「本土空襲全記録」「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」「戦慄の記録 インパール」、これに、「本土空襲全記録」と連動し、その米軍側の内幕をさらに深耕したBS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」も含め、大変力の入ったものだったし、ツイッター上でもここ最近なかったほど賛否両方の意見で沸き返ることになり、フェイスブックの私の友人たちの間でも話題になった。これらについて思うところをまとめておきたい。
ここ数年、戦前回帰を目指す安倍政権の意を受けた籾井前NHK会長の方針により、戦前軍部批判色の強いドキュメンタリーが作りにくい、放送されにくい傾向が続いていた。それが、籾井体制の終焉、安倍政権支持率低下により、NHK内の力学に変化が起きたことが、今夏番組内容変化の背景にあると推察される。
 このため、上記番組においては、権力側への批判色が強まり、一般市民や下級兵士たちの苦難を強調する基調が鮮明になった。
 「本土空襲全記録」と「なぜ日本は焼き尽くされたか」においては、米軍内部の「空軍自立への権力闘争」と、「軍事施設目標への精密爆撃」を標榜しながらその難易度が高いために、「一般市民への無差別爆撃」が正当化されていくプロセスが描かれていく。米軍の爆撃機や戦闘機の乗員の、日本人の一般市民を攻撃することへの「戦争中はその正当性を疑わなかったこと、地上の動くものは誰であろうと打つことに熱中していたこと」という戦争のもたらす狂気と、「現在振り返っての悔恨」という図式をもって描かれていた。
 「731部隊」においては、現場の医学者ではなく、研究費集め、医学界での地位拡大のために731部隊に多くの医学者を送り出した京都帝大医学部長戸田正三を中心人物として「本土の学術界の中心にいて手を汚さずに大罪を犯しながら戦後も地位を極めた人たち」その命令によって「積極的に人体実験をした医学者」「いやいやながら人体実験していく医学者」「それを実施する部隊軍人」「少年隊員として残酷な人体実験の、もっとも悲惨な下働きをさせられた、生き残っている老人の証言」「人体実験された現地の人たち」という「大悪人から被害者のグラデーション」をつけて731部隊のありようを描いていく。
 「樺太地上戦」では、終戦を迎えたにも関わらず、8/15以降も続くソ連軍の侵攻、北海道へのソ連侵攻と、戦後のソ連北海道支配を阻止するために、大本営の戦闘行動即時中止命令に反し、樺太死守の命令を出した札幌第五方面軍司令官樋口季一郎中将を中心に、手薄な兵力の中で樺太死守を命じられた樺太師団 鈴木参謀長の判断のありようが批判的に描かれ、その結果としての一般住民の悲劇が拡大した、という構図で「加害者―被害者」関係を描いていく。
 「インパール」では、大本営内での机上の空論と人情(誰の気持ちを汲んでやらせてやろう、)、現地第5軍司令官 牟田口中将を最大の責任者として描きながら、現地司令官、参謀の、兵站を軽視した無謀な作戦により、(それを指摘反対する参謀、幹部はすべて左遷更迭され)、3万人もの兵士が死亡、その6割が戦闘ではなく、撤退時の餓死、病死。友軍兵を殺しその肉を食べるだけでなく、持ち歩いて物々交換するというまさに地獄の状況となった。牟田口中将に側で使え、その発言を記録していた齋藤少尉の手記記録を辿りながら、牟田口中将を初めとする将校参謀の無謀と、戦後も生き残って自己正当化を図る無責任さをひとつの極に、もうひとつの極として現場の兵士たちの味わった悲惨を、生き残った兵士の証言、亡くなった兵士の残した手記、現地住民の証言などで描いていく。

 より権力中枢にいた人間、作戦を立て進めた人間が、敗戦になると、いちはやく逃げだし生き延び、戦後も責任を取らず、中には知らぬ顔で地位を極め、自分のしたことを正当化していった。その一方、現場にいた多くの一般市民や下級兵士たちが犠牲となり、生き残っても大きな傷を抱えて戦後を生きてきたか。そして、この構図は「今の日本社会でも変わっていないのではないか」という問題提起。この、わかりやすい構図が貫かれているがゆえに、「NHKが良心を取り戻した」という賛辞とともに、保守勢力周辺からの激しい批判も巻き起こすことになった。

 私の基本的立場は「NHKがこのような番組をオンエアできるようになって良かった」側なのであるが、それだけではない、モヤモヤした想いも残る。

 単純な「悪である権力者、軍幹部」と「被害者としての下級兵士と市民」という二項対立では、戦争は描ききれないのではないか。
 例えば、日本軍のようには「愚かでない、合理的判断ができる軍」というのはどういうことなのか。そんな軍というものはあり得るのか。補給兵站をきちんとやった、と言う意味では、米軍は「合理的判断ができる」軍だったが、その一方で、「本土空襲全記録」を見れば、米軍が一般市民を大量虐殺する空爆を軍内部権力争いの中で正当化し実行していったことを見れば、(日本に対して行っただけでなく、ベトナム戦争でもその路線は継続したことを考えれば)米軍とて「合理的で善良」でないことは確かだろう。
 牟田口中将が「5000人殺せばインパールを落とせる」(自軍兵士を殺せば、とたびたび発言したこと)に批判が集まっているが、言葉が乱暴なだけで、軍の参謀にとっては一般的な思考回路ではないのか。ノルマンディー上陸作戦で連合軍の初めに上陸する部隊、兵に役目に当てられた部隊は、ほぼ「決死」であって、(特攻のような100%の死が確定しているわけではないものの)「上陸初期の想定被害」として計算されていたのではないか。軍の作戦上「任務遂行のためにどれだけの犠牲が必要か、許容しうるか」という冷徹な視点は、全ての軍隊に、現在の自衛隊にだって存在する。旧日本軍の「精神主義」や「非合理性」は批判されるべきだけれど、「一定の兵力の犠牲の上に、国益のために戦争をする」のは軍の本質であって、そのどこまでを批判すべきなのか。
「樺太」の番組が保守勢力に批判されたのは、この番組で樺太の悲劇の張本人とされた樋口季一郎中将という人物が、実は非常に良心的な人物として国際的にも評価が確立していることにある。ナチスに迫害されたユダヤ人をソ連→満州国ルートで逃がすことに尽力し数千人のユダヤ人の命を救った。後に戦犯として裁かれそうになったときにユダヤ人が救命に動いてくれた。アッツ島玉砕後のキスカ島撤退時、大本営の命令にそむき、無血撤退を実現し、多くの兵の命を救った。陸軍軍人の中では稀な良心の人として知られている。樺太の死守という判断も、ソ連軍の侵攻に対し、諸般の条件の中で苦渋の選択だったのではないか、という見方もできる。(占守島の防衛戦で善戦することで北海道へのソ連軍侵攻を防いだのも、この人の功績である。)(ソ連兵の行動特徴からして、戦闘せずに武装解除したとしても、女性への強姦や、多くの人が長期抑留などの悲惨な目にあった可能性が高かった。判断を誤ったと後に後悔したとしても、「無能無責任」による判断ではなかった、当時の情勢の中ではやむを得ぬ選択だったのでは、という見方ができる。)
 軍の上層部が「すべて悪かつ愚劣」で、被害者は一般市民や下級兵士だけ、という図式からこぼれおちる人物、というのも存在したはずであり、そうした人物であった可能性の高い樋口中将までも「無責任で無能な軍幹部」として描くことに批判が出たのである。
 また別の視点ではあるが、インパールの番組を見て、不思議に思ったのが、現在の現地(ビルマからインパールの行軍途上の村)の少数民族の村の人たち(当時を知る老人たち)の多くが、日本兵について好意的な記憶を持ち、好意的態度だったこと。中には、食料として大事な牛を取られたことを恨んでいる人もいたが、「殺された」とか「強姦された」とかいう記憶としては残っていない。「ジローは楽しい人だったよ、子供たちに人気があった」とか、遺品を今でも大切にとっておいてくれて、「日本人の遺族が来た時のために大切にとってあるよ」と言ってくれている。友軍兵士同士が共食いするほどの状態で撤退しながら、現地の人たちに「日本兵がたくさん死んだ」という記憶としては残っていても「日本兵にひどいことをされた」という記憶として残っていないのはどういうことなのだろう。インパール作戦自体は日本兵にとっては、悲惨なものであっても、アジア史全体の中では、イギリスからインドの独立に一定の影響を与えたという評価もあり、それが「ネトウヨの希望的捉え方」なだけでないことは、はからずも、今回の番組の、現地少数民族の村の人たちの態度ににじみ出ているようにも見えた。

 どんな国のどんな軍隊でも、戦争は一般市民や下級兵士に悲惨で過酷な犠牲を強いる。その中でも、戦前の日本軍トップ、大本営や将校たちの多数が持つ非合理性、精神主義、無責任さ、人命軽視はひどいものだった。ここまでは、事実として認め、反省すべきだと思う。
 だから、の、その先が大切だと思うのだが。
 「すべての権力者、すべての軍幹部」は、本質的、不可避的に巨悪である、と批判しては、その立場になろうという人が出てこない。「権力者」つまり政治家になろうという人と、「軍」に関わろうとする人は、すべて悪意に満ちた人、あるいは悪に落ちることを初めから肯定している人である、という規定をしてしまっては、優秀な人材が、政治家にも軍人にもなろうとしなくなってしまうではないか。その結果が、「二世しかいない政治家」と「制服組って本当はどの程度優秀な人たちなの?」がわからない現状に着地してしまっているのではないか。
 どのような理由があろうと、いったん戦争が起きれば、現場の兵士と、一般市民が悲惨な目に合う。だから戦争は極力さけるべきだ。政治家たるもの、そのために最大限の努力をすべきだ。ここまではOK。反対する人はほとんどいないと思う。
 政治家、偉い学者、軍司令部、こうした人たちが、愚かであったり、利己的であったり、無責任であったり、間違いを起こしたまま責任は取らずに済むような体制になっていたりすると、戦争の悲惨さは無限に拡大していく。これが今回の番組で強調されたポイント。これも事実だ。これもOK。
 では、どうあるべきなのか。最も知的で、利己的でない人物が、権力を握れるような仕組み。しかも、そんな人物であっても、政策を間違ったときには、きちんと責任を取らせられる体制ってどんな政治体制だろう。
 しかも、責任の取らせ方が、隣国韓国のように、大統領経験者が政権を追われた後はもれなく吊るし上げにあって、投獄されたり自殺に追い込まれたりするのでは、誰も権力者を目指さないと思う。
  今回の番組について、「昔の軍部の体質は」「現在の政権と変わらない」「ブラック企業と変わらない」「日本人のダメなところは全然変わっていない」という意見がツイッター上に溢れた。
 どうしたら、変われるのか。「あいつら最低だった」ではなく、どうしたら変われるのかを考え続けたい。そんなことを、番組を見ながら考えました。

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AIについて、思うこといろいろ。 「NHKスペシャル AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン」炎上問題と、 『AIが神になる日』 Kindle版 松本 徹三 (著)を読んで。 [文学中年的、考えすぎ的、]

「NHKスペシャル AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017080121SC000/
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170722
 このNHKスペシャルに対して、統計学者数学者やら、そのあたりを学んだ学生さんらを中心に「因果関係と相関関係の区別がついていない」「ビッグデータ解析であって、全然AIではない」などという批判が集中して炎上した。この批判も、表面的に見れば正しいが、AIの未来における役割や危険性や可能性についての理解の乏しさと言う意味では、かなり「低レベルな批判」だと思う。もっと低レベルなのは「40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす」というAIの(分析から番組製作者が勝手に作った刺激的な)提言に、ひとり暮らし40代が「自分たちに死ねと言うのか」という脊髄反射的低レベル反応をして、ツイッター上に溢れて、まあ炎上したわけである。(ツイッターコメントをおよそ読んだが、こういう批判をした人の大半は番組本編を見ていなかったようである。ネット上炎上情報や番組予告篇程度を見ての発言が大半だった。)
 NHKスペシャルのAIテーマを追いかけているチームは、昨年から、将棋の電王戦を追いかける、羽生さんをメインに立てて、国内外のAIの研究と実用化動向を取材するなどの実績を重ねてきて、ここに至っているので、AIについてわかっていないわけではない。ここで出ているような低レベル批判は出るのを承知の上で、将棋にもAIにも興味の無かった人まで取り込もうとしたのだと思う。炎上覚悟の刺激的提言と、マツコデラックスと有働アナという、お茶の間メジャー度でいうと横綱級の二人をMCに据えて、本当の一般大衆レベルに、AIが発達してくると、「今までの常識、普通の人間の感覚では受け入れにくい何かが起きるのだ」ということを伝えよう、という番組だった。

 将棋や囲碁において、最強のプロである将棋名人や、中国人最強(=人類最強)棋士がコンピュータに勝てない、つまり人類がコンピュータに勝てない、という時代が到来した。今までの「とはいえ、天才の直観力が」「人間にしかない××が」という期待をすべて否定するような、圧倒的な差が生まれてしまった。その差は今後、開く一方であり、人間側の巻き返しは見込めない、というところまでいってしまった。(囲碁は複雑性が高いので、まだしばらくはAIと人類の戦いは続きそうだが、将棋の電王戦は、これ以上やっても無駄、人類は勝てないということで、今回で打ち切りになった。)
 この事態を、普通の人はまだ呑み込めていないのだと思う。将棋や囲碁のようにルールが決められたことならまだしも、現実社会の複雑な事象に対応するのは、やはり人間でなければできないだろう。できないはずだ。こう思いたがっているのだと思う。
 NHKスペシャルは、「AIなんかに複雑な現実社会の問題など解決できるはずがない、されてたまるか」という、一般大衆の逆鱗に不用意に触れてしまったのだと思う。
 ここ5年10年ではたしかにそうかもしれないが、しかし、これから20年30年たつと、そうも言っていられなくなる。私は社会人になって32年なので、私が新入社員のときというのは、自動車電話はあるが携帯電話はない。インターネットも無い。GPSもカーナビもない時代だった。携帯電話はまだ想像できたとして、インターネットという概念自体がなかった。中国はまだひどく貧しく、GDPで日本が中国に抜かれる、などと言っても、誰一人信じなかっただろう。それくらいの社会変化が起きる。変化速度はこれまで30年よりこれから30年の方が早い。今の新卒社会人が、55歳になるころには、AIはおそるべき進化をとげて、人間社会、人間のありようを根本的に変えている可能性がある。というより、その可能性が高い。

 あの番組のシステムはまだ「AI」とは呼べない未熟なものである。提言は番組製作者のお遊びレベルの粗末なものである。しかし、AIがこれから進化したとき、何が起きるのか。それに対し、人間はどういう態度をとるのが正しいのか、そういうことを考えるスタートにしよう、というのが番組製作者の意図だったのだと思う。
 「AIの提示する解決策には、人間の理解の仕方・因果関係では理解不能なものが多い。しかし、実際にやってみると、人間以上に上手に課題を解決してしまう。そういうAIが発達していったら、社会的課題の解決は、AIの言うことを、(根拠はわからなくても、)検討してみる価値があるのではないか?」

 将棋囲碁のAIソフトでも、投資銀行のディーラー業務に関してすでに稼働しているAIについても共通してるのは、「なぜかは説明できないが、その判断が、人間の判断より有効性が高い、正解度が高い」という不思議な特性を持っていること。機械学習、ディープラーニングで、AI自身が学習し法則を見つけて自らを進化させていく、ということになった瞬間から、この特性がどんどん膨らんでいる。ディープラーニング以前であれば、「人間の作ったプログラムを超高速で演算するからコンピュータはすごい」だったのが、ディープラーニングが進化してくると、開発の人間が「AIがうまく進化するように微妙にプログラムをいじる」ことと「AIが自身を進化させていくこと」の間の関係性が、ブラックボックス化していく。
 冒頭、「このNHKスペシャルは相関関係と因果関係を混同している」という統計学者、数学者の批判を低レベルと言ったのは、そういうことだ。AIでは、なぜそうなるのかの「因果関係」がわからなくても、「その手を打てば、この課題解決に効く手段」を編み出す、作り出すことができる。「因果関係」はわからないが、単なる「相関関係」でもない。人間にはその因果関係は説明できないが有効な手段をAIは出すことができる。これがAIの、人間の常識に著しく反するところなのだ。人間の意思決定は、何がしかの因果関係メカニズム理解があり、それが説得力を持つ時しか意思決定できない。(民主主義では合意が形成されない。)のに対し、AIは、因果関係は説明不能だが、有効な解決策を提示できるように、いずれなる。人間の理解を超えた、様々な有効な社会課題解決手段をAIが作り出せるようになったら、社会はどうなるべきか。人間はどうすべきか。
 このあたりのことを、考えるベースを、網羅的かつ根源的に考えさせてくれる本として、『AIが神になる日』松本 徹三 (著) をお勧めしたい。著者は京都大学法学部卒→伊藤忠→クアルコム日本法人社長→ソフトバンクモバイル副社長という、商社マンからITビジネス黎明期から現在まで第一線を走ってきたおじい様である。ビジネス55年、御年77歳、一流ビジネスパーソンなだけでなく、哲学・歴史・政治などに幅広い知識を持ついわゆる「教養人」でもある。つまり、「若い理系のIT専門家とか学者」が、わけわからんことを語っている、という本では全然ない。大人ビジネスパーソンかつ教養人の立場から、AIの未来をどう考えているかを平明な言葉で語ってくれます。
私は、松本氏の意見に全部賛成というわけではないですが、これくらいの視野の広さ深さの認識をベースに、AIというのは議論すべきだというその基本スタンスに大賛成。
 特に、初期段階でAIに対するスタンスを人類共通でうまく管理しておかないと、AIが人類を滅ぼす可能性が高い、という点について、松本氏が真剣に考えた上で、この本を書いていること。(必ずしも全体が悲観的な未来を書いているわけではないのだが、)「AIのリスク」について、真剣に考えている点は大いに評価すべきだと思う。
この本を読んだ上で、NHKスペシャルを改めて見る、というのがお勧めです。
http://amzn.asia/1WhurnS

内田樹氏『日本の覚醒のために』と玉置浩二・声の力 [音楽]

『日本の覚醒のために──内田樹講演集 (犀の教室)』
内田樹 (著)についてフェイスブックに読書感想をいつものように書きましたが、以下はブログ追加部分。玉置浩二の声の力について。内田樹氏の文章が、その解説になっていた、という話。
 Ⅳ ことばの教育 で、音読の教育効果について内田氏が語ります。「僕は17年ほど観世流の能をやっているのですが、稽古を始めて何年目かに、謡をやっていたら、それまで全然使っていなかった身体部位が共鳴し始めたということがありました。能の謡というものは「一人オーケストラ」みたいなものなんです。声帯だけでなく、胸骨や鼻骨や頭骨からも、胸郭や腹腔からも、全部から音が出る。稽古が進むと、共鳴する身体部位の種類が増えてくる。骨と筋肉や内臓では振動数が違いますから、震えて音を発するときに遅速の差が出る。それが輻輳して倍音が出る。その倍音にまた思いがけない身体部位が反応して、共鳴し始める。(中略)嘘をついている人間の言葉は内容的にどれほど整合的でも直観的に聞きわけることができます。嘘をついている人間は微妙に早口になるし、共鳴する身体部位が少ないので倍音が出ません。(中略)「声がいい」というのは、身体から倍音が出ているということだからです。だから、言っていることが支離滅裂であっても、没論理的であっても、話している本人が「自分は真実を話している」と確信していると、彼の身体部位は共鳴して倍音を出すようになる。そういうとき僕たちは話のコンテンツではなく、「モード」の方を重く見て、その人の言うことを信じてしまう。「人間は真実を述べているときに、身体各部がその発言に共鳴する」というのが人類の経験則だからです。」
 引用がすごく長くなりましたが、この本を読んでいるときに、「玉置浩二ショー」をNHKBSでやっていて、なんで玉置浩二さんの歌を聞くと悲しくもないのに涙がボロボロでるのだろう、ということについて、この文章で、深く納得がいったのでした。私の妻は、論理的ではないけれど、観察力と直観力に非常に鋭い、優れたところがあって、私がギターを弾いて歌を歌っているのを横で聞いていて、「ねえねえ、もうすこし、肩を後ろに引いて、ほら、玉置浩二がギター弾きながら歌うときの格好みたいにしてみなよ。肩も響かせないとダメだよ。」と言うのです。「頭骨とか鼻腔とか胸郭真ん中あたりを意識するのは当たり前で、玉置浩二を見ていると、肩の後ろあたりも響くようにカラダをつかっているでしょ、」というのです。たしかになあ。私の歌う声が薄っぺらいのは、あきらかに倍音がすごく少ないせいなのは自覚しているのですが。
 妻は、玉置浩二さんの歌っている姿を見るたびに、「イエスキリストって、玉置浩二みたいな声だったんだと思う。教会にあるキリストの絵とか、十字架の像とかを見ると、顔の骨格とか、胸郭の広がり方とか、なんか似てるでしょ。きっと、玉置浩二みたいな、ああいう(倍音のすごく多い)声だったから、言葉が特別なチカラを持ったんだよ」と言うのです。
内田樹氏の、この文章と、妻とが、同じことを言っていて、びっくりしました。
 玉置浩二さんの声って、パソコンやスマホの貧弱なスピーカーで聞いても、倍音が異常に出ていることがわかりますが、生で聞くと、本当に、異常ですよ。あんな声の人間、他にいません。涙が出るだけじゃなくて、一年ほど前にオーチャードホールで聞いた時は、凄まじいロングトーンを聞いたら、ホールですから当然屋根が、天井があるのですが、私の意識の中では、屋根がパカーンてなくなって、星空がぱーと目の前に広がったんです。たとえ話、比喩じゃないです。私の意識のリアリティとして、そうなったんです。玉置さんが元気なうちに、一度でいいから、ライブに行くことをお勧めします。長いこと音楽を自分でもやり、ライブもさまざま聞いてきましたが、あんな体験は、後にも先にも初めてでした。

今日はラグビー二試合TV観戦。2019WCが不安になった一日でした。 [スポーツ理論・スポーツ批評]

土曜、オールブラックス×ブリティッシュアイリッシュライオンズ戦を夕方見て、深夜、日曜に日付が変わったところで、サンウルブズ×ライオンズ(これは当然スーパー15のライオンズ、南アのチーム)を見た。
初めの試合の方は、ソニービル・ウィリアムズが前半20分くらいでなんとレッドカード退場で、50分以上、オールブラックスは14人で戦ったのだが、ものすごい接戦、熱戦になった。ボーデン・バレットのキックの調子がすごく悪かったことも、接戦になった原因。14人になり、プレースキッカーが調子が悪くても、ブリティッシュアイリッシュライオンズと互角、というのは、オールブラックスの果てしない強さを見せつけられた感がある。
 一方のサンウルブズだが、この前のアイルランド戦の日本代表から、エディージャパンメンバーを全部抜いて、残った小倉や山中、徳永らに、ジャパンから漏れた中鶴,笹岡らをまぶしたチーム。相手のライオンズは、今季のスーパー15で、NZ勢と唯一互角に戦っている最強南アチーム。つい先日の南ア×フランスの代表スタメンがたくさんいる。前回ワールドカップメンバはいないはず。
 つまり、この前のワールドカップの日本×南ア、日本勝利を、サンウルブズの日本人も、ライオンズの南ア人も、体験していない。両チームとも、それ以降、新しく代表になった選手、次のワールドカップの代表に新たに加わりそうな人たちを中心に構成されたチームと言っていいかと思う。
 そして、結果は7-94。今季最多失点、最多失トライ。かつての弱いジャパンが、ワールドカップでティア1の国とあたったときを思い出させる試合内容。最弱ジャパンに時間が戻ったよう。
 つまり、これを見て分かるのは、エディージャパンだけが特別に世界に通用したのだということ。日本のラグビーレベルが全体として上がったわけではなく、エディーさんのチームの作り方、フィジカルの鍛え方、あれを体験した人だけが世界のトップレベルと戦えるようになったのである。エディジャパンのトレーニングを体験していない日本人や、あの代表から漏れた山中なんかは、やっぱり世界のトップレベルとは全然全く戦えない、という厳しい現実。ウェールズと接戦をしたり、アイルランドと「戦える」という感じがしたときも、活躍したのはエディージャパンの戦士たちが活躍した時間、状況だけではないか。それ以外で通用した感があるのは、日本人では松橋くらいじゃないのかな。
 もうあとワールドカップまで2年しかないのだが。エディーさんはイングランド代表監督として、ものすごい成果を上げているから、絶対次のワールドカップまでイングランドは手放さないよ。何でみすみす手放したのだろうと思ってしまう。
 ここから二年、高齢化が進むエディージャパンの戦士たちに頼ってチームづくりをするしかないのかな。あの鍛え込み方を、新しい、若い人たちにもやらせるノウハウは、どこにも継承されていないのかな。
 絶望的な気持ちになるような、本当にひどい内容の試合でした。ラグビー好きの友人の皆さん、ご意見ください。

日本×アイルランド戦は、前回ワールドカップの南ア戦と同じくらい胸が熱くなる試合でした。 [文学中年的、考えすぎ的、]

 ほんとに、ナイスゲームでした。ワールドカップの南ア戦と同じくらい、いい試合でした。タックル、超えていこうとする気持ち、心が、第一戦とは、全然違った。前半の、巨大な相手のアタックに小倉順平が集中して狙われながら、タックルをし続ける姿に、涙ボロボロ。松島のトライで松島と小倉が抱き合うところで涙ボロボロ。後半も、ルークトンプソンが、稲垣が、とにかくみんながタックルしたと思ったら立ち上がり、次の瞬間、またタックルしているその姿に涙がボロボロ出てきた。エディージャパン全員にあった、この魂を、ルークトンプソンが今の、新しいジャパンのメンバーにも注入してくれたような。全員がタックルしては立ち上がってはタックルしては。
 ワールドカップメンバーと、新しいメンバーの間の「厳しさ」の落差を、埋めるきっかげに、この試合がなってくれると思います。第一戦では、稲垣が「エディージャパンのときに積み上げたものが失われている」と言い、田中が「規律を守れるかどうか、反則をしないかどうかは個人の意識の問題」と、簡単な反則から流れを相手に渡して失点を重ねたことを厳しい言葉で語っていました。新しく代表に入った選手は、自分たちと互角の相手との試合(ルーマニア戦)では、ディシプリンを守れても、本当にきついプレッシャーをかけてくる格上の相手には、簡単に反則をしてしまう。
 ワールドカップ南ア戦の勝利は、格上の、フィジカルでも圧倒的な南アに対し、反則をせずにタックルし守り続け、セットプレーに集中しきる、そこから生まれたのだということを、このアイルランド第二戦では、エディージャパンからの戦士たちが、新しくジャパンに加わったメンバーに、体で、プレーで伝える試合だったと思います。
 最後の10分間に、相手ゴール前まで迫りながらトライを上げられなかったのは、最後に投入された徳永、山中らが、体力的にはフレッシュだったけれど、ゲームのその緊迫感、ミスができないそのテンションに対応できずに簡単なところでミスを重ねたことも一因だと思う。
 今回、このレベルの「本当の戦い」で、初めて10番をつけた小倉順平について。小倉については、個人的に特別な思い入れがあって、もう、応援している気持ちとしては、自分の子供のような気持ちで見ている。高校の一年時から、ずーっと見続けている。(長男三男の母校、桐蔭学園初の日本一を、松島とともに達成。そのときのスクラムハーフの浦部君は明治大学で松橋と同期。その浦部君は電通に入社して、今は私の仕事仲間。小倉君ほど「ラグビー理解が深く」「キャプテンシーがあり」「体格が小さいハンディを努力で乗り越えようと努力し続け」「キック力の課題も、努力により今や日本トップクラスのキッカーになった」、いろいろな意味で尊敬し思い入れをもっさてみられる選手は、私にとってしはいないです。この試合も、ものすごく大きな期待と思い入れ満タン状態で見ていました。
 小倉は前半で下がってしまったけれど、通用しなかったわけではない。ただ、ワールドカップの南ア戦での南ア、パトリックランビー(小さな10番)を、ジャパンが徹底して狙ってアタックしたのと同じことを、アイルランドがしてきた。小倉のサイズでは、巨大な相手が自分めがけてアタックしてきたときは、斜め後ろに力をそらすようなタックルをせざるをえない。完全なタックルミスでぬかれたのは2回くらいだと思う。ほとんどは絡みつくようにタックルし続けた。ものすごい回数タックルしていたのだが、それでも「小倉のところを狙えば、一人では止まらないので他の選手がフォローに入る」ところで人数のズレが起きる。小倉個人としても、小倉を使う場合のチーム全体の課題としても、明らかになった。でも、小倉順平は、課題が出たら、それをものすごい努力で、常に乗り越えて、成長することができる選手なので、今日の経験は、絶対小倉を成長させると思う。
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