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SONGS 玉置浩二さんで興奮したので超長文書きました。 [音楽]

 昨日は久しぶりに、地上波SONGSで玉置さんの最新のパフォーマンスがオンエアされたので、BSのみでしかオンエアされない玉置浩二ショーに触れることのなかった多くの人が、玉置さんのおそるべき歌のチカラに触れて、ツイッター上が玉置さん祭りになったのは、大変喜ばしいことであった。そのほとんどは「ヤバすぎ」「泣いた」「オニクソかっこいい」「別格」「神」というポジティブ反応なのだが、相変わらず、地上波しか見ない一般大衆の中には、「アレンジしないでほしい。普通に歌ってほしい。」「クセが強い」という、いつものことながら悲しい反応も垣間見られる。個人の感じ方は自由なので、そう思う人はしょうがない。とはいえ、玉置さんの、一回ごとに変化する、その音楽的に無限の豊かさを持つ歌の世界を、ベテラン歌手の変なクセがついた歌いまわしと同列に語られるのは全く悲しいことである。ヒット曲、代表曲の数がさほど多くないベテラン歌手が、その数少ない代表曲を何十年も歌い続けているうちに、妙にリズムをタメたり、変な節まわしをつけて歌う現象、というのがたしかにあって、それはたしかに聞き苦しいものがある。これと、玉置浩二のフェイクを多用したり、歌うたびに様々に、そのときの気持ちに合わせて様々な技術をこらして歌うこととは、まったく別のことだということが、分からないのだろうなあ。わからん人たちというのは、おそらく学校時代の音楽の成績が五段階で三以下の、音楽があまり得意でなかった人たちなんだろうな、と思って、かわいそうになあ、と思うことにしています。ダウンタウンの浜ちゃんも、玉置浩二がプロの選ぶ歌の上手い歌手No1に択ばれた自身の番組でこういう発言をしていたけれど。手本通りに歌うのが上手、というおそるべき貧しい価値観。
フェイク力含めた図抜けた歌唱力という意味で、玉置さんより上の世代の代表選手といえば故・尾崎紀世彦氏と私は思うのですが。私が初めてレコードを買ったのは彼の「また逢う日まで」で、その後も彼がテレビで歌うのをいつも楽しみにしていた。特に、彼が乗って、曲の後半でフェイクをガンガンいれてくるのが大好きだった。しかし残念なことにその機会は多くは無かった。彼のインタビューなどを追いかけると、テレビ局のディレクターからレコード通り歌うように、フェイクを入れないように、という指示が出されていた。それが詰まらなくて、日本のテレビ局中心の仕事が嫌になっていったのだという。美空ひばりさんが、日本の大衆というのは、レコード通りの歌を聞きたがるものだからと、常にレコード通りに歌うようにしていたというのも有名な話。そのときの気分に応じて、観客の乗りに応じて、自由にフェイクを入れていくことにこそ、技量の高い歌手の歌を聞く喜びがあるということがわからない人たちと言うのは、自ら音楽の愉しみを捨てているようなもので、本当にかわいそうだと思う。

ところで、玉置さんには、もうひとつ、フェイク、アレンジと言うよりも、メロディー自体の改訂を大胆にしてしまう問題というのがある。自分の曲ならまだしも、他人の曲をカバーするときに、「こういう風にした方が自然だしかっこいいでしょ」とばかりに曲を変えてしまう。具体的に言うなら、故やしきたかじんさんの「やっぱ好きやねん」・群像の星収録バージョン。この曲、やしきたかじんさん原曲は、かなり微妙で独特な音程上下節まわしがあり、全体としては胸に響く名曲だと思うが、メロディー、譜割りが、やや技巧的に過ぎる感じがする。もちろん私が関西人ではないので、この曲がヒットし愛されてきたときリアルタイムであまり多くの回数聞いていない、ということもあると思う。あるいは関西弁アクセント・イントネーションに合わせると、あの原曲メロディーが自然なのかもしれない。(同じ関西発ヒット曲でも、上田正樹は大好きだったので、大阪ベイブルースやTakakoはじめ代表曲の多くはカラオケレパートリーになっているので、細かい譜割り節まわしまで正確に歌い込んでいる。そういうことを、もし、私がたかじん版やっぱすきやねん、でやっていれば、私も玉置の「改変版やっぱすきやねん」には違和感を抱いたと思う。)私は玉置さん版の「やっぱ好きやねん」のメロディーの方が音楽的には自然で美しいと感じる。とはいえ、他人の曲を歌った場合、ここまで改メロディーをしてしまうことが、その歌手のファンの人から、「メロディーが違うんですけど」という不満な気持ちになることは、それは仕方ないよなあ。と思います。

話はまたまた飛ぶが、昨日のSONGSでは、徳永さん、綾香さん、竹原ピストルさんらが、玉置さんの歌唱力を分析賞讃していたが、こういう発言とよく同列に扱われる山下達郎さんの「玉置は日本一過小評価されているアーティスト」発言というのは文脈、言いたいことが根本的に違うのでは、ということについて、ここからは述べていきたい。
歌唱力の高さでは玉置さんと双璧の達郎さんが、同時にライブでも、極めてオリジナル再現度が高い派の代表選手、ということと、山下達郎さんの「玉置浩二は日本でいちばん過小評価されているアーティスト」発言の間には、何段階かの論理を経て、深い関係があると私は考えている。

1970年代前半、音楽シーンの中心にあった歌謡曲や四畳半的フォークソングに対し、いかにして都会的で高度な、洋楽にも負けない洗練された曲とサウンドを作るか、ということは、達郎さんも、玉置さんも70年代半ばから80年代前半という時代に強く意識していたことだと思う。そのためにこだわるべき要素は、「曲の構成」「使用コードの多様さ、コード進行の複雑さ」という構造の問題と、サウンドの作り方という両面からアプローチが必要で、そのことを、オタク的に追求してきた第一人者が山下達郎と言う人だと思う。(ナイアガラトライアングルの中で、大瀧さんのアプローチは、「サウンドづくり」の洗練に重点が置かれていて、大瀧さんの作る曲のコード進行や構成は、意外にシンプルなものが多い。)
ここひと月ほど、家の片づけをしていて、達郎さんの「僕の中の少年」CDを発見したので、この中の代表曲といっていい「ゲット・バック・イン・ラブ」をアコギ一本用にコピー、アレンジしていて気が付いたことから、分析を進めていきたい。(以下のコードは、全部半音下げチューニングで、Gをルートにしたポジションでの話)
ゲットパックインラブをコピーしてわかるのは、Aメロ⇒サビ Aメロ⇒サビ ⇒コーダ部分(遠ざかる記憶でさえ・・)⇒一音上がる転調の大サビ と言う構造なのだが
コーダ部分の「工夫して作った」感が典型的に、実に、山下達郎さん的、ということだと思う。
「Fm7⇒B♭⁷」⇒「Gm7⇒C7」⇒「Am7⇒D7」⇒「Bm7⇒E7」と、ギターで2フレットずつ同じフォームで上がっていくコード進行でコーダを作り、そこからサビに戻ったときにGからAに全一音アップ転調している、と言う、きわめて技巧的な曲構成になっている。ここはたしかに盛り上がるし、とても美しい。とはいえ、ギターで弾くと、「ここは工夫しました」感が丸出しになる。玉置さんの曲をコピーしていて、こういう、いかにも工夫した部分、というのは、まず絶対、出てこない。
山下達郎さんは、歌謡曲的、四畳半フォーク的音楽づくりから脱却するための工夫を、曲構成、コード進行、サウンドづくりすべてで職人的にコツコツと積み上げて作っていった人なのだと思う。
これに対して、玉置浩二さんの特徴は、「理論的技巧ではなく、自然にあふれ出るメロディーライン自体が、固陋な歌謡曲や四畳半フォークを自然に超えてしまう」ことだと思う。
玉置さんには「アルフィー批判事件」というのがあったらしく、無垢の羽が生まれた、あのキンキキッズの番組で高見沢氏と共演したとき、昔「アルフィーの作る曲を単純なコードのシンプルすぎる(低レベルな)」みたいなことを昔、言っちゃったことがあってごめんなさい、」みたいなやりとりが番組前半であった。このことからも分かるとおり、玉置さんにも、理論派ではないけれど、「脱四畳半フォーク、脱歌謡曲な、かっこいい曲、高度で洗練された美しさを持つ曲」を作りたい、という欲求、理想は、達郎さん同様あったのだと思う。
とはいえ、玉置さんの曲づくりが、達郎さんのような、技巧を凝らした美しさか、というと、そこは180度違うと思う。
後に亀田誠二氏がNHK亀田音楽学校でのJ-POP分析でパターン化した盛り上げ的構造(コーダとか大サビとか)いう形式を持たない曲が玉置浩二作品には多い。よりシンプルな構造で、童謡のようにシンプルな曲が多い一方で、シンプルなのに定型を外れたコード展開や構成の曲も結構、多い。(「灯りのともるところへ」などが典型。え、そこでそっちに飛んで、いきなり終わる?みたいな、不思議に単純な構成の曲が結構多い。)
 もうひとつ、玉置浩二さんの作品は、もしかすると、作曲直後の「デモテープ」段階が、完成したCD版よりも強い表現になっている場合が結構ありそうである。他の歌手に曲を提供する場合、玉置自身の仮歌入りでデモテープを渡された歌手が、「これは自分には歌えない」「玉置さんが歌った方がかっこいい」と思ってしまうことはよくあることのようである。「無垢の羽」もKinkiキッズの番組で即興で作ったときのがいちばんかっこいい説。中嶋美嘉さんのもらった「花束」デモの仮歌がおそろしくかっこよかったことなど、この手のエピソードは数多い。本人の曲でも、「このリズムで」などは、曲が生まれる瞬間を追ったドキュメンタリー映像の、インチキ英語をあてているバージョンの方が、最終仕上がった曲よりかっこいい説、というのもネット上では見られる。(私もそう思う。)。玉置さんは、経験的に、歌の力を最大に生かすには、音数、楽器数を減らした方がいいことを感じている人だと思う。ツアーの構成を見ても、「あ、今回はリードギターがいない」とか、「今回はドラムなしなんだ」というような、常識より一個欠けている編成が結構ある。
さらに言えば、玉置さんは「CDよりライブの方が圧倒的にいい」という声は非常に多く聞かれるが、これは「CDを理想形として、それに近いが、やや劣るクオリティのライブになる」という普通のアーティストとは決定的に異なる点である。逆に言うと「CDは、制作したその時点での、スタジオワークでのベスト」でしかなく、そのクオリティは、数度のライブでの演奏を経てしまえば、特にこだわり続ける必然性はないもの、になっていくに違いない。また、同じ曲を「玉置浩二ソロバージョン」「安全地帯バージョン」などでCD化し、ライブに至っては、ツアーごとに、編成の異なるサウンド、アレンジで演奏していくわけで、「CD通り」の意味など、玉置さんの音楽活動の多様性の中では、希薄になっていくのは当然のことのように思われる。
達郎さんがこだわるような「その曲の、永続する理想の形=CDという形でのサウンド全体・サウンド細部」へのこだわりは相対的には強くないように思われる。その時点ごとのベストなサウンドへのこだわりは極めて強い、完璧主義者なので、ライブでの様々なチャレンジには貪欲かつ厳しいことは知られているが、CDとしての仕上がりについては、「その時点ベスト」であって、「永遠のベスト」とは考えていないように思われる。
達郎さんと玉置さんを比較するなら、二人とも、歌謡曲的ないしは四畳半フォーク的カッコ悪さを超えた洗練された、高度な音楽を作り出すことを目指していた(もちろん、その先にある感動を目指してだが)、ということでは共通しつつも、達郎さんは、理論や、構造や、サウンドに工夫に工夫を重ねることで、それを突き詰めてきた人だと思う。だから、あらゆる意味で完成度が高い。その完成の形をCD、アルバムの形に定着させることが、ひとつのゴールになる。ライブも、その再現がベースになる。(もちろん、毎回のライブごとの新しいチャレンジはあるにせよ。)
 一方の玉置さんは、「そのとき感じる美しさ」という音楽の一回性、その瞬間の自分の感じ方を重視する度合いが高い。
達郎さんは、こういう、自分と玉置さんのアプローチの違いに、早くから気がついていたのだと思う。まったく違うアプローチを取っていながら、最も先端的かつ普遍的な美しい音楽を作り出す力が玉置さんにあることを、(自分には無い何かが玉置さんにはあることを)誰よりも深く理解していたのだと思う。天才だからこそ、自分とは違うタイプの天才として、玉置さんを見ていたのだと思う。
達郎さんの「玉置浩二は日本一過小評価されているアーティスト」発言は、このように、歌唱力についてではなく、音楽づくりの方法と、その才能についての理解から生まれた発言だと私は思っている。昨日のSONGSのサブタイトルは「KING OF VOCALIST」だったけれど、玉置さんは、音楽を作り出す人として、KINGというか、神に最も愛された人だと思う。

もうひとつ、忘れないうちに書いておくけれど、ツイッター上での玉置さんに対するよくあるしったかぶり間違い発言で、気になるのは「音程を外さない=絶対音感がある」というやつ。絶対音感の意味と限界がわかっていない発言。玉置さんは絶対音感(をお持ちなのかどうか、本当のところは分からないけれど)ではなくて、「世界一正確な相対音感」の持ち主であるということ。
絶対音感とは、ある周波数の音が、楽譜上のどの音かが、分かろうとしなくてもわかってしまう能力。あるいは音名を言われれば、その音が正確に歌えてしまう能力。
相対音感とは、基準音をひとつ決められれば、それに対して、あらゆる音程が正確に取れる能力。
そもそも音階というものが、「純正律」「平均律」(その前にピタゴラス音律)があり、平均律で調律されているピアノの音、周波数通りにすべて歌えるとしても、ハーモニーという観点では、完全に美しいハーモニーにはならない。ピアノだけで音楽を勉強して絶対音感がついてしまった人の歌が、オーケストラに対してだったり、二人でハーモニーを作ったときに本当に美しいかというと、そうではない。
デュエットをする、ハーモニーをつける、ということに対して必要なのは、相対音感の正確さ。相手の音に対し、最も美しい周波数の声を瞬間的に出せるということ。ボーカリストは、人によって正確な音程に対して、ちょっと高く外れやすい人、ちょっと低く外れやすい人、常に真っ芯をくって音程が取れる人、に分かれる。プロであっても。たとえば、民謡出身の人は高音域に上がっていくにつれ、シャープしていく傾向にあるようだ。(細川たかしさんの高音パートを想起するとわかりやすい。)逆に、AIさんなんかは、調子が悪いと、全部フラット方向に外れていく。このクセが逆方向の人同志が、お互いのクセを修正しないで、ハモリをやると、悲惨、破壊的な結果になる。何年か前のFNS音楽祭で、藤井フミヤ氏と、家入レオがデュエットしたところ、シャープする家入に、ちょっとフラットするフミヤで、恐ろしいことになって、観客、凍りつく事件と言うのが起きた。ひとりひとりで歌えば、どちらも実力派、歌唱力の高い歌手なのに、ハーモニーをとったら最低、ということが起きうる。同じFNSで、出産後の腹筋の緩みのせいか、いつも以上にフラットしがちなAIとデュエットしたのは秦基博さん。彼は、玉置さんと並ぶ天才的相対音感の持ち主なので、うまく合わせてハーモニーをつけてあげているうちに、AIさん立ち直る。ということもあった。
玉置さんは一人でうたっている分には、常に100%、真っ芯を喰う。これが「ピッチがおそろしく正確」ということ。しかし、玉置さんのすごさは、それ以上。どんな癖のある相手にも完璧なハモリをはめていけること。玉置さんが、誰とコラボデュエットしても、常に本当に美しい作品に仕上がるのは、相手のクセに合わせて、一番美しい周波数の声を出せるという、本当に天才としか言いようのない耳と音程を合せる技術を持っているから。かつての「キツイ奴ら」ドラマの中で、どんどんシャープ方向に外れていく歌は素人おばさん吉行和子さんに合わせて、ハーモニーを美しくつけ続けた玉置さん(しかも服を吉行さんに脱がされ裸になっていくというエロエロ演技をしながら)という動画を見ると、玉置さんの能力のすごさが「完璧な相対音感である」ということが一目瞭然。天災は音痴に対してさえ、完璧にハモリをつけられるのである。玉置浩二ショーその他での、玉置さんの「相手をひきたてるコラボ」には、この「圧倒的な耳の良さ」があるということ、それは絶対音感ではないのよ、ということで、超長文ブログ、おしまい。

共謀罪が衆院を通過してしまう日に思うことあれこれ。 [文学中年的、考えすぎ的、]

 今日は共謀罪が衆議院を通過しそうで、今、国会中継をネットで観ながらこれを書いています。ひとつのまとまった意見は、ありません。思うことを、バラバラと書いておきます。今日の日の記録として。
 海外のニュースでは、マンチェスターで人気歌手アリアナ・グランデのコンサートで終了直後に自爆テロ?らしき爆発があり、今現在の情報では22人が死亡、負傷者が多数出ています。BBCとCNNを交互にチャンネルを変えながら見ています。
 国会での与党側の意見では、もれなくこのマンチェスターテロへの言及があり、法案正当化にたまたま起きた外国の不幸はすかさず利用されるわけです。

 共謀罪は、まったくテロ防止のためではない、テロ防止ではなく、警察の恣意的取締りを行い検挙実績を上げるためではないか。政権が反政府活動を抑圧するためという目的もあるが、それ以上に大きな隠された目的、弊害は、警察組織が恣意的に人権抑圧を行う可能性が高い。そのことが内心の自由、表現の自由の抑圧につながる可能性が高い。という問題点があるわけです。この立場からの意見分析は、京都大学大学院の高山教授のコラムに詳しいので見てください。リンクは以下
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51376

 とはいえ、「国民の監視によるテロの防止」ということを大真面目に考えている人もいるではないかなあ、ということも、私は思うのです。アメリカが911テロの後にNSAを使って、国民監視を驚くべき規模で行うようになったこと(prism計画)がスノーデンの告発で明らかになっています。(大手ウェブサービス9社Google、Yahoo!、Facebook、Apple、AOL、Skype、YouTube、PalTalkが協力させられて、メールの内容がチェックできる体制にしてしまいました。その網羅的規模は、ちょっと想像を絶するものだったわけです。)

 この件に関連して、以前にブログでスピルバーグの「マイノリティ・リポート」に触れたことがあります。殺人のような重大事件を、発生の前に阻止できないか、というのは、これは普通の感覚の人にとっては「まあ、そうなったらいいよなあ」と思うわけです。あの映画では、「プリコグ」という未来予知超能力者三人が犯罪を予知し、発生前に犯人を逮捕する、という未来社会になっているわけでず。
現実社会において、超能力者はいないので、様々な手法による国民生活全体の徹底的監視によって、予防したい、という考え方は、警察および、権力側にはたしかにあると思います。犯罪抑止にビッグデータ分析が活用されるようになっており、その方向にアメリカは進んでいるのです。さらに極端にこの方向に進んでいるのがシンガポールです。
 安倍政権が理想とするのは、この件に限らず、シンガポールの故リー・クアンユー(今の首相の父親)の作った国家像ではないかと思います。形だけは民主制だが、実態は独裁政治。一党独裁の長期安定政権。徹底した監視社会(いたるところ監視カメラだらけ)実現による犯罪の抑圧防止。
一方で大企業・グローバル企業と、それを支える富裕層・エリート階層の優遇。実学系理系学問の優遇による産学協同体制の推進。国民所得はアジアでトップ、大学の世界ランクも常に世界でも上位、アジアトップ。グローバル企業と利害が一致する人にとっては天国のような国。一方で権力側、経済エリートらなりそこねた人にとっては、シンガポールはとても息苦しい国であるのです。経済指標ではアジアトップのシンガポールですが、「報道の自由度ランキング」では180か国中153位、米調査会社ギャラップが12年に発表した日常生活の「幸福度」調査では、シンガポールは148カ国中最下位。

 警察が「本当にテロを予防したくて」真面目に、なのか、「検挙件数実績を上げたくて」なのか、「政権の手先となり反政府活動を抑圧するため」なのかはわかりませんが、今回の法案を恣意的に拡大解釈運用していく恐怖、というのは残念ながらスタートしてしまいました。
 私はときどき国会前のデモをしているところに出かけるのですが、(デモに参加する、というよりも、やっているあたりをウロウロ歩き回って帰ってくる、という意味不明な動きをするのですが。)、こういうことにも、共謀罪が成立すると、「こんなところをウロウロするだけで、一般市民ではない、テロを企てている組織の一員として警察のデータベースに登録されてしまうのではないか」という恐怖が生じます。内心の自由への侵害と言うのが、確かに起きるのです。

 このことに関連して、さらに話はとびますが、思い出すこと。ものすごく昔のことで1995年の春先。1月に阪神大震災が起きて、3月に地下鉄サリン事件が起きた、そのあとのこと。
とても心配性な私は、もし都内にいるときに大地震が起きたら、どうやって相模原まで帰ったらいいのかなあ。ということがとても不安になって、当時、電通は聖路加タワーにあったので、その近くの駐輪場を借りて自転車を置くようにした。その上で、携帯用防災グッズ
マニアになってしまい、アラミド線維軍手とか、防塵防炎マスクとか、スイスアーミー、いろいろついているナイフとか、そういうものをリュックにいれて持ち歩くようになっていた。そして自転車で都内仕事場を走り回るようになっていた。そんなある日、赤坂見附交番の前で、おまわりさんに停められて職務質問されたんだよね。
 私は世代的にオウムの幹部連と同年代。(上祐と、僕の中学同級生の上田君は、早稲田高等学院から早稲田のESSまで大親友だった。もちろん、僕自身は上祐とは何のつながりもない。)あきらかにオウム年齢の、あやしげインテリぽい、しかも坊主頭の、自転車でリュックに防毒マスクを入れたやつを職務質問!!。はじめはにこやかに話しかけてきていたのですが、リュックの中身を見て、おまわりさんの目つきが変わった。「こいつ、あやしい、あやしすぎる」。しばらくいろいろ聞かれたのだけど、「地震が怖いので防災グッズを持ち歩くようになっているだけです。広告屋です」と必死に弁解して、放免してもらったのだが、すごく動揺した。
 もし、今、ああいう事態になったら、SNNで「こいつは上祐の友達の友達である」ことがすぐ調べられてしまい、その上、フェイスブックでもブログでも、いつも政権に批判的なことを書いているなあ、ということもすぐわかってしまう。無事ではすまないのじゃないか。そんなことを考えると、本当に怖いなあ。とはいえ、書くのはやめないけどね。

安倍夫婦論。(私と政治的意見が近いと感じている皆さんに読んで、考えてほしいこと。)

 私は安倍政権の政策の多くに反対の立場を取っています。
 具体的に挙げるならば、原発再稼働を進めていること、武器と原発の輸出を経済政策の柱に据えていること。アメリカの子分として、日本周辺以外の戦争、紛争に自衛隊を参加させること。農業や水道や健康保険制度など、日本人の生命、健康、安全に関わる規制を緩和して、グローバル企業にその領域への参入をゆるし、日本人の健康安全を危機に晒そうとすること。こうした対米従属(軍事的側面とグローバル企業への従属という両側面)について、はっきりと反対です。(私の友人の多くも、この点で私と同傾向の意見をお持ちの方が多いと感じています。)
 安倍政権のもうひとつの政治思想的特徴、「明治期から昭和初期に特殊的に存在した国家主義的価値観と家父長的家族主義」への回帰を目指すことについても反対です。私は自分のことを保守主義者、(右翼か左翼かと言われれば右翼に近い)価値観の人間であると考えています。リベラルな思想の友人たちと比べると、天皇制のあり方や、家族制度についての考え方などは、かなり保守的であると思います。そういう私から見ても、安倍政権およびその背後にある日本会議の主張は、異様です。天皇と政治権力の関係について考えると、明治から昭和初期が日本の長い歴史の中でも特殊な状態であったと考えています。天皇家が武力と一体化した権力として中心的に機能したのは平安時代までであり、鎌倉時代以降は武力権力を放棄し、稲作豊饒祈願と、天災抑制祈願を行う、祭祀的役割として機能に特化していくことで連続性を保持してきた。折々の権力に利用されたり、時に天皇側が政治権力に近づくことはあったとしても、本質は稲作を日本に持ち込み、それ以前に暮らし人たちを征服した子孫の末裔として、祭祀的役割に限定シフトすることで継続してきた家系、ということだと思います。(その意味では今上天皇が大切にしていらっしゃる様々な活動は、むしろ明治以前の伝統的天皇家の役割に直結しているとも言えます。=戦争や災害の被害者の鎮魂や、国民の平安を祈るということ。それを閉じられた祭祀空間にとどめず、国民に開かれた場で、国民の中、時には世界の人の中に入って行うということに、今上天皇の新しさがあると思います。)
 (話は脱線しますが、神社を国家神道の機関として統合利用するというのも、明治期以降の特殊な歪曲だと思います。全国の神社は、①大和朝廷成立過程での被征服側を鎮魂起源とするもの②反権力反逆者などの鎮魂③権力者の権威化神格化など、天皇朝廷側ではない人物を神としてを祭ることが起源であるものが多数存在します。よって、天皇を神として考える明治期的国家神道と、日本全国の神社を結びつけることは、明治期の、天皇を中心とする集権国家化の過程で起きた異常事態です。そこを支持母体として活用する日本会議など保守団体が、本当の意味での保守、伝統主義とは思えない、というのが私の立場です。)
 家族制度や道徳観についても、個人の信条としては(六人の子持ちで、家族の結びつきを非常に重視しているということからも察していただけるかと思いますが、)非常に保守的家族主義的な考え方をしていますが、それを国家が個人に強制すべきでないと考えています。
 (安全保障、自衛隊についての立場、ということで言うならば、私は次男が陸上自衛隊にいることもあり、憲法第九条さえ守っていれば平和が維持される、と考えている「理念的憲法護持派」ではないことも一言付け加えておきたいと思います。現実的に自衛隊の活動によって、日々、平和が維持されているという現実をベースに、国防、安全保障は考える立場です。)
 
 各種の世論調査を見ても不思議なのが、「原発について」「安保法制について」など、個別政策への賛否を問うた世論調査では、安倍政権の政策に反対する人が多数であるにも関わらず、その同じ世論調査で、安倍政権を支持する人が多数である、という状況が、ここのところずっと続いています。
 つまり、「個別政策としては安倍政権に反対だが、政権としては安倍政権を支持する」という人が、どうも国民のマジョリティらしい、ということです。対抗する民進党はじめ野党があまりに弱体であるせいだ、というのが大方の分析です。しかし、本当にそれだけでしょうか。本当に安倍政権の政策を止めたいというのが国民の大勢であるとするならば、民進党がどれだけ情けない状態でも、「安倍政権をとりあえず止める」という投票行動をするのではないでしょうか。
 「安倍政権の政策には反対」だが、「安倍政権は支持する」という、この不思議な状況について、「安倍晋三昭恵夫婦」の印象を通じて分析、問題提起していきたいと思います。この点をよくよく考えないと、国民の大多数が支持していない政策が次々実現してしまい、国民の多数が全く望んでいない日本に、急速に変質してしまいます。まさにこうした不思議で最悪な事態が進行しているのが、今の日本の状況であると考えています。
 安倍政権の政策にはっきり反対している私の友人たちと、国民のマジョリティの間に存在する明確な差は「安倍晋三という個人を悪人と感じているかどうか」なのではないか、というのが、この論考のテーマです。私の親しい友人たちのフェィスブックやツイッターでの書き込みを読んでいると、安倍首相に対する憎しみ、嫌悪、というものがそのベースにあると感じられます。それらを読んでいると、私の頭の中に、「政策には反対なのだが、どうも、この、安倍晋三と言う人を極悪人と設定することに無理がある感じがするなあ」という疑念、問題意識が生まれてくるのです。
 国民のマジョリティと、安倍政権に反対する人たちの間のギャップというのは、政策内容への支持不支持の問題ではなく、「安倍晋三と言う人や、昭恵夫人も含んだ安倍夫婦」を、悪人として嫌悪、憎むことができるかできないか、にあるのではないか。
 さらに本質的問いを立てるならば、政策的、あるいは政治思想的に支持できない政治家、首相は、即「憎むべき悪人なのか」という点について考えてみたいのです。(支持できない政治思想の持ち主は、すなわち敵なのか。抹殺すべき敵なのか。カールシュミットの言うように政治的であることの本質が「友敵関係」であるがゆえに、政治的に支持できない首相は人間として徹底的に攻撃しなければいけないのか。それでは隣国韓国の、大統領をやめた人はもれなく自殺するまで糾弾しつづける、不毛な政治風土と変わらないのではないか。)

 さて、ここから本論に入ります。
 
 話は飛びますが、昭恵夫人という人は、私の電通の2年先輩にあたるのではないかと思います。学年でいうと同学年です。当時は雇用機会均等法施行前だったので、女子社員は短大卒しか採用していなかったので、2年後輩の私と、短大卒(本当は専門学校ですが)昭恵夫人は、「電通の、同年齢の社員」だったわけです。私は入社と同時に大阪支社に配属されたので、昭恵さんと直接的面識は全くないのですが。二年先輩だけれど同年齢女子社員の方たちは、大阪電通時代のことを思い出しても、いろいろ世話を焼いてもらったり、(私は酒を飲まないのでそういうことはなかったですが)飲みに行ったりというような交流があったと記憶しています。私が東京本社配属だったら、どこかでそういう接点があったかもしれません。(大阪電通でもそうですが、短大卒社員の何割かは、昭恵夫人のように、「大手広告主の社長役員や創業一族のお嬢様」=俗にいう、コネ入社でした。男子新入社員には遊び人もたくさんいたので、「お嬢様だと知らずに手を出したら大変なことになるぞ」と入社後すぐに先輩に厳しく指導された記憶があります。)
 安倍晋三首相も、初めは神戸製鋼のサラリーマンでした。「政治家御曹司だが、一般一流企業のサラリーマンをしている人」というのも、これまた電通には多数存在しています。私も大物政治家のご子息と仕事上一緒になることは多々経験しています。
 政治家御曹司にも何タイプかあります。①人格も能力もびっくりするほど優秀な方。どんな仕事をしてもリーダーになる器の人間、さすがあの人の子供だ、というタイプ。②電通の標準的学力や能力水準(東大早慶が8割を占める)と比較すると能力も学歴もやや凡庸な印象だが、人柄としては、おっとりしていて、「いい人」な印象の人。真面目に一生懸命仕事をするので、信用はできる人。③明らかに甘やかされて育った最悪な人(麻薬問題で首になった某氏など、明らかに社会常識に欠け、人柄としても最低な人)。絶対一緒に仕事をしたくないタイプ。
 このタイプ分けで言うと、安倍晋三氏というのは、おそらくタイプ②のサラリーマンだっただろうな、ということが想像できます。
 凡庸だが無害ないい人の安倍晋三氏と、無邪気なお嬢様の昭恵さんが、サラリーマンとOLとして結婚して、そのまま家庭を築いたならば、誰にも迷惑も掛からないし、ほほえましい夫婦として、周囲からも愛されていたのではないか。電通のような「御曹司とお嬢様」がたくさんいる会社の周辺で生きてきた私としては、どうしても、安倍首相夫婦を見ていると、そう思ってしまうのです。
 この夫婦が、たまたま家庭の事情などの流れの中で政治家とその妻になり、生きてくる中で、どこかで「おじいちゃんの思いを実現する」「おじいちゃんを超えた実績を残す」というような決心をして努力しているうちに、今の立場まで上り詰めた、というのが、安倍首相と昭恵夫人なのではないか。そこには、なんというか、あまり深い「悪意」が存在しないように感じられる。また、人柄としての「嫌なかんじ」も、麻生太郎氏のような「強欲でこずるい、いつも人を見下しているようないやな人」の印象も、森善朗氏のような「威張りたがりの困ったおじいちゃん」という印象もあまりない。
 私は自分の職業として、TVCMが何をどの程度伝えうるか、ということについて、もう30年も調査研究を続けているのですが、深い意味や論理や複雑な情報を伝える力はほとんどない。伝えるのは「印象」と「人柄」です。
 安倍晋三氏の最大の強みは、印象として「能力的にはやや凡庸であっても、悪意はなく、一生懸命やっている人」という印象をTVを通じて与える得ることにあると思います。野党が、この人は「悪人なんだ」という印象を与えようとしても、まったくそうならない。
 隣に「こずるい悪人」キャラの麻生太郎氏が常にいることも、大きな意味があります。麻生氏と比べると、明らかに「悪い人」に見えない。蓮舫さんや山尾議員や山本太郎氏に責め立てられて、凡庸な様子が顔を出したとしても、それは無害で人のいいお坊ちゃまなところが強調されるだけで、印象はそれほど毀損されない。昭恵夫人にしても、無邪気で天然なお嬢様で、「晋三さんの言いなりにはならないわよ、私は私ですからね、」という「かわいい奥さん」という印象が強く形成されているため、何をやっても「悪意はない」「深くは考えていない」と受け取られる。そうした夫婦関係自体が、多くの国民から「うちの夫婦もそういうところがあるよな」「いまどきはそういう風に奥さんを扱わないと、夫婦はうまくいかないよな」という共感を生み出す。
 こんな安倍首相と昭恵夫人を、「政治的悪意をもった極悪人」として追及しようとすることが、野党側の戦略が支持されない最大要因なのではないか。むしろ、安倍首相と昭恵夫人が「いい人」「現代的で好ましい夫婦」というキャラクターであることは認め、褒めてあげてしまうほうがいいのではないか。
では、どこを突っ込んでいくのがよいかについて、いくつかのアプローチを考えてみたいと思います。
 『お坊ちゃまお嬢ちゃまは、悪意はなくても、中流以下の人の暮らしの実態、厳しさがわからない。それは政治家として不適当である、と言う攻撃。』
 電通には、政治家だけではなく、大企業の御曹司などの大金持ちの人たちが多数存在します。この人たちも、先の分類同様に、優秀な人、凡庸な人、最悪な人が混合しています。しかし人としての良し悪しはあれ、私のような「やや貧しい家庭に育った」人間とは、どうしても分かり合えないところがあります。私の方が一方的に感じる居心地の悪さがあります。私の父親は一応、一種試験に受かった「高級官僚」のはずだったのですが、小汚い官舎にずっと住み、自家用車は持たず、子供である私たちには「私立に行かせる金は無い」と常々言い、外食はほとんどしない。私は、子ども時代に、寿司も焼肉も外食で食べたことが一度もありません。電通に入り大人になって自分で行くようになるまで、本当に一度もない。音楽と本には惜しみなくお金を使ってくれたのですが、それ以外のことについて、育ってきた環境としては「中流のやや下」だったと思います。
 裕福な政治家の二世三世たちというのは、中流の下以下の人たちの育ってきた環境、今、生きている環境の苦しさということが、想像できない、共感できないのだと思います。桝添要一氏のような、貧乏な環境から自分の実力だけでたたき上げてきた人が、ものすごくせこい、小さな金額の公私混同で失脚するのを見ると、私は気持ちがわかって心が痛くなります。ああいう小さな金額の公私混同は、一般庶民の感覚で理解可能なので、むしろ厳しく批判されとしまう。その一方で、麻生氏が、安倍氏が、(あるいは石原氏が)はるかに大きなスケールで、公私混同、税金で贅沢三昧をすることは、一般庶民はなぜか見過ごしてしまう。彼ら自身も、それを見る一般庶民側も、「安倍氏や麻生氏や石原氏」は貴族階級のように感じていて、貴族階級が税金を私物化して、自分たちのネットワーク内の家族や友達に利益を融通しあうことには、なぜかぼんやりと受容してしまう。それは間違っているのだ、ということを、きちんと攻撃していくことが必要だと思います。
 ヒラリーが負けたのは、民主党=マイノリティ、貧乏な側の味方、というイメージに対し、(オバマも)ヒラリーも、民主党でありながら、グローバル企業、金持ち階級の味方なんだ、という批判が巻き起こったからだと考えられます。民主党の候補争いでバーニー・サンダースが善戦したこと(その中で、ヒラリー=金持ちの味方イメージが定着したこと)が、後のトランプ勝利の伏線になっているのです。
 安倍晋三氏は悪意の人ではないが、間違いなく、金持ちの味方です。「貴族階級の味方をしている」という意識も持たないほどに、どっぷりとお金持ちの世界でしか生きていません。
 今話題の小説に『あのこは貴族』山内マリコ著 http://amzn.asia/24e7uxdというものがあります。東京には、古くからのお金持ち階級というのがあって、まるで貴族のように、普通の人とは違う価値観、ライフスタイルで生きている。その実態を描いて話題になっています。ここから先私が使う『貴族』と言う言葉は、そういう、目に見えない伝統的世襲的上流階級のことです。大富豪のことではないし、旧華族のことでもありません。しかし、今の日本には、そういう「目に見えない貴族階級、ネットワーク」というのが存在するのです。
 まさに、安倍晋三氏も昭恵夫人も、ご本人たち責任はないのですが、こうした「貴族」階級しか見えない状態で、生まれ、育ち、生きてきた人たちです。政治をするにあたっても、貴族=身内や友達の顔しかみないで政治をしています。
 貴族の生活する様を、エンターテイメントとして覗き見るのは、庶民の愉しみとしては、なかなかに面白い。しかし、政治家が、貴族で占められ、貴族の内輪の利益を最大化するように政治がおこなわれることは、一般庶民にとっては、明らかに不利益です。
 あなたは貴族なのか。平民なのか。貴族ならば、自民党に投票することは合理的選択です。しかし、あなたが、平民であるならば、自民党に投票することの利益はほとんどありません。
 「貴族には悪意がある。貴族は極悪人だ」という主張は正しくないと思います。彼らは好きで貴族に生まれたわけではない。一人の人間として見れば愛すべき人だったりする。しかし、政治権力が貴族に独占され、その利益のために一般国民が不利益を被る構造になっていることは間違っています。
 ヒラリーは金持ちの利益代表だ。悪意はないが、無意識にグローバル企業の金持ちの側を向いて政治をしている。あなたの方は向いていない。
 それと同じです。安倍夫婦も麻生太郎氏も、明らかに金持ち、貴族友達の方を向いて生きてきた人です。あなたの方は向いていない。そして貴族の方を向いて政治をしています。悪意があってそうしているわけではないのかもしれない。でも、そちらにしか友達はおらず、そちら以外の生活、そちら以外に生きている人のことは、切実には想像できないのです。
 そのことをわかりやすく、身近で安倍政権をなんとなく支持している人、ひとりひとりに語っていくことでしか、変化は起こせない。と考えています。みなさん、ご意見ください。

『大人のためのメディア論講義』石田英敬著 を読んで [文学中年的、考えすぎ的、]

フェイスブックに書き込んだ内容に、少々追加しておきます。
『大人のためのメディア論講義』 (ちくま新書) 新書 – 2016/1/6
石田 英敬 (著)
 この本のAmazon内容紹介は出来が悪いので省略。著者紹介の方が内容の参考になります。『石田/英敬1953年千葉県に生まれる。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授・同大学院情報学環教授(兼担)。情報学環長、附属図書館副館長を歴任。専攻、記号学・メディア論、言語態分析。特に19世紀以後のメディア・テクノロジーの発達と人間文明との関係を研究』
 ここから私の感想。80年代から記号論研究していた著者が、「終わった、流行遅れになったと思われている記号論」を、より大きな文明論的視座から意味づけし直し、現在の情報技術化社会の本質を読み解こうとした力作です。ニコ生ゲンロンカフフェ生中継で東浩紀と対談をしていたのがものすごく面白く、物書き修行中の長男から薦められて読んだところ、これは本当に面白かった。いや、面白かったではすまないです。突き刺さった。心に。
 フロイトの「『不思議のメモ帖』についての覚書」という文章から、ipadなど最新情報機器と人の脳、心、メディアの関係を論ずるというスリリングな導入部分。バロック時代のライプニッツに記号論の起源を求めての大きな視座での文明論メディア論。そして、現代に入ってのメディアの発達と記号論の盛衰の理由をよみといていく中で、80年代記号論の衰退と、ソニーなど日本の電子機器産業の衰退までがリンクして分析されていく中盤。マーケティング、広告PRなどが、人の脳の時間を取り合う「文化産業」としてどう成立し、デジタル化する中でどんな変化が生じているかを論じた「現代資本主義と文化産業」の章は、私の職業の成立基盤と本質的意味づけを容赦なくえぐりだし、おぼろげに考えていたことがはっきりと、残酷なまでに突きつけられます。それは、私が最近考え続けている課題と直接つながる次の章『「注意力の経済」と「精神のエコロジー」』で、さらに切実な問いへとつながります。(人は、処理できる情報量、時間に限りがある。デジタル化時代はその限界を超えている。政治的にポピュリズムが拡大するのも、そのことと関係があるのではないか、という私の問題意識と直につながります。)その中で紹介されている、著者の大学研究室で開発した批評プラットフォーム『テレビ分析の〈知恵の樹〉Critical PLATEAU』は、驚きのシステムです。電通はこのシステムについて、何か関係しているのでしょうか。していないなら、是非ともアプローチして勉強した方がよさそうですね。
 職業として広告業界のマーケティング屋を30年以上続けてきて、仕事としては一生懸命やってきたけれど、果たしてそれにはどういう意味があったのだろう。それは本当に、意味、価値のある仕事だったのか。世の中に何かを残す仕事なのか。何も残さなかったのではないか。ここ数年、自問自答しつづけてきました。おぼろげに、こういうことかなあ、と掴みかけていたことを、意識化、言語化できそうだ、という手がかりになる一冊でした。
 80年代に記号論や消費社会論をかじり、広告業界あたりに就職し、デジタル革命からは少し疎外されているように感じている、というような同年代の皆さんには、特におすすめ。

 ここからブログ版追記。著者についてネット上で検索すると、学生運動自体に新左翼セクトのシンパであったという情報がでてきます。私のブログでいちばん初めに触れたとおり、私の母の弟二人は当時新左翼全学連の委員長副委員長をしていました。石田氏は、まさにそのセクトの活動家またはシンパだったそうです。年長叔父の方はセクトを抜けて名前も変えて地方国立大学で医者になる勉強をし直していたところ、反対セクトに発見されてしまったのでしょう、内ゲバて死亡しました。1978年のことだったと思います。下の方はもっと早い時期、たしか1973年に、内ゲバに合って、頭を割られましたが、悪運強く生き残り、失踪して、生きて入ればまだ活動家をしているのでしょう。立花隆氏の新左翼についての著作の中に、兄弟そろって実名で登場します。叔父たちとはほとんどあったことも話したこともないのですが、小学校五年六年と、札幌の母実家(つまり叔父たちの生家)の近くに二年間だけ暮らした折、持ち主は不在の彼らの部屋に潜り込んでは、伝説的漫画誌ガロの膨大なバックナンバー(白戸三平のカムイ伝や、つげ義春の「ねじ式」など名作や、林静一など)を読みふけったり、ギター弾きだった年長叔父の井上陽水ソングブックなどを拝借したり、大江健三郎の小説などをかじってみたり、という形で、私の精神思想形成に(中味、というより気分的なものですが、)影響を与えた叔父たちでした。彼らは死んだり、地下に潜伏したきりになったりして、話す機会も全くないままですが、同世代の活動家やシンパたちの中には、石田氏のように大学で研究者になったり、あるいは電通のような普通に体制側の企業に就職したりして、今となっては、この社会の一部になった人も多いのだろうなあ。そんなことを考えました。そんな経歴の石田氏が、私の関心や職業に極めて近いところで、私の悩みや迷いにヒントを与えてくれる本を出してくれた。なんとなく、亡くなった叔父と話ができたような、そんな気分に、ちょっとなった。そういう意味でも、とても印象に残る本でした。

逃げられるうちに、逃げるということ。電通を辞めた時のこと。

森山直太朗の「生きてることが辛いなら」を紹介しつつ、過労死問題と、自分が電通を辞めたころのことを書いたら、予想外にたくさんの方に読んでいただいたのですが、当時、同じ職場や寮にいた電通大阪支社出身(現・関西支社)の方々から、「当時、原がそんなにつらかったとは知らなかった」という反応があり、それはそうだよな、と思うところもあり、(かなり自分勝手な理由で、ぷいっとやめた、という印象を残していることは自覚していましたから)、そのあたりのこと、ちょっと補足的に書いておこうと思います。
大阪電通の人と、仕事で十年二十年ぶりに会って、「原って、奥さんが医者で、そんでもって、物書きになるって言って、電通辞めたんだよね。」と言われることがよくあります。そう、そういうことにして、自分も周りを納得させて、いちおう理由をつけて辞めたのでした。加えて、辞めると言い出す前の私が、けっこう好き勝手に働いていた、という印象を持つ人も多かったはずだしな、と思います。
当時の職場の人たちから見た私の突然の退職と言うのは、こんな感じだったはずです。
① 嫁さんが東京で女医をしていて、妊娠出産することになったので、原の方が退職して東京に戻って子育てをするということらしい。 (なにー)
② 原はもともと物書きになりたかったので、主夫、子育てをしながら、嫁さんに食わしてもらいながら、物書きのまねごとをするらしい。(うらやましい、けしからん)
③ 原は今回の移動で、M社担当のコピーライターになったが、そこでは、いちばん下っ端からのスタートかつ残業月100時間超の激務になるので、それがいやだからやめるらしい。(原の替りにその立場になる人間のことを考えろ。けしからん。)
④ 原は、ローテーション制度で営業局に出ていた時代に、クライアントの担当課長に気に入られて好き勝手に仕事をさせてもらえているT社の仕事があり、辞めた後も個人として仕事をもらって続けるらしい。(なんたる身勝手、ゆるせない)
どう考えても、生意気な若造が、自分の都合で周囲の迷惑を顧みず勝手にやめて、自由で楽しい生活をおっぱじめるとしか見えないですよね。辞めた後、非難轟々だった、と言う風に伝え聞いています。なので、大阪電通の人たちの反応が「本当に原、そんなにつらかったのか?」というのは正しい反応だと思うわけです。
しかし、当時の私の「自意識」における問題意識、つらさと言うのは、「間違って広告のクリエーターになってしまった」「あきらかにクリエーターとしては才能がない(後輩&同僚に広告づくりの天才たちが大挙して入社してきていて、自分にはそのような適性がない。)」「電通クリエーティブの働き方は、自分にまったく向いていない(長時間拘束されて、大人数と共同作業するのが耐えられない。)」ということ。できるだけ早く広告クリエーティブの世界から逃げ出すべきだ。残業時間が殺人的に長かったわけではないですが、間違った場所で合っていないことをやり続けていることのつらさに、もう耐えられなくなっていたのです。その先の本当にやりたいことが「物書きかどうか」ということも、「嫁さんに食わしてもらうかどうか」も、そんなに真剣に考えていたわけではなく、ともかくここから逃亡しよう、ということだったのです。
現在も広告業界で仕事をしていますが、ストラテジックプランナーとして働いており、拘束時間がものすごく長いクリエーター的働き方には関わらないようにして電通退職後の28年間を生きてきました。(専門的に細かく説明するなら、マーケティング分析をして、クリエーティブ企画プレゼンまではクリエーターに助言するが、演出コンテ提案以降の純粋にクリエーティブ的プロセスには一切付き合わない、というのが、私の働き方で、当然ロケも編集も、一切関わらないのです。フリーランスになってからはタレントと会話したことも、海外ロケに行ったことも一回もありません。地味な仕事を淡々とこなしてきました。地味ですが、クリエーター時代のような辛さを感じたことは28年間、ほとんどありません。徹夜、休日返上はありますが、忙しくても、向いていることを自分のペースでできるので、辛くない、ということでしよう。)
今回の予想外の反響からわかるのは、本人が感じるしんどさ辛さと、周囲から見えるその人の状況というのはギャップがあるということです。それなりになんとかこなしているように見える人や、忙しいながらも楽しんでいるように見えている人が、急に死んだり辞めたりする、ということが起きうる、ということなのだと思いました。
上司や管理者に対する教訓として言うならば、周囲から見て、明らかに辛いことに耐えに耐えている、という人だけが、死んでしまうわけではない、ということです。電通の人間はプライドが高いですから、SNSで自虐ギャグを書き込むくらいの余裕はあるよ、という振りをしていた人が、いきなり限界を超えて壊れてしまうということです。
苦しんでいる本人に言えることとすると、「周囲に明らかに頑張っている、耐えに耐えている、限界まで頑張っている」とアピールした後でないと、休んだり病院に行ってはいけない 、というわけではない、ということです。むしろ、「周りからどう見えていていようとも、(周囲からは全然辛そうに見えなくても)自分が無理だと思ったら、早めに逃げた方が良い」ということ。逃げる元気があるうちに、逃げろ、ということではないでしょうか。
私が死なずに生き延びたのは、周囲の人が「自分勝手な若造が」と思うくらいの段階で逃げだしたからです。「周囲の人から見ても明らかに悲惨」な状態まで耐えていたら、逃げ出す元気もなくなって死んでいたかもしれないなあ、と思います。
ちなみに、奥さんは(次々に六人も子供ができたために)医者は研修医までですぐに辞めてしまったので、奥さんに食わせてもらう野望は達成されず、私の稼ぎでここ最近までは生きてきました。奥さんは50歳になって、やっと医者に復帰して働きはじめました。なので、そろそろ私も、物書き修行を始めようかと思っています。

生きてることが辛いなら。電通過労死によせて。 [文学中年的、考えすぎ的、]

今回の電通の事件、亡くなられた方のことは直接は知らないのだけれど、思った以上にひどくショックで、ずっと考えている。それは今も電通と仕事を続けていて、若い電通社員に厳しいことを言うことも多くて、(電通の管理職の皆さんはパワハラについて厳しく会社から言われているから、若手社員にすごく気をつかっていて、厳しい指導もできなくなっている。その分、私のような、OBで社外のフリーランスの人間が、若手に厳しいことを言う役回りになったりしている。)セクハラおやじではないつもりだけれど、面倒くさいパワハラオヤジだとは思われている自覚はある。その一方で、電通を辞めた時の、28年前の自分、25歳のときの自分は、電通の過酷な働き方に耐えられなくて辞めたわけだし。(いろいろな実績を残してから、優秀だから独立した多くの同期の人たちとは全く違って、僕は何の実績もなくて、単につらい仕事から逃げ出すためだけに、電通を辞めた。)「辞めます」と上司に伝えてから、本当に退職するまで3か月かかって、(その上司には、何の実績も実力もないお前が辞めても、仕事なんてないぞ、と言われた。)その間、仕事もないまま、ぽつんと机に座っていた。周囲の人の視線が「電通人としては自殺した人」なのに「幽霊のように職場をうろついている人」として僕のことを見ているなあ。そう感じながら過ごした3か月、不思議な感覚だった。辞めると言い出すまでは、朝、起きられず、独身寮で皆が出勤する足音を聞きながら、どうしても部屋から出られなかったり、首と肩が痛くて左手の握力がほとんどなくなったり、毎日じんましんが出たりしていのだけれど。辞めると言ってしまってからは、なんだかフワフワと楽ちんな気持ちになった。
本当に疲れてつらくなると、「今日は休みますと会社に連絡する」とか「病院に行く」勇気も気力もなくなるものだけれど。「死ぬ」よりは「会社やめる」方がいいよ。と若い人には伝えたい。
この森山直太朗の歌「生きてることがつらいなら、いっそ小さく死ねばいい」という歌詞が、発表当時、自殺の薦めか、といって大批判を喰ったのだけれど、「小さく死ぬ」というのは、社会的に死ぬこととしての「会社辞める」とか、いじめならば「転校しちゃう」とかいうことだと僕は思っている。歌の歌詞を最後まで聞けば、そういうことだと思う。本当に死んじゃわないで、小さく死ぬ。せっかく入った電通をすぐ辞めちゃうって言えば、親も恋人も悲しむかもしれないけれど、3日もすれば元通り。そうやってとにかく生き続けていれば、その先楽しいことも絶対あるよ。
先にシェアしたいろいろな投稿でも、電通の、というか広告代理店の仕事の仕方はそう簡単には変わらないと思うから、(クライアントがいて、締切があって、正解が無くて、勝ち負けがあれば、期限ぎりぎりまで時間の限り頑張るしかない。)。電通を「ブラック企業だ」と批判しても、すぐには働き方は変わらないと思うから。合わないときは、本当に死んじゃだめだよ。「本当に死ぬ」んじゃなくて「小さく死ぬ」のがいいと思います。

三男の高校柔道と、アン・チャンリンの柔道の美しさ [スポーツ理論・スポーツ批評]

ラグビーワールドカップ時期に、長男次男の高校ラグビー時代の思い出を書いたので、今回は、三男の柔道の思い出「親ばか」ブログを書いておきたいと思いたった。

先日来、何度かフェイスブックで、Jsportsで放送中の柔道の世界大会に出場している韓国のアンチャンリン選手や日本の丸山剛毅選手について触れながら、三男が桐蔭学園柔道部時代に、アン君や剛毅先輩の練習パートナーや、試合の付人をしていたことに触れた。
アン君は今や73キロ級の世界ランク一位、剛毅先輩も、81キロ級ではオリンピック代表争いに顔を出す日本のトップ選手になっている。一方、うちの三男は「神奈川県内でベスト8がやっと」くらい。全国からスポーツ推薦で集まってくる桐蔭柔道部の強豪選手の中で、普通に受験勉強をして桐蔭に入り、好きで柔道部に入っている、非推薦組。「いちばん弱いグループ」「主力選手の世話、部内の雑用をしながら部活生活を送る」とういうタイプの子供だった。

 とはいえ、というのがこの文章の「親ばか」たるところなのだが、柔道技術論的に言うと、うちの息子に何のとりえもなかったかというと、そういうわけではない。時代遅れながら、中量級重量級としてはほとんどいない、古典的な背負い投げの柔道をしていたのが三男の特徴だった。現在のアンチャンリンの試合を見ながら、アン君の今の柔道の中に、息子と練習した痕跡、三男の背負い投げの形を見てしまう、というのが、このブログで書いておきたいこと。

 現在のアンチャンリン選手は「背負い」「袖釣り」という担ぎ技を中心として、小内刈り、韓国背負いを組み合わせた切れ味鋭い「担ぎ技系の美しい柔道をする選手」とJsportsでも常に解説されている。が、高校時代のアン君が「背負い、担ぎ技」の選手だったかと言うと、けしてそうではない。背負いとは別系統の変則技としての「韓国背負い」と、小外、内股など、やや変則的な組手からの技を組み合わせた「総合力」「現代的スタイル」の選手だった。

 現在の世界の柔道のトレンドというのは、古典的な日本の組手、相手の前襟と袖を釣り手引手できちんと持って足技と背負い投げをかける、という柔道をする選手は少ない。
脇を差す、背中を持つという変則的な(すもうのような形になったところから)内股や大腰、釣り込み腰と、その逆技、裏投げや小外がけなどをかける、という形が多くなっている。阿部一二三とか、ベーカー茉秋などの若手、軽量級の天才・高藤も、そういう形になることが多い。アンチャンリンも、高校時代はそういう形に近い「流行最先端スタイル」の柔道だった。

 うちの三男が「弱かった」のは、そういう現代的「背中を差して内
股」柔道がまったくできず、というかやる気もなく、古典的な組手での、背負い投げ柔道だけをただひたすら愚直にやっていたためだった。「差して内股柔道」というのは、「パワーと勘と運動神経」に優れていないとできない。これに対し、古典的背負い柔道というのは「非力なもののとる戦術」「反射神経や勘」にも恵まれていない者が取る戦術であり、「技術=身体操作の高度化」だけが生命線の柔道なのだ。

 先日NHKでオンエアされた、引退直後の野村忠宏が、スランプに悩む若手、阿部一二三を指導する番組も、「背負いの技術と身体操作を極めた野村」が、「差して大腰柔道の阿部」に、柔道ってそんなもんじゃないぜ、と指導する番組だったので、それを見ると、私の言うことが理解できるのではないかと思う。野村は「反射神経と勘」も天才的だったが、パワーに優れているわけでもなく、むしろ背負い投げの身体操作と技術を磨きぬくことを柔道の核に据えた柔道家だったと思う。

 桐蔭学園の柔道部は、基本的にかなり個々で完成したスタイルをもった選手が全国から寄り集まってくるために、「桐蔭スタイル」というような固有の柔道スタイルは基本的にない。とはいうものの、「背負い柔道」に関して言うと、稀代の天才、秋本啓之選手の背負いの技術が後輩に受け継がれており、粟野靖忠から高上選手と、軽量級の選手には「秋本背負いのエッセンスの継承者」がいる。中学から高校初めまで桐蔭で柔道をやっていた長男は中学時代に、秋本先輩から直接指導されたこともあるし、粟野君とは高校の初めだけだが、同級で練習をともにしていた。長男が会得した桐蔭の背負いの伝統、技術を、我が家の柔道場で、小学校中学校時代から注入されたのが、三男の柔道の原型になっているのだった。

 三男は90キロ級を主戦場にしていたが、本当は体格的には73キロ級が妥当な体格だった。身長163センチ体重は74~5キロだった。しかしたまたま、当時の桐蔭学園は73キロ級と81キロ級の選手層が異様に厚かった(後の世界ジュニアチャンピオンやインターハイ優勝者が同階級に複数いる、というような状態だった)ために、この二階級ではまったく対外試合に出ることができない。このため、試合直前に無理やり大量に食べることで、普通にしていると74キロくらいの体重を、82キロまで上げて、90キロ以下級に出場していた。
本来の体格が73キロ級の選手が、単に直前バカ食いで90キロ級に出れば、体格でも筋力でも圧倒的に不利なわけで、この状況では、「パワーで劣っても勝つ」ためには、桐蔭伝統の背負いを、ただひたすら磨くしか道はなかった。
 こうした不利な条件で出場した90キロ級の神奈川での大会でも、高校一年の高校選手権予選と、高3の国体予選の二回、県でベスト8に勝ち残っているので、三男はけしてそんなに弱かったわけではない。神奈川県においては、ベスト8の選手はほとんどが桐蔭と東海大相模の、中学時代から全国レベルで実績のある選手たちなので、これは「桐蔭、東海大相模の中では弱いが、それ以外のすべての県下高校馬柔道部員には絶対負けない」という水準までは強くなった、ということなのだ。

三男のもうひとつの特徴は「受け」「投げられ役」が、ものすごく上手だった、ということがある。これは、「強くない自分が、先輩たちの練習の邪魔をしないためには、まず受けとして上達しなければならない」ということを、高校に上がった時点で自覚したせいだ。(今も73のトップ争いをしている、二年先輩の西山雄希先輩の打ち込み相手をさせられたときに、「受けが下手で調子が落ちる」と怒られたことから、どうやったら先輩の調子を落とさない受けができるかを研究した、と本人は語っていた。)。受けとして上手い、というのは、単にひょいひょい投げられればいいというものではない。取り(投げ手)が正しく動作しているときには豪快にきれいに投げられバーンと大きな音で受け身を取る。相手の動きが変な時にはそれを感じ、どこがどう違和感があるかを伝えたり修正したりしながら、調子を整え、気持ち面も上げていくという、「ブルペンキャッチャー」のよう固有の技術ノウハウがある。
トップ選手の投げ込みというのは、それは一般人の常識を超えた速度と威力があり、間近で見ていると三男の体が壊れてしまうのではないかと、親として心配に思うほどであった。
三男卒業のときの、後輩からの色紙寄せ書きには、後輩で全国強化選手だった岡田敏武君から「先輩なのに打ち込みで受けをたくさんやってもらってありがとうございました。先輩の受けはとても上手した」と書かれている。先輩の剛毅さん、同期のアン君だけでなく、後輩の岡田君や、小中高すべてで日本一になった山本幸紀君など、いろいろなタイプのトップ選手の技を体で受けた数と質では、三男は本当に日本一だったのではないかと思う。

 試合に付人で行ったときは、アン君がひたすら三男のことを投げ込むだけだけれど、普段の高校での練習では、「受けと取り」は交互に行う。そんなわけで、軽量級には伝承されていても、中量級以上では少なくなっていた「純粋な桐蔭型の背負い投げ柔道」を、たまたま練習パートナーを三男がしていたために、アン君は日常的に体で受け止めていた、と思うのだ。
 もちろん、その時点での三男の技からアン君が何かを直接学んだ、などという大げさなことを言うつもりはない。アン君は、秋本、粟野両先輩同様、筑波大学に進学した。アン君の「背負い型」へのモデルチェンジ自体は、筑波大に行った一年間に、こうした先輩たちとの練習の中で本格的に行われたのだと思う。その結果、大学一年での学生体重別で、東海大の橋本壮一を背負いで下して学生日本一になった。そしてアン君は五輪韓国代表になるために、韓国の龍仁大学に転校していった。

 「変則差して内股柔道」がはびこる世界の柔道界の中にあって、今や、アンチャンリンの柔道は、古典的かつ伝統的な、「日本の柔道が理想とするような」美しさで異彩を放っている。Jsportsで解説をする先生方も、その柔道の美しさには、「ライバル韓国の選手」ということを超えて、「日本柔道の伝統の上に咲いた美しい花」としての賞讃を送らずにはいられない。その言葉を聞くたびに、親ばかな私は、「その陰に、三男の背負いがあるんだよな」と思うのである。

ちなみに三男は、今、早稲田柔道会というサークルで柔道を細々と続けている。そこを主宰する柔道ジャーナリスト古田先生の紹介で、Jsportsで放送する柔道世界大会(各地でのグランドスラムやグランプリ)の元となる試合映像を見て、試合結果、決まり技を判別して記録するというアルバイトをしている。アンチャンリンの活躍を、今はそういう立場で見て、応援しているのだ。

以下のJsportsの記事でアンチャンリンの写真が見られます。http://www.jsports.co.jp/press/article/N2016020414522007.html

五郎丸のタックルと、長男の思い出。

五郎丸のタックルと、長男の思い出。

 長男、次男がかつてラグビーをやっていたのが、私がラグビーを真剣に見始めたきっかけ、というのは、前回のブログで書いた。長男と次男ではラグビーとの関わりがずいぶん違う。
 長男から三男まで、小学校時代はみな柔道をやっていた。小学校時期の柔道というのは、市内から県くらいのレベルの試合や団体戦はすべて体重無差別で行われる。全国小学生大会個人戦だけ体重区分があるが、六年生で55kgを境に軽量級と重量級がざっくりふたつに分けられるだけである。長男と三男は「肥満児」妻の遺伝子を受け継ぎ、チビではあるが、太っていたので、体重的ハンディをあまり感じないで戦うことができた。しかし、二男だけは私に似たために、チビなうえにやせっぼちという大きなハンディをかかえて戦うことになった。6年生のときの体重で言えば、長男が55キロくらい、二男が32キロ、三男が65キロ、というところだろうか。長男は相模原市内では最強、三男も市内大会では、後に東海大主将、全国大学選手権100キロ級王者になる長沢憲太以外には負けない、市内二番目に強い男になった。二人とも、県内ではベスト8くらいだが、中学で体重別になり、本格的に鍛えれば、もしかすると全国も狙えるかも、というレベルの力だった。しかし二男だけは、軽量の悲しさ、技術的には兄に遜色ないレベルにあったのだが、ときどき市の小さな大会で三位入賞する程度、兄との戦績の差に悲しい思いをしていた。
 長男と三男は中学から柔道の強豪校、桐蔭学園に進学した。(といっても、柔道部には全国レベルの実績を持つ子のみがスポーツ推薦で集められるので、そこまでの実績を持たないうちの子たちは普通に勉強をして受験をし、「一般入学組」として柔道部に参加することになる。)
 一方、柔道で兄弟と比較されるのがいやだった二男は、桐蔭学園、中等教育学校にも合格するのだが、柔道部のない、制服もない、共学で楽しそうな公文国際学園に進学することを選んだ。柔道の呪縛、兄との比較から解放されたかったのだろう。そこで、さほど深い考えもなく、はずみのようにラグビー部に入部する。生徒数が少なく、(一学年160人、共学なので男子は80人しかいない)ので、ラグビー部人数はチームが組めるぎりぎり。「弱小」部かと思いきや、ここでまた桐蔭学園との不思議な縁が続く。公文国際学園のラグビー部監督は、かつて桐蔭学園ラグビー部でアシスタントコーチを務めた新堀先生だった。公文国際学園が新設されたときに、「ラグビー部を作り顧問に就任」することを条件に学校創設から育ててきたラグビー部だったのだ。新堀先生は筑波大学の出身。大学時代にラグビー経験はない。桐蔭学園でラグビー部の指導を手伝う中で、独学でラグビー指導理論を徹底研究。それを自由に実践する場を求めて公文国際学園に来た。少人数かつ経験者の全くいない公文国際学園ラグビー部を関東大会にときどき出場できるまでの強豪校に育て、ラグビーマガジンの指導法紹介ページで取り上げられたこともある名監督だったのだ。
 二男は体が小さかったとはいえ、実はラグビーと柔道は体の使い方に共通点が多い。チビでやせっぽちで(ここまではわたしそっくり)そのうえなぜか走るのが遅いにも関わらず、新堀先生の指導にぴったりはまり、チームの主力選手として成長していった。高度な技術スキルと、何よりも高い競技理解を獲得することで、(公文国際学園の中学ラグビー部員は、同時に鎌倉ラグビースクールにも所属して基本からラグビーを叩きこまれるのだが)、中三のときには「県ラグビースクール県選抜候補」にまでなる。二男だけでなく、この時期、公文では、基本技術とラグビー理解の高い選手がたくさん育っている、二男の代の主将北澤くんは早稲田の名門ラグビーサークルはG&Wでも主将を務めることになるし、スクラムハーフ小野君は上智大学ラグビー部主将になる。一年下の学年では、早稲田体育会ラグビー部のAチーム、16番をつけて公式戦にたびたび登場するプロップになった光川君、慶応体育会ラグビー部でAチームには上がらなかったものの4年間やりぬいたスクラムハーフ掛橋君、ウイングの平木君を輩出した。この時期の公文国際学園ラグビー部、新堀先生の指導内容がいかに優れていたかがうかがい知れる。二男たちとその下の代によって組まれたチームは、関東大会出場チーム中、最少人数かつ最軽量であったものの、関東新人戦県予選優勝、関東大会県予選準優勝、(ただし最後の花園予選はシードされたのに初戦敗退という残念な最後であった)という県内で「シード校」の強豪チームであった。
 一方の長男とラグビーの出会いは高校の秋になる。二歳違いの二男が中学でラグビーを始めた後である。
 まず、初めに、長男は「桐蔭学園中学校」に入学したのだが、入学直後に、成績優秀者だけを「桐蔭学園中等教育学校」という別学校に分ける、という、学校都合の制度改革に翻弄されることになる。桐蔭学園は20年ほど前、一時期東大合格者数全国一になったのだが、その後マンモス校化を進める中で進学成績は急降下。中学受験で言えば偏差値45くらいの中堅マンモス校に成り下がってしまった。そんな状況を打開しようと、単に「進学コース」を作るのではなく、文科省が新設した「中高を完全にひとつの学校にする中等教育学校制度」を利用し、同一敷地内にまったく別の学校を作り、そこを進学特化校にするという改革を行った。もともと勉強のできた長男は、中等教育学校一期生となった。(以下、中等、と略します。高校の年齢になっても、呼び名は「中等」です。高1は中等4年、高3は中等6年です。)
 ところで、別学校ということは、スポーツチーム、部活動も別チームとなるのか?という点が問題になった。桐蔭学園には柔道だけでなく、ラグビー、サッカー、野球、剣道など日本一経験のある名門部が多数あり、「勉強でも東大を目指すが、スポーツでも全国を目指したい」という文武両道志向の生徒が多数集まっているのだ。桐蔭中等教育学校に入ってしまうと、桐蔭中学校、桐蔭高校の生徒とは同じ部としては活動できなくなるのか。本人も親も心配、混乱した。
 この問題について、中体連と高体連で、見解が異なった。中体連は「同じ敷地にある学校で、練習も一緒にしているのだから、合同チームとして両校でひとつのチームにしていいよ」となったが、高体連は「あくまで別チームにせよ」ということになった。このことが、長男の柔道部生活、ラグビー部移籍に大きく影響してくるのである。
長男は中学時代、個人戦81キロ級県準優勝、関東大会には出場したもののの、全国大会出場は逃した。県決勝で負けた相手は、全国屈指の強豪道場、朝飛道場出身、この年の中学タイトルを国士舘とすべて分け合った六角橋中学校のエースの英(はなぶさ)君。(今年の世界選手権の100キロ級世界王者、羽賀龍之介君が、朝飛道場、六角橋の後輩だ)。英君は中二のときから全国大会上位に入賞し、全柔連全国強化選手に選ばれている。横浜市決勝でも県大会決勝でも長男は英君と激突。団体戦でも桐蔭学園チームの中堅として、常に英君と激突してきた。しかしどうしても英君には歯が立たない。どうやって英君に勝つかをただひたすら考えて努力する中学の柔道生活を送ってきた。
高校に進学すると、なんと、その英君が桐蔭柔道部に入学してきた。英君だけでなく各階級の全国大会優勝者、上位者が高校から大挙して入部してきた。全国大会優勝するような子たちと、自分との間には、越えられない壁があるように長男は感じた。その上、長男は柔道部の中でただひとり「桐蔭学園中等教育学校」所属である。「桐蔭学園高校」とは別の学校の生徒として、ただひとり練習にも試合にも参加することになる。当然、団体戦に参加することもない。それだけではない、桐蔭学園の生徒は、県大会に出場するにあたってさえ、厳しい校内予選を勝ち抜かなければ試合に出られない。全国大会上位の実力者であっても、校内予選で負けて対外試合に出られない仲間や先輩も多い。そんな中「ひとりだけ中等教育学校」である長男は、実力的にははるかに下であるにも関わらず、別学校、別枠扱いなので校内予選なしに公式試合に出られてしまう。事情がよくわからない先輩や同期から「あいつ、弱いのに、なんで試合に出てんだよ」という批判、いじめとは言わないまでも、一人だけ浮いてしまう雰囲気になる。そんな孤独感にも耐えられず、長男は、高1の一学期で柔道に挫折した。夏休み終わりから次第に練習に出なくなり、二学期には退部してしまった。
一方、桐蔭中学から高校に上がるときに、ラグビー部でも、「中等教育学校」問題は噴出していた。中学時代、「中学校」と「中等」はひとつの「桐蔭学園」チームとして、東日本の中学最強チームとして君臨してきた。そのレギュラー部員の中にも数人の「中等」生徒がいた。高校になり、さあ、花園を目指すぞ、という段になり、「中等」生徒は、桐蔭学園高校とは一緒のチームでは大会出場はできません、となったのだ。活動場所を失った中等教育学校4年生の(学年的には高1相当になった)ラグビー部員たちは、中等教育学校としてのラグビー部発足を求めて活動を始め、他の部活でも活動場所をなくした生徒に声をかけ始めた。
そして、柔道部をやめて、勉強もやる気がなくなり、ぶらぶらしていた長男に、中等ラグビー部の発起人、中村君(後に青山学院理工ラグビー部主将)が声をかけてきた。「ラグビーやろうぜ」。
 ラグビーという競技理解がまったくない長男は「太って背が低く力が強い」人間ができるポジションということで、当然のようにフッカーをやることになった。実は柔道時代に頚椎を痛めた古傷があるので、スクラム一列目は危険だったのだが、当時はそんなことは考えていなかったようだ。
球技の中でも、ラグビーはルールが複雑だ。そもそも、ゲームの多様な場面において、その瞬間に「どこに立って、どっちを見て、何を考えているべきなのか」「何はしていいが、何はしていけないのか」を理解できるようになるのに、かなりの経験を要する。単に文章で書かれたルールだけでは、よくわからない。ラックの中のボールを手で扱ってはいけない。横から入ってはいけない。と書いてあるからと、長男はラックの上にまっすぐ踏み込んでいって、人と一緒にボールをめちゃくちゃに人と一緒に蹴り飛ばして反則を取られたことがある。トップレベルのゲームでもときどきそういう乱暴なことをする選手がいて、そういうプレーを見ると長男を思い出す。人を蹴ったり踏んづけたりを故意にするプレーは、それはそれとして反則なのだ。
長男をラグビー部に誘ってくれた中村君は、中学時代は「東日本NO1チーム」で主力を争っていたいたナンバー8。しかも面倒見がいい。彼はいつまでたってもルールや、何をやったらいいかを理解しない長男を気にかけてくれて、練習中も試合中も「はらちゃん、(ラックやモールに)入れ、入るな」「誰を見ろ」「どこに行け」といつもいつも指示を出してくれていた。長男は中村君コントローラーがついていないと何をどうしていいか、最後の冬の花園予選まで、結局わからなかったようだ。
一方、彼は、タックラーとしてはチームで一二を争うハードタックラーだった。太っている割に走るのは早いし、柔道部時代も、国士舘や国学院栃木の120キロもあるようなエース級の巨漢を谷落とし、裏投げで放り投げて失神KOをさせたこともある「投げ技」の天才だった。今ほどスピアタックルの反則がきつく取られない時代だったので、160センチ75キロという、体型と髪型と風貌が「ボブ・サップを160センチにしたような感じ」の長男は、自分より、はるかに大きい「180センチ級」の巨漢相手にハードタックルを決めてふっとばすことがときどきあった。そんなときだけ、「ちょっとチームに貢献できた」と実感していたようだ。

桐蔭中等教育学校一期チームは、チーム発足当時は未経験者がほとんどを占めたため、普通の県立高校チーム相手に100点差で負けるようなところからスタートしたが、顧問の加藤先生(加藤先生にもドラマがあるのだが、それはまた別の機会に)の指導の下、すこしずつ力をつけ、高3最後の花園予選では初戦二戦を見事な勝利で勝ち上がり、県ベスト16まで勝ち上がった。ここでシード校、日大高校と県ベスト8をかけて激突した。

やっと、五郎丸のタックルのような、長男のタックルの話になる。
日大との試合は、一進一退をつづけ、同点(10-10だったような気がする)のまま、後半20分を超えた。高校ラグビーは前後半30分ハーフ。日大が桐蔭中等22メートルライン付近まで攻め込み、球を回してラインブレーク。私たちがちょっと高台のスタンドから見ている側のタッチ際ゴールラインに向けて相手ウイングがトライしようと突進してきた。
その瞬間、なぜそこに走りこめたのか、よくわからないが、黒い弾丸のようにチビデブ長男が戻りながら突進してきてタックル、トライの一瞬手前で相手ウイングをボールごとタッチラインの外にはじき出した。まさにこの前のスコットランド戦の五郎丸のタックルのように。妻も私も、五郎丸のあのタックルを見て、高校最後の試合の、長男のタックルを思い出した。結局試合は、その後日大高校がワントライを挙げて、桐蔭中等一期生の高校ラグビーは終わった。失点につながる流れの中で、長男はミスを犯したと、試合を終わった後、ずっと下を向いたままだった。着替えて、試合会場から駅に向かう坂道を歩く間も、下を向いたままだった。仲間は「おまえのせいじゃない」と慰めてくれていても、「ラグビー理解が低くて、やっちゃいけないところで、判断ミスをしたせいで」と長男は自分を責めていたのだろう。でも父も母も、あの、五郎丸のやったみたいな、相手のトライを寸前ではじきとばす、スーパータックルを見られて、心に刻み込んで、大満足だよ。今でも、あのタックル、まぶたの裏に、いつでも思い浮かぶよ。五郎丸のタックルを見て、思い出したこと。おしまい。

南アに勝った心理的要素。エディージョーンズ監督の対南ア心理戦を考察する [スポーツ理論・スポーツ批評]

 私はラグビー・プレー経験は全くなく、スタジアムでトップレベルの試合を見ることもほとんどしない、「テレビ観戦専門、ラグビーファン」です。12年ほど前に、長男が高校で、二男が中学でラグビーを始めたのがそもそもの始まりで、特に二男は神奈川県関東新人大会で桐蔭と両校優勝を分けあい、関東大会予選では慶応と決勝を戦った代の、公文国際学園のフランカー(残念ながら関東大会予選から関東大会は、二男は足を骨折していて出場しませんでしたが)だったので、二男の高3の一年間は、毎試合応援に行きました。それ以来、ラグビーをテレビで熱心に見るようになりました。ちなみに二男三年生のとき桐蔭学園の一年生に、今、日本代表の松嶋幸太郎、筑波に行った怪物ウィング竹中、早稲田の10番になった小倉順平がいて、彼らが三年の時に桐蔭学園は初の日本一になったのです。一方、長男は桐蔭学園の兄弟校(進学用に分離した)桐蔭中等教育学校のラグビー部一期生、三男は桐蔭学園で柔道部に所属し、寮では柔道部員とラグビー部寮生は同じ釜の飯を食っていた(松嶋幸太郎が高3のときに高1)ので、花園では「息子の母校はわが母校」ということで、毎年桐蔭学園を熱心に応援する、という年末年始を送っています。
 テレビ観戦専門ですが、高校花園だけでなく・大学ラグビー・トップリーグ、スーパー15、ハイネケンカップ、6nations、トライネーションズ(現チャンピオンシップ)、テストマッチなどJSPORTSで放送されるラグビー放送はここ10年ほど、つまり前々回ワールドカップ前あたりからは、主要試合はほとんどすべて見ています。年間観戦数は200試合を超えていると思います。気分は「無名の小林深緑朗」みたいになっています。

 そんな立場から、今回の南ア戦の勝利とその後の盛り上がりは、うれしい限りなのですが、「感動」「努力」「気合」「ハードワーク」みたいなかんじで、相変わらずラグビーがそういう「スクールウォーズのときそのまんま」な文脈で語られるのは、ちょっとさびしい、と思ってしまうことについて、すこし論じていきたいと思います。

 どんなスポーツでもそうですが、ラグビーは特に「知的でなければ強くなれない」競技です。その意味で、南アの世界一のスクラムハーフ、フーリー・デュブレアが、日本は知的であることで南アを打ち破ったというコメントは、まさにその通りです。
 今回、日本が対・南アにおいて、戦う前から完全に勝っていたポイントは、エディージョーンズvsハイネケ・メイヤー という監督の対決部分です。エディーさんはワールドカップの決勝戦を、二回経験している。そのうち一回は南アのアドバイザーであり、今回の南アのベテラン選手たちとは代表時代からサントリー顧問時代を通じて深くかかわっていた。それに対し、メイヤーは、ブルズ監督として、国内リーグとスーパー15監督としては「名将」であっても、代表として選手全体の人心を把握できておらず、かつワールドカップ経験では、「経験も格」もエディーさんの圧勝であったのです。エディーさんについて国内メディアの報道は、どういう指導内容で日本代表を強くしたか、ということに偏って報道されますが、エディーさんの強みはもうひとつあります。大会前からの記者会見での発言で、南アの監督や選手や審判団にまでゆさぶりをかけるような発言を繰り返す、「記者会見で戦える」監督という側面です。こういう監督は世界的にみてもほとんどいない、そういう監督なのです。(サッカー界のモウリーニョみたいなものですね。)。「南アは直前のテストマッチが不調だからナーバスになっている」「代表に日本をよく知る選手が多いから、日本をリスペクトしてベストメンバーでくる」「ヤニー・ディブレッシーはスクラムで審判みたいによくしゃべる。審判がちゃんと見てくれないと困る」みたいなことをいろいろいうわけです。野村監督が「イチローはバッターボックスから打つ時、足が出る・あれは反則だろう」みたいなことを日本シリーズ前に言うとか、「カールマローンのフリースローは10秒以上時間かけているだろう」とNBAファイナル前に言う、みたいな嫌な感じのゆさぶりを記者会見で言う。「今度の試合を南アの練習試合にはさせない」と言うことで、メンバーをどうしよう、という点について、南ア監督をゆさぶった結果が、南アの選手起用と、起用された選手に微妙な迷いを生じさせたように思います。
 ゲーム内容における「知的さ」ということで言えば、試合時間80分のストーリーを描いての作戦の緻密さ、という点でも、日本は南アを圧倒していたと思います。後半の選手交代は、日本は、シナリオ通りであり、それぞれの交代選手が、どういう狙いで、何をするために出ていくかが明確に意識づけられていただけでなく、交代の意味とそれによる戦術変化が、フィールドでプレーしているチームメイトにも完全に共有されており、交代によりチーム力が上がる、混乱がまったくおきない、という点において、日本は、圧倒的に勝っていたと言えます。
 もうひとつは、審判、反則への対応での勝利。今大会は、TMOが多用されるだけではなく、「ホークアイシステム」という補助カメラシステムで、審判を欺くような反則、密集内で首に手をかける反則を厳しくチェックするという申し合わせがなされています。こうした審判の方針と技術への対応でも、日本は明確に優位に立っていました。南ア戦の主審を、直前のテストマッチに招へいし、笛の傾向をつかんでおくという対策までしてきました。その結果としてタックル後のロールアウェイをとにかく徹底し、反則を取られないようにするという規律と意識の高さで南アを圧倒していました。このあたりについて、南アは全く対応できておらず、ノットロールアウェイの反則を取られ続けることに明らかに苛立ち、「審判とも戦う」状況になっていました。これが最後のシーンのシンビンにつながり、決勝点の伏線になっていたのです。

 また視点を変えますが、南アの現役代表を大量にトップリーグに呼んできたことも、もしかするとこの対戦の対策だったのでは、と今になると思えてきました。ほんの3年前くらいまでは、トップリーグで活躍する外国人選手はニュージーランド人が主流で、次にオーストラリア人。南アの代表クラスはほとんど来ていなかったのに、ここ二シーズンは南アの代表クラスが大挙して日本に来て、チームメイトとして一緒にプレーしています。このことが、明らかに「日本にプラス、南アにマイナス」に働いたと思われます。
 「日本にプラス」はわかるけれど、「南アにマイナス」ってどういうことか、ということについて、説明したいと思います。

 南アのラグビーの強みは、変な言い方ですが、ある種の「乱暴さ」にあると、私は思っています。単に体格が大きいということではなく、NZのような洗練された技術や、オーストラリアの基本に忠実で真面目なラグビーに対して、全員ではありませんが、メンバーの中の何人かが「狂気をはらんだ凶暴さ」をときどき発揮する、そういう怖さが南アのラグビーにはあると思います。今回はキャプテンから外れましたが(須藤さん指摘ありがとうございます。チャンピォンシップではキャプテンを務めていた)フォワードリーダーのスカルクバーガーは、そういう南アのラグビーを象徴する選手だと思って、ずっと見てきました。日頃は気のいいやさしい好青年。別に常日頃から乱暴者なわけではないのに、気合が入ってプレーをするとき、とんでもなく乱暴なことをしてしまうことがあります。(密集で相手の目に指を突っ込んで、シンビンではなく退場になったこともありました。)NZのラグビーが、あくまで「ボール」に対して働き掛ける意識がものすごく高い(ので、NZ人はものすごく上手に相手のボールをもぎとります。)のに対し、「相手のカラダ」に強く働きかけようとする意識が強いと思います。
 「普段は気がいいのに、ゲームになると無慈悲に相手のカラダに破壊的に働きかけてくる」というプレーは、相手を「仲間」だと意識してしまうと、どこかに心的ブレーキがかかるのではないか、と私は思っています、本気で行っているつもりでも無意識に冷酷さにすこしだけブレーキがかかる。
 4番のデヤーグや交代で入ってきたストラウスなどは、日本とのかかわりがないので、南アの良さの「無慈悲な当たり」で豪快なトライを取ってきましたが、日本で、サントリーやパナソニックで日本選手と「仲間」になったスカルクバーガーやJPピーターセンは、もちろん全力でプレーはしていたのですが、どこかに「仲間としてのリスペクト」を持つことで、本当の意味での強みの「破壊的冷酷さ」を発揮できなかったように、私には思えました。エディーさんが繰り返し「南アは日本をリスペクトしている」と繰り返すことは、挑発しているようで、実は「格下の雑魚をぶっ潰す」という冷酷な凶暴さを封殺し、「人間対人間、対等なラグビー仲間同士の戦い」という意識に、南ア選手をマインドコントロールしたという側面があると思いました。なんというか、強さはあっても凶暴さのない、紳士的なプレーを、南アの特にベテランたちはしていたように思います。全員がデヤーグやストラウスみたいに「無慈悲にぶっつぶす」意識でプレーされたら、日本はもっといやだったと思います。選手選考も、ベテランよりも「若手のイキのいいやつで」と来られた方が、日本は嫌だったと思います。このあたり、監督の選手選考も、選手の意識も、エディーマジックにまんまとはまった、というのが、今、国内メディアではあまり論じられていない、勝因のひとつであると思っています。

ラグビーワールドカップと安保国会 TMOと武士の情け [スポーツ理論・スポーツ批評]

TMOと武士の情け。

ラグビーワールドカップ イングランド大会が昨夜始まった。
開幕戦は開催国かつ優勝候補の一角イングランド対フィジー。フィジーはときどき大番狂わせを起こす曲者なので、開幕戦で開催国を食うのではないかという期待感(イングランド地元ファンとすれば嫌な予感)を孕みつつ、ゲームはスタート。イングランドが着実に点を重ね前半25分を過ぎ15-0。このまま一方的になるかと思われた27分過ぎ、フィジーの快速スクラムハーフが自陣センターライン付近でのスクラムが回転してボールがスクラム外に出た瞬間、ボールをつかんで走りだし、ライン際に飛び込む。イングランドバックス二人がタックルしてからみつくも、雨に濡れた芝を利用し、すへり混みながら、バスケットのダンクシュートのようにゴールライン上にボールを叩きつけ、見事なトライ。レフリーも走って追いかけながら、遠目には明らかなトライだったので、右手を上げトライを宣言。盛り上がる場内にはリプレーが流れる。が、しかしアップでトライシーンを撮った映像が流れると、ダンクシュートのように片手で地面にボールを叩きつけようとする直前、ボールが手から離れている。つまりノッコンである可能性が高い。その映像を見た主審、いったんトライを宣言したにも関わらず、TMOを要求。結局ノッコンでノートライになった。その後もフィジーは流れをつかみきれず、終盤イングランドの連続トライをゆるし、33対11と、実力差通りの結果に終わった。
 開幕第三戦はアイルランド対カナダ。カナダはかなり格下で、アイルランドは今年のシックスネーション優勝北半球王者で優勝候補の一角。前半終了間際まで29-0と一方的にリード。40分を過ぎ前半ロスタイム、やっとアイルランドゴール前まで攻め込んだカナダ、ゴールポスト下あたりから左サイドにボールを展開するロングパスが飛ぶ。スクラムハーフ日系人ヒラヤマがボールをキャッチする前にアイルランドディフェンスが詰めてくると見るや、ヒラヤマはタックルされる前に飛んでくるボールを直接タップしてライン際でフリーになっていた俊足ウィングにボールを送る。転がったボールを拾ったウィングが見事にトライ。したかに見えた。しかしここで主審が、タップパスがスローフォワードでないか(前に飛ばしていれば、タップだからノッコンにあたるのかも)をTMOで確認。結局スローフォワードでノートライになつた。

このふたつの幻のトライ、TMOがなかった時代なら、確実にトライだったと思う。ちょっと怪しいかなと思っても、格下劣勢のチームが、がんばりにがんばって上げたトライは、試合の流れに審判も乗っかって「トライにしよう」という文化がラグビーにはあったと思う。フランスワールドカップで地元フランスがニュージーランドを破ったときの逆転トライは、明らかにスローフォワードだったけれど、「会場の雰囲気」がトライにしてしまった、という事件も起きた。

 TMOは明らかに誤審を減少させた。判官ひいき、地元ひいき判定はでにくくなった。
ラグビーはもともとサッカーなどと比べると、実力差がはっきりと点に出やすい、番狂わせが起きにくいスポーツだ。実力差がちょっとあるだけで、弱者はワントライをとることさえ難しくなる。日本代表も強豪国相手に100点近い差をつけられて負けることはあったし、高校ラグビーなどでもそういう悲劇はよく起きる。そんな中で「武士の情け」トライは、試合の雰囲気を救うラグビー文化のひとつだったと思う。しかしTMOの導入により、公正さは増したことは間違いないのだが、「武士の情け」トライが撲滅されてしまったことで、ラグビーは「強者が必ず勝ち、弱者は「一矢報いる」トライを誇りに持ち帰る、ということさえも許されない、冷酷なものになりつつある。

 ワールドカップ開幕のわずか一時間ほど前、日本では安保法制が可決する直前、最後の抵抗を試みる民主党福山議員は、参議院本会議で、一人15分と制限された時間を超えて演説を続けた。それに対し与党議員から「時間を守れ」「ルールを守れ」とたびたびヤジが飛んだ。福山議員は、より大きなルール違反を指摘して抵抗しつつ、たびたび「君たちには武士の情けはないのか」と叫んだ。

 圧倒的数の差の中で、弱者少数派が声を枯らして訴えているのだ。法案が可決されるという勝敗はすでに決っている中で弱者少数派が最後の訴えをしてるのだから、時間制限というルールを多少曲げても、最後まで意見を聞くという「武士の情け」はないのかと訴える。

 武士の情けというのはつまり、「弱者に対してはルールの適用を甘くする」ということなのだ。ルールの適用を強者にも弱者にも公平にすることが、本当に公平なことなのか。

 高校ラグビー花園大会では、強者の前に100点差をつけられてしまうようなゲームも起きるので、武士の情けトライはあってもよいような気がする。しかし、そうした曖昧さを許すと、大会も終盤を迎えたところで「強者同士のシビアな争い」の中で、地元関西勢にほんのすこし有利に笛が吹かれる「関西の笛」問題が許容されてしまう、という問題が起きる。

 政治においてはMajority rules,Minority rights=多数決の原理は、少数者権利の尊重とともに行う、という原則がある。民主党があそこまでの「少数派」になってしまっていること、「武士の情け」を請わねばならない状況について考えつつ、さて、これから始まる南アフリカ対日本を応援することにしよう。

 武士の情けトライを期待しなければならないような一方的展開になる可能性はかなり高いと思う。そんなこととは無関係に、南アを追い詰めるような試合ができるのだろうか。


追記

なーんてぶろぐ書いた後、日本、堂々と勝ちましたー。判定も日本びいきなんてところ、ひとつもない、まったく初めから堂々と互角に戦い、判定も公正、むしろ日本のモールのトライかどうかが認められず、なんてことまであったのに勝ちました。日本代表のみんさん、エディーさん、゜コテンパンにやられる可能性が高い」なんて失礼なこと書いてごめんなさい。南アを追い詰める上に、最後に勝ちました。南アの選手、監督、そしてスタジアムの南ア観客の青ざめて凍りついたような表情が、今日の日本が本当に強かったことを雄弁に物語っていました。予想が外れて超幸せです。
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